談
[最新号]談 別冊03 WEB版
 
「shikohin world 酒」
 
 

『談』別冊 shikohin worldシリーズの第3弾として、「shikohin world 酒」をお届けいたします。
人が生きていくために必ずしも必要とされないけれども、生活に潤いを与え、コミュニケーションの潤滑油となってくれる、ゆかしきモノ「嗜好品」をテーマに「コーヒー」「たばこ」を取り上げてきましたが、いよいよ今回「酒」の登場です。
「酒」は嗜好品の中でも、特にさまざまな側面を見せます。発酵・蒸留などの製造技術の奥深さ、「食」との関わりなどの文化的側面、神事、宗教や政治との関わりなどの歴史的・社会的側面、「ほろ酔い」「酩酊」などの「酔い」の哲学等々、興味深いテーマをわれわれに投げかけてくれます。
酒には、日本酒、焼酎、ビール、ワイン、ウィスキーなど、じつにさまざまな種類がありますが、本書では、アルコールを含んだ飲み物すべてを「酒」として総合的に取り上げ、いろいろな切り口から、それぞれの専門家の方々にご寄稿、またお話をうかがいました。
お酒が大好きな人にはもちろん、体質的にまったく飲めない人にも「お酒」と「お酒が大好きな人たち」に対する理解を深めていただき、楽しんでいただける一冊です。

アルコオロジィ……(酩酊)の哲理

 〈インタビュー〉酒、うちなる祝祭――酩酊の現象学
山崎正和(LCA大学院大学学長、兵庫県立芸術文化センター芸術顧問、劇作家)


 〈対談〉「のんべえのクオリア」
鷲田清一(大阪大学副学長)×茂木健一郎(ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー)

嗜好品としての酒――その二律背反性と「知」を育む力
高田公理(武庫川女子大学教授)


酒をめぐる古代ギリシアの祭儀――葡萄の樹、狂気の神ディオニュソス
楠見千鶴子(作家)

酩酊の形而上学
山内志朗(新潟大学教授)

酩酊論
澤野雅樹(明治学院大学教授)

祝祭都市とバッカナーレ
田之倉稔(演劇評論家)

酒のフードロジー……食と風土の詩学

 〈対談〉ワインとコーヒー、風土がつくる味の世界
玉村豊男(エッセイスト、画家)×堀口俊英(〈株〉珈琲工房HORIGUCHI代表取締役)

風土のなかのワイン――グローバル化でみえてきたワインの姿
福田育弘(早稲田大学教授)

ワインと葡萄畑が織りなす美味しい景観
――あるいは世界遺産サン・テミリオンの文化的景観とその保全的刷新について
鳥海基樹(首都大学東京大学院准教授)

 〈ルポ〉小布施の酒を世界ブランドに――セーラ・マリ・カミングスさんの酒造奮闘記
斎藤夕子(フリーライター、編集者) photo:武井メグミ 
醸造のテクネ

 〈ルポ〉風土と市場そして宿命と技術――高千代酒造を訪ねて
遠藤哲夫(フリーライター、大衆食の会代表) photo:武井メグミ

 〈インタビュー〉酒を楽しむ極意
小泉武夫(東京農業大学教授)
酒のカルチュラル・スタディーズ

未成年者の飲酒はなぜ禁止されたのか
青木隆浩(国立歴史民俗博物館研究部助手)

酔っぱらいとマルチチュード
毛利嘉孝(東京芸術大学助教授)

浴びるほど呑む人はどこにでもいる――酔いたい、酔うために飲む飲兵衛の存在
遠藤哲夫
味覚、複雑化としての酒

 〈インタビュー〉酒におけるコクとキレ
伏木亨(京都大学農学研究科教授)

辛口化か食生活の変化か――変わる酒と食の相性
宮地英敏(九州大学附属図書館付設記録資料館助教授)

味覚の主体化のために……ワインのグローバル化から考える
杉村昌昭(龍谷大学教授)

編集後記

コーヒー、茶、たばことともに四大嗜好品のひとつである酒は、その歴史、人々との係わり合いからすると、その中でも横綱格だろう。洋の東西を問わず、神話には酒神が登場し、宗教や政治に利用され、左右されながら、その歴史、文化を築いてきた。その特性である「酔い」という精神作用は、癒しなどの効用をもたらす反面、個人的に楽しむ限度を超えると、「おれの勝手だ。ほっといてくれ」という訳にはいかず、信仰や労働への妨げや、身体への影響等を理由に様々な扱いの変遷をたどってきた。
嗜好品は、自分の責任でルールを守って嗜むべきものであるが、特に酒は「酔い」をコントーロールできる範囲で嗜むことが求められる(酒は飲むとも飲まるるな)。また、その範囲でなら許容する周りの寛容さも必要であると思う。このストレス社会で、ひと時の「非日常の味わい」を否定されてはやりきれない。飲まずにいられない人種に対しても適量(+α)の嗜みは許していただきたいものだ(酒なくて何の己が桜かな)。
酒は、自分が少し大きく、幅が広がったような非日常性を味あわせてくれ、その状態の中で、素面のときにはできなかったコミュニケーションを可能にしてくれる。自分の幅が広がったような非日常感は錯覚であるが(酒飲み、本性違わず)、酔っ払い同士が非現実的とも言える議論を戦わす中で、思わぬ発想が生まれることがあるのも事実である。
ところで、最近の若者はあまり酒を飲まないと聞く。「泥酔」のかっこ悪さなどもあるのだろうが、携帯電話やインターネットの使用料で飲み代にお金が回らないのだろうと漠然と感じていた。ところが、本書の編集に係わる中で教えてもらったことがある。今の若者は酒の場でのコミュニケーション(ノミニケーション)を、インターネットやメールでのコミュニケーションに替えているのだということだ。面と向かっては言えないことでも、顔を合わさないメールなどのコミュニケーションで本音のやりとりができる。だから酒なんか飲む必要はない。そういうことではないだろうか。そう考えると嗜好品の有様も時代とともに変わってきているのだと実感するとともに、味気なさや寂寥感を感じるのは歳のせいだろうか、それとも単なる酒好きの思い入れなのか。

(新留浩一)

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