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養老孟司
ようろう・たけし
北里大学一般教育総合教授

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池田清彦
いけだ・きよひこ
山梨大学教育人間科学部教授



ムービー
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嫌煙運動の裏に潜む闇
池田 これは、僕が連載している『ちくま』にも書いたことだけど、僕が嫌煙権運動を「禁煙原理主義」と揶揄するのは、他人に迷惑をかけない限りたばこを吸うのは許される、と言っておきながら、実際のところこうした運動が、喫煙者の権利を抑圧する方向へ向かっているからなんです。そもそも、僕の大学で構内を全面禁煙にすべきだ、という議論が持ち上がって頭にきてそういうことを言い出したんだけど、これはまさに、喫煙者の権利の抑圧でしょう。ある先生は、校内に灰皿があるからいけないんだ、なんて言っていたけど、灰皿がなければ構内はたばこの吸殻だらけになる。誰が掃除するんだっていうの。それじゃ、たばこを吸ったヤツは退学にしろ、なんて言う。そんな大学、誰も来なくなってつぶれますよね。だから、校内禁煙にしたらたばこを一○本くらいくわえて歩いてやるって言ったら、とくに女の先生たちから白い眼で見られてしまって(笑)。まあ、そういう行き過ぎた議論に対して、物申したかったというだけのことなんですけどね。
僕は喫煙者ではないけど、二○代の頃は一日に九○本くらい吸っていて、もう一生分のたばこを吸ってしまったようなもんで、たばこを吸う人に対しては寛大だというのはあるでしょうね。やめた理由も、ある時ひどい風邪を引いて、それ以来、吸えなくなってなんとなくやめてしまっただけだから、目の前で学生が喫煙していても別に不快に思わない。むしろ、不快に思うのは、喫煙者を下品だといって責める非喫煙者の態度ですよ。
世界的に見れば、たばこをやめようと主張しているのは、アメリカとヨーロッパと日本くらいでしょう? ベトナムの奥地なんか行ったら、そもそもたばこがからだに悪いなんて思ってやしない。だいたい、日本にだって、かつてたばこは薬として入ってきたわけだし、なかにはたばこを吸った方が長生きする人もいるんじゃないかな。すべての人に対してたばこはよくない、なんて言うのは、どこかに他人の愉しみを邪魔して喜ぶというような、そんな欲望が裏にあるように思えてしまうね。
養老 だって、これだけ大勢の人がたばこを吸うんだから、何か「益」があるのは当たり前じゃない。たばこなんて、害こそあれ何の役にも立たないなんて言うけれど、まったく無益なものが、なんでこんなに売れているのかって話になる。たばこはからだに悪いって言うけど、僕の後輩の医者に言わせれば、生きてるのがいちばんからだに悪いって(笑)。
それはさておき、嫌煙運動が起こった背景には、一つには住宅の換気の問題があるでしょうね。昔は隙間風がピューピュー吹き込むようなサッシだったけど、今は気密性が高い家のなかで、エアコンをかけて吸うわけでしょう。そんなことすると家の中が臭くてしょうがない。それが、嫌煙運動に拍車をかけた。
もう一つは、捕鯨問題と同じで、政治的な裏があるということだと思う。ベトナム戦争で使用された枯葉剤が問題になった時に、当時のアメリカの政局がその矛先を捕鯨問題へ向けさせようとしたという話があるけど、それと同じじゃないかな。つまり、大気汚染の問題をたばこに転化させようとしているとしか思えない。学生時代の講義を不思議とよく覚えているんだけど、東京はロンドンに比べて肺がんの発生率が一○○分の一だって聞いたことがある。ご存じのように、ロンドンは前世紀から大気汚染がひどかった都市で、肺がんの発生率と大気汚染は完璧に相関しているわけ。
一方でね、数年前に『ネイチャー』が別冊を出したんだけど、これが、一冊丸ごと「中国における肺がんの疫学」という論文で、ようはアンチスモーキングキャンペーンの別冊なのね。結論から言うと、肺がん発生率のいちばん多い都市と少ない都市とでは四○倍の開きがあるというものなんだけど、そもそも、肺がん発生率がいちばん多い地域の人が少ない地域に比べて四○倍もたばこを吸ってるわけがない。もっと別の要因があるはずだよ。しかも、ふだん別冊なんか出さない『ネイチャー』が別冊まで出したってことは、裏に政治的意図があるとしか思えない。航空会社がそろって全面禁煙にしたというのも、おかしな話だし。
別にたばこがからだに悪いというのはかまわないけど、こうしたことが起こっている背景が見えてこないのが嫌なんですよ。おそらく、肺がんの統計についてたばこに関してとっている熱心さでモータリゼーションとの相関関係を調べたら、ものの見事に関連が出てくるにちがいない。なんでそういうことは報道されないのか。僕だって本当に知りたいですよ。
池田 僕が大学に行く時乗っている中央線も少し前は禁煙車両というのがあったんですよね。それ以外では吸ってもよかったわけだ。そのうちだんだん禁煙車が増えて、いまや全部禁煙になってしまった。なんとなく世間全体がたばこを吸う人を犯罪人扱いしている。養老さんが言うように、やっぱり政治的な裏があるんでしょうね。トヨタとホンダはつぶれたら困るけど、JTはつぶれてもいいっていう(笑)。
いずれにせよ何か世界的な陰謀や、国家のパターナリズムが関係しているのは確かだと思う。何かをコントロールしようと思ったら、今の民主主義の世の中では、なんとなくムードをつくってそういう方向にもって行かざるをえないわけだけど、そうした中で最大の権力というのは情報をたくさんもっていて、それを操作できるということでしょう。その情報をもとにしたパターナリズムが働いている。国家全体が、科学を武器にパターナリィスティックな言辞を弄して人々のからだを管理しようとしているんじゃないかな。人々に、無条件に「健康は善である」という意識を植え付けて、自主的にたばこを吸うのはよくない、という方向に仕向けているように思えてきますよね。
養老 僕はほとんど確信していますよ。どこかに火元があるはずだって。航空会社の自粛だって、いっさい理由がわからないもの。エールフランスなんて客室乗務員自身がたばこを吸いたいから反対したらしいんだけど、それでも全面禁煙になってしまった。本来なら、たばこ会社が煙を吸い込む装置をつくれば、それでまた新たな商売になるわけでしょう。ところが、そういうことをしないということは、おそらくもっと強い別な圧力がかかっているとしか考えられない。しかも不思議なことに、その火元がどこにあるのか誰も言わない。捕鯨運動と同じですよ。
もう一つ気になってるのが、空港なんかにある喫煙所っていうやつ。たばこってああいうところに集まって誠心誠意吸うものじゃないよって思う。たばこを誠心誠意吸うなんて、すごく変だもの。
池田 あれ、変だよなぁ。バンコクの空港なんかすごくて、たばこがなくても、あそこに行って空気を吸えばたばこ吸ってるのと同じだもん。
養老 もとはといえばね、副流煙の害を予防がん学研究所の平山雄さんが医学的に証明して、それを厚生省が金科玉条にしてきたわけだけど、この前、山崎正和さんが平山さんの生データを出せって言ったら、役人がキッと身構えたっていうんだよ。あのデータには、僕も問題があると思ってるからね。知りたいのは、そこにどんな背景があるか、だよ。どう考えても、大気汚染の問題をバイパスしようとしてるとしか思えない。『水俣病の科学』を書いた西村肇氏は、最初に自動車の排気ガスの問題を扱って、中公新書から『排気ガスは規制できる』という本を出したのだけど、その本は絶版になって、その本を編集した編集者は退社してしまったって言っていた。その後、排ガス規制が実施されるようになったけれど、やはり当時そういう圧力がかかったんだろうね。
池田 たばこをスケープゴートにして何かを包み隠そうというのはわかるけど、でも、たばこを止めて儲かることってあるのかな。
養老 ポジティブに? あんのかね?
池田 そこがよくわからないから余計に気になるわけだけど、コントロールしたいというのは確かだろうね。マジョリティに自分たちのやっていることを真っ当だと思わせたという点で言えば、たばこに関してのコントロールは成功しているわけだからね。でも、どんなものだって採り過ぎは健康に悪いわけでしょう? トウガラシなんか採りすぎれば咽頭がんになるのはわかってるし、ウィスキーだって、毎日飲んでたら食道がんだとか咽頭がんになる可能性がある。それなのにたばこだけ規制が強くなったのは、やっぱり副流煙が他人に悪いというキャンペーンが効いたからかな。だから、もし噛みたばこが流行っても、こんな大々的なキャンペーンはやんないだろうなぁ。
養老 僕なんか副流煙の害なんて最初から信じてなかったもん。もちろん、たばこに関して害を受けやすい人は遺伝的にいるかもしれない。そういう人たちが煙を吸い込むことで危険が生じるということはあると思う。だけど、それ以上に大気汚染の方が深刻だよ。僕はオーストラリアのメルボルンにいたことがあるけど、メルボルンから二○マイルくらい離れると、町の上空が原爆が落ちたみたいに煙っているのが見える。あんな中で暮らしてたら具合も悪くなるよ。そんな当たり前のことを黙っておいて、たばこはねぇだろうって、いつも思う。だから、僕は空気のきれいな鎌倉に住んでいるから、東京に住んでたばこを吸わないでいるより、鎌倉に住んでたばこを吸った方がからだにいいって、滅茶苦茶な理屈を言ってるんだけど(笑)。
真面目な話、似たような話はいくらでもあるんですよ。温暖化なんかもそうでしょう?
池田 そうだよな。ちょっと前までは氷河期がくるとか言われていたのに、急に温暖化になっちゃった。温暖化してるのは確かだと思うけど、やはり、二酸化炭素を出すせいなのかどうかわからない。肺がんが増えたことは確かだけど、たばこのせいかどうかわからない。同じだよね。
養老 こういう議論は全部パターンが非常によく似ているんです。環境ホルモンもそう。そう考えていくと、自然環境そのものの把握がまだまだはるかに弱いということがわかってくる。どう変わったか、ということを言うためには、変わっていない時の状況が記録されていなければいけないからね。
池田 ヒトゲノムの解析が進めば、あなたはたばこを吸うと肺がんになりますよ、とか、トウガラシを食うと咽頭がんになるからやめなさい、とか、個人個人に対してそういう診断をできるような時代がくるかもしれない。そうすれば、たばこを一律禁止にしなくてもよくなるかもしれないね。でも、今は、健康幻想みたいなものがあって、みんな健康で生きていかなければならないと思っていて、ちょっとでも健康に反することは排除しようとする。抗菌グッズの流行なんていうのもその一つだけど、一種のヒステリーだよね。藤田紘一郎氏が、抗菌なんてかえってからだに悪いって言ってるけど、便器なんかも、抗菌したものとそうじゃないものだと、やっぱり抗菌の方が売れる。一方で、自動車の排気ガスは気にもかけないという矛盾。ま、もちろん、自動車は基幹産業だから、これをやめろとなったら、もっと不況が進んで大変なことになるでしょうけどね。アメリカなんか、意図的にモータリゼーションを進めちゃったから、いまさら引き返せるわけもないし。
養老 アメリカ人って、のめり込み型の人が多いんだよね。かつてまだ飛行機でたばこが吸えた時代のことだけど、隣に座ったアメリカ人がものすごいチェーンスモーカーでまいったことがある。もう必死でたばこを吸うわけ。あんまり吸うから、僕は一本も吸わなかった。次の飛行機でまた同じようなアメリカ人が隣に座って、またこれが、寝てない間はずっとたばこを吸ってるんだよね。アメリカ社会って何か無理がかかってしまうのかな。だから麻薬やアル中も社会問題にまで発展してしまう。彼等の中にはものすごく耽溺型の人がいて、禁止しないと止まらなくなっちゃうんだよ。この前も、賭博の是非の議論をアメリカのテレビでやっていて、賭博中毒になってカネを使い果たしてどうにもならなくなった奥さんが出ていたけど、そんなになる前にやめとけよ、って思うじゃない。でも、彼等は自律、すなわちオートノミーということを非常に重要視する国民だから、自律的にやってしまう。そうなると当然害が及ぶ。だったらいっそのこと禁止しようという気持ちになるのはわからないでもないよ。
戦争の仕方にもそれが表れてるよね。今度はイラクを攻撃するとか言ってるけど、アメリカから見れば地球の裏側の吹けば飛ぶような国を攻撃してどうするの? アフガンの爆撃だって、世界でいちばん金持ちの国がいちばん貧乏な国を攻撃してんだから。
池田 悪いものは悪いから許さないっていう、過度の潔癖症だよね。日本の女の子の中にも潔癖症が増えてきてるよね。それと似てるのが、クルマも来ないのに、赤信号で止まってボーっとしてるヤツとか。ルールなんだから守らなくちゃいけないとか言って。そんなふうにルールにばかり従ってるせいで、生物としての本能というか、機能がだんだん失われてきている気がしますね。
マニュアル化する若者と現代社会
池田 たばこの問題の根底につながる話だと思うんだけど、最近、マニュアルどおりにやればいいって思ってる若い人が増えてるよね。自分の頭で考えない。オサムシを捕ってこいとか言うと、「何匹捕ったらいいですか?」って聞く変なヤツがいる。適当に捕ればいいのにね。「調査に何日行けばいいですか?」って聞いたヤツもいたな。データが出て、自分で納得できるまでやるっていう発想がないんだよね。
養老 アバウトっていう流行語が出てきたのは、ちょうどその裏返しですよ。僕なんかしょっちゅう言われますよ。「先生の言うことは、要するにアバウトでいいってことですね」って。
池田 マニュアルどおりやってれば、真っ当な人生が保証されることを知ってるわけだ。権力の側はパターナリズムで、こちら側はディペンド主義とでも言うのかな。馴れ合いになってしまって、これだけやったんだからいいでしょう? っていう。
養老 僕なんか、そこにある種のふてぶてしさを感じるね。マニュアルさえあればうまくやってみせますっていう。
東大にいた時のことだけど、今でも忘れられない学生がいるよ。ある時、口頭試問をやったんだけど、その学生の前に頭蓋骨を二つ置いて、比較しろって言ったんだよ。で、その東大医学部の秀才が一分間考えたわけ。その答えが「先生、こっちの方が大きいです」って(笑)。オマエ幼稚園の入園試験でリンゴの大きさを比べてるんじゃないんだからって、思わず言っちゃったけど、要するにモノを見て何かを考えるということができないわけだ。これが東大の理IIIの入試を通ってきた秀才かと思って愕然としましたよ。完全に情報化されたものなら操作することはできるけど、自ら情報を起こすことはできない。眼で見たって何も考えてない。眼と脳みそとつながってないわけ。自らがコンピュータの内部になっちゃってるんだね。こんなヤツが医者になるんだから、患者の顔なんか見るわけないよな。だから今の医者はパソコンばかり見てる。
池田 健康診断だって、検査の結果の数値がすべてだもんな。正常値を超えてますって、それだけ判断すればいいわけでしょう。全部マニュアルですよ。
養老 救急の医者がよく言ってるよ。若いヤツらは、マニュアルどおりの急患が来ると本当によくやるけど、ちょっとちがうのが来るとバンザイしちゃうって。まあ、今の教育というのは、どっちが大きいかを選ばせるようなものばかりだから、現物に興味をあれこれもってしまうと、試験には通らないからね。
ある時授業で学生に、イギリスの若夫婦の子作りから出産までのドキュメンタリービデオを見せたことがあるんだけど、その時も考えさせられたね。このドキュメンタリーの感想を書かせたら、女の子は、面白かったとか、参考になったとか、こういうことは知らなかったとか、ほぼ一○○パーセントがそういうふうに書いてきたのね。これに対して、男の九割は、以前、保健体育の授業でこうしたビデオを見たことがあるので、何も目新しいことはなかったって、書いてきた。二〜三人だけ、母親が自分をどういう気持ちで産んでくれたかわかったような気がしたって書いていたけど、まさに現代人の特徴がよく出ているエピソードだと思う。まず第一に男性は産まないと思っているから、妊娠や出産を不気味なものだと思っているんだね。死体と同じで、できることなら触れたくない、と思っている。その気持ちを合理化するために、もうそれは知ってるからこれ以上知る必要がない、って拒否してしまう。ああ、これじゃフェミニズム運動というのはなくならないな、って思ったね。セクハラなんかよりも、はるかにシリアスな問題だと僕は思うよ。
これとつながる話で、厚生労働省が日本人の夫婦間の愛情についての追跡調査をずっとやっているんだけど、これが面白い。新婚当時を一○○として、五年、一○年、一五年経った時に、その愛情がどう変化するかを簡単なアンケートに答えてもらって調査するというものなんだけど、夫から妻への愛情は横ばいなのに対して、妻から夫への愛情は右肩下がりなの。なぜそうなるか、というと、妻の愛情が冷めるいちばんの理由が、夫が子育てに協力しない、というものなんですね。子育てが大変でお母さんが育児ノイローゼみたいになってる時に、俺が子供の面倒はみるから、一週間くらい温泉にでも行ってこいよ、なんてことを言ってくれない、という不満の表れなのね。
これって、さっきの話と全部つながってる気がする。男の子たちの元気のなさと、喫煙イコール肺がんみたいな、単純な図式で物事を捉えて、そんなことは知ってるからもういいよ、って拒否するようなところは、じつは根は一つという気がするね。男って、からだのことに具体的に関心をもたないでしょう。教科書だって、女の骨盤がお産に対する適応だって書いてあるけど、男の骨盤はお産をしないから形が変わったと書いてあるものは一つもない。お産がなければ子孫は続いていかないのに、骨盤というのはお産をするのが当たり前のものだという考え方が一度も発生してきたことがないんだから。
俺はフェミニズムの論調って大嫌いだけどさ、こういう「男考え」こそ批判すべきだと思うね。さっき言ったみたいに、政治運動めいた嫌煙権の運動が嫌いだというのもね、そういう肝心なところが抜け落ちているせいなんだよ。ものすごく大きな穴が開いたまま権利だ、平等だって主張してる。
池田 フェミニズムは男を女化しようという運動じゃなくて、女を男化しようという運動だからおかしいよね。私たちにも男と同じ権利を与えて、男と同じことをさせろという話だからね。
養老 だから、じいさんが困ってるよ。若い男は元気がないし、じじいは機嫌が悪い。おかしいんだよ、最近、男の生き方が。
池田 ホント、年寄りは機嫌が悪い。僕もだんだんこの頃は機嫌が悪くなってきて、腹立つことが多いもん(笑)。
健康幻想という病理
養老 たばこのことでいうと、そもそも健康幻想ということにも問題があるよな。どうせからだは死ぬんであって、思うようにならないのにね。いくら養生しても死ぬことに変わりはない。僕は解剖をやっていたからしみじみ思うんだけど、死んだ人の臓器が健康で立派だと、何か違和感があるね。死んだ人の歯だけ立派だと、すごくおかしい。やっぱり死ぬ時は、ボロボロになって死んでいくのが正しい姿だと思う。もうエンジンがボロボロで息も絶え絶えのクルマのボディだけピカピカにしてもしょうがないでしょう。老人医療費が無闇にあがっちゃう背景には、そういう現実があるんだよね。
池田 おかしいよな。この四月に八六歳で親父が死んだんだけど、一カ月前に意識不明になって、医者がもう長くないって言うわけ。それなのに、その後に、どうもこの辺にがんができてるかもしれないから検査してみましょうって言うんだよ。どうせ死ぬのに検査してがんだってわかってどうするんだよ。怒ったよ俺。何もしなくていいって。
最近の医者って病歴も訊かなくなったしね。昔は、どんな病気をしましたか、とか訊いたでしょう? 
養老 そういう事例でよく思い出すのが、上山春平氏のことだね。上山さんと対談した時に、昨日までオシッコが出なくなって、入院していたって言ってね。いろいろ検査をした結果、首が悪いのがわかって、それを治療したらオシッコがすぐに出て退院できたらしいんだけど、対談の途中で突然上山さんが膝を叩いてアレだ!って言うわけ。自分は終戦の時に特攻隊で生き残って、その時に首をくくって失敗したんだけど、それで首を痛めたことを思い出したって言うんだよ。その時の後遺症が、歳をとってオシッコが出ないという形で表れたということで、上山さんは納得したんだね。本来それって、医者が訊くべきことでしょう? そういう病歴をすべて省いて、横並び一列に語ってしまうのが、現代医療の論理なんですね。今インフォームドコンセントとか言ってるけど、患者の方は全然納得してないよ。そういう説明はしないからね。
結局、何をやってるかといえば、たばこの問題と同じで、データをとってるだけだもん。で、コリレーションが見つかると因果関係にしちゃう。だから、たばこは肺がんになるという話になるんだよ。相関関係はあるんだけど、相関関係というのは結果であって原因じゃない。確かに、上山さん式に物事を考えるのには時間がかかる。だから、因果関係を省略してしまう。それが今の医療なんだね。
池田 その方が簡単だからね。科学も全てそうで、全部ぶった切って見るわけでしょう。個体全部を見るのは大変だから、ある部分しか見ない。たった一つの断面やデータだけを見て、それで物事全部の話をしちゃう。それって、たとえば血糖値だけを測って、この人間はどんな人間かって言ってるのと同じだよ。
養老 それを象徴してるのが、血液型性格占いってやつ。血液型で性格が決まるんだったら、精神科なんかいらねぇって(笑)。
池田 これは、資本主義経済にも言えることだと思う。本来、労働が商品に反映されて価値が決まっていたわけだけど、それがある時からぶち切れたんだよね。労働とは全然関係のないところにカネがついて、思いもよらぬものに価値がついたりする。高度資本主義というか、消費資本主義というのか。だから、実生活とか本当の自分の生きやすさ、自分の欲望とは関係ないところに価値が移ってきちゃってる。
嫌煙というのも、それがプラスの価値がある言葉だとなると、そこへ皆が流れてくる。今の不況もそうだけど、流行とか気分で世界がどんどん動いていて、実体経済を反映していないし、実際の健康や生きやすさということも反映されていないでしょう。だから、一生懸命健康になろうと思って、どんどん病気になっちゃうのが現代社会なんだよ。痩せ薬を飲んで死んじゃうなんていうのも、その典型だよ。たくさん食べてもこの薬さえ飲めば痩せるなんて、普通常識的に考えれば毒に決まってるわけだから、飲まないじゃない。それなのに、とにかく痩せるというところに価値を見いだしてしまう。その価値というのは、完全に自分の気分とは無関係なんだよね。具合も悪くないのに健康診断に行って、コレステロールが高いとか心臓が悪いとか知っても、治せないものを調べたってしょうがないじゃん。健康幻想っていうのは、現在の消費資本主義とパラレルなものだと僕は思いますね。
養老 胃カメラ飲んで食道に穴あけて入院しちゃったりしてね。元気でピンピンしてるのに、なんで胃カメラ飲まなくちゃいけないんだっていうの。
池田 ほかにもいっぱいわけのわからないものがあるでしょう? 顔を洗う高価な石鹸だとか、アロマテラピーだとか。石鹸なんて、何だってたいして変わらないのに、そういうものにすごい価値がついたりする。たばこだって、もとはそれと同じだったんだから。江戸時代はたばこを吸うと健康にいいって思われていたのに、いつの間にか健康に悪いという話になっちゃった。
たばこの場合は、副流煙で人に迷惑をかけるということがあって、それがバッシングの標的にされちゃったんだよな。世間っていうのは、必ず何かを悪いってバッシングしないと落ち着かないんだね。鈴木宗男だって叩いてよいというムードになったら、みんなで叩かずにはいられない。教育だってそうだよ。昔は受験競争や偏差値は悪いってやっていたのに、今度はゆとり教育がいけないとかいってバッシングする。ゆとり教育を言い出したのは、文部省に反対してるような連中だよ。十五の春を泣かせるな、とか言っていたのって、左翼がかった進歩的な人たちだもん。だから、文部省は隠れ共産主義者がやってんだよ、今は(笑)。だから、教育問題に関しては、左翼は大勝利を収めたわけだな。能力平等原理主義。もともと平等なはずないのにな。嫌煙運動をしてる人たちは、たばこは全ての人に悪いはずだって言う。でも、一方でたばこを吸わなきゃおかしくなって死んじゃうヤツだっているんだよ。そいつはたばこを吸ってた方がいいに決まってるんだから。
でも、バッシングしたからと言って、不思議とたばこを吸う人が減ってるわけじゃない。結構、女子学生がたばこを吸ってる姿を見かけるよ。タムロして吸ってる。
養老 俺はその方が心配だね。たばこを吸う心理っていうのは、あまり健康じゃないんだよね。要するにイライラするような時の反応なの。社会がイライラする要因をつくってるんだね。さっき話に出てきたアメリカのチェーンスモーカーなんかもそうだけどね。ただ、俺は目に見える欠点には寛大なんだよ。それがあるお陰で隠れたものが表に出ないで済んでるような気がする。絶対に完全無欠で円満衆目な人間なんているわけないんだから、目に見えて悪いことをしてるヤツほど安心できるっていうか。あいつ、あれだけ悪いことをしてるんだから、ほかではやってねぇだろうって(笑)。
いずれにせよ、原理主義に反対しようとすると、こっちも原理主義になっちゃうから、必ず議論をずらさないといけない。中国の儒教と老荘の喧嘩みたいな論争になっちゃう。今のたばこを取り巻く状況って、まさに「大道廃れて仁義あり」でしょう。
池田 歩きたばこはいけねぇって言うんだったら、走ってたばこを吸うとかな(笑)。
養老 嫌煙運動でよくあるのが、非喫煙者のきれいな肺と喫煙で真っ黒になった肺を比べたりしてるでしょう。あれだって嘘だもん。少なくとも僕が解剖で見たのは全部黒。そもそも、肺っていうのは、固形物が入っても排泄できないから溜めるんだよね。だから、粉塵でも何でも溜まって、ある年齢になると黒くなる。だから、僕なんか肺はもともと黒いものだと思ってたよ。逆に黒くない人のを見て、こんな人もいるのかと思ったくらい。つまり、証拠っていうものには、結構嘘が多いってこと。こちらに先入観があると証拠に見えてしまう。
落語家の枝雀が話の枕にうまいこと言ってたよね。人間が直立して立っているのはロケットの原理だって。前に倒れそうになると息を吐き出して、うしろに倒れそうになったら息を吸い込む。だから立ってるんだって。それが証拠にある男が息を止めたらしばらくしてバッタリ倒れましたって。ちゃんと仮説があって実験があるというわけ。科学論文を読むと、いつもこの枝雀の枕を思い出すんだよ。
虫の世界が示唆するもの
養老 以前に、新聞の連載にオーストラリアの国立研究所で虫の研究に従事してる人が四○○人いるって書いたら、知り合いから、「虫だけでそんな研究所ができるとは信じられない、何をするのか」って手紙がきたことがある。これって、世間の大方の意見だよね。もちろん虫の研究にはさまざまな意味があるのだけど、あくまでも理屈で考えようとするのが現代人で、人間自体が意味がないことをやっているように見えるとそういう質問をしたくなるんだなって思った。「何でたばこを吸うんだ。それが何の役に立つのか」って訊くのと同じ。でも、オサムシなんか見てると、本当にその多様性には驚かされるんだよね。せっかく論文を書いていても、どんどんちがったものが出てきて話の辻褄が合わなくなる。自然の面白さってまさにそれだよね。
池田 自然にとって人の都合なんか関係ないもんな。自然はそこが面白い。人間の方はルールを決めるから、ルールにないことはダメだとか言い出すんだよ。
養老 北海道から長野までのゾウムシを調べてて、この交尾器は左右非対称でねじれていて細いとか思っていたら、大台の一匹を見た瞬間にガーンって推論が崩されてしまったことがあるもん。あれには本当に驚いたね。だいたい、普通の人は虫の交尾器なんて見ないでしょう。でも、なんていうかものすごく抽象的なカタチをしてて、まったく必然なカタチじゃないんだよね。しかも、それがグループによってとんでもなくちがってる。
池田 哺乳類の交尾器って基本的にあまり変わらないけど、カミキリムシとかクワガタムシとかオサムシとかゾウムシって本当にちがうよね。何でかね。ドウキョウオサムシなんて、無闇に交尾器が大きかったり。
養老 交尾器じゃないけど、単純に胸幅と腹幅を計ってたら、標本を見てるうちに混乱してくることもある。ある種は腹幅に対して胸幅が小さいのに、ちがう種だと逆になったり。アロメトリーなの。だから二種類を比べた瞬間に混乱してしまう。人間の頭って、こういうものを比べようとすると途端におかしくなっちゃうんだよ。だから、形態ってアテにならないものだなぁって思う。
池田 絶対的な大きさって人間の眼ではわからないからね。比っていうことになると敏感なんだけど、実物を見たって、比較がなくちゃ大きいか小さいかわからない。小顔とデカ顔だって、実際に測ってみたらたいして変わらなかったり。要するに、人間の認識なんて、人間の脳の都合に整合的になっているだけだってことが、虫を見てるとつくづくわかる。たばこの問題も、じつはそういうふうに考えてみるべきなんだろうな。
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