動物は、自分のことをどう思っているか……比較認知科学から考える

藤田和生

ふじた・かずお
1953年生まれ。京都大学理学部生物学系卒。同大学院理学研究科博士後期課程修了(動物学専攻)。「少数の色刺激を用いたニホンザルの同異概念の形成に関する一研究」で理学博士。京都大学霊長類研究所助教授を経て、現在、京都大学大学院文学研究科心理学研究室教授。専門は比較認知科学。著書に『誤解だらけの“イヌの気持ち”』財界展望新社、2015、『比較行動学-ヒト観の再構築』放送大学教育振興会、2011、『動物たちのゆたかな心』京都大学学術出版会、2007、『比較認知科学への招待 「こころ」の進化学』ナカニシヤ出版、1998、編著に『動物たちは何を考えている?-動物心理学の挑戦』技術評論社、2015、他がある。
昔は「道具を使う」ということで人間と動物を区切りました。
けれども道具を使う動物はもちろんほかにもいますから、じゃあ「遊び」か、「文化」か、
「言語」かと、境界線をさまざまに引き直してきましたが、それもどんどん取り払われ、
ついに記憶や内省といった、これぞ人間という最後の砦も怪しくなってきました。

動物という贈り物……感謝・愛着・リスペクト

山口未花子

やまぐち・みかこ
1976年京都府生まれ。北海道大学大学院卒業。東北大学東北アジア研究センター研究員、北九州市立大学特任講師を経て、現在岐阜大学地域科学部助教。専門は、生態人類学、文化人類学。著書に『ヘラジカの贈り物 北方狩猟民カスカと動物の自然誌』(春風社、2014)、共著書に『人と動物の人類学』(春風社、2012)、他がある。
自分たちのことを、part of the animalという象徴的な言葉で表現しますが、
まさに、動物と共にあり、自分たちもその一部にすぎないという感覚を強くもっているようです。
自分たちは動物の一部であるというだけでなくて、動物たちも自分の一部であるような関係。
カスカのとくに古老たちは、動物をそのような存在としてとらえているということです。

動物哲学から動物の哲学へ……動物霊魂の周辺

金森修

かなもり・おさむ
1954年生まれ。東京大学教養学部教養学科フランス科卒業。東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化博士課程満期退学。博士(哲学・パリ第一大学)。筑波大学、東京水産大学の助教授などを経て、現在、東京大学大学院教育学研究科教授。専攻はフランス科学認識論、科学思想史、生命倫理学。著書に『科学思想史の哲学』岩波書店、2015、『動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学』中公新書 、2012、『ゴーレムの生命論』平凡社新書、2010、『〈生政治〉の哲学』ミネルヴァ書房 、2010、『サイエンス・ウォーズ』東京大学出版会、2000、他がある。
工場畜産も、ペットの機械化も、大量の実験動物の虐殺も、それぞれ現実的に深刻な問題です。
「動物の哲学」に存在意義があるとすれば、そうした現実の問題に向き合うこと以外にはない。
「動物の哲学」はこれからの人類、これからの世界、この生命にあふれる地球を、
われわれ人間がどのように考え、どのようにしていくか、まさにその問題に取り組む学問です。
だからこそそれにふさわしい深刻で、真剣な議論をしなければいけないと思っています。

人=動物の誘惑

 私たちが、かかわる生きものはもとより人間だけではありません。食料であり道具であり、恐怖の対象でもある生きもの。なかでも一部の動物は、現代社会において、人のパートナーであり、癒し/癒される対象であり、家族の一員でもあります。人間と同じ生きものでありながら、人間とは一線を画す動物という存在。今号は、種を超えた他者である動物について、人とのかかわりから考えます。

 動物たちのこころのなかを覗いてみたいと思いませんか。そんな語り口で、動物たちのこころの世界を紹介するのが京都大学大学院文学研究科心理学研究室教授・藤田和生氏です。近年では、動物のこころの研究は多様化し、基礎的な環境認識から思考や社会的知性、さらには感情まで大きな広がりをみせています。こうした研究領域は、とくに「比較認知科学」と呼ばれていますが、それらの最新の研究成果から、動物たちのこころは、これまで考えられていた以上に複雑で、豊かなものであることがわかってきました。動物と人を分ける垣根は、今やどんどん低くなり、ついには垣根そのものがなくなってしまった領域も出てきているようです。その一方で、基礎的な環境認識の面では、近縁の動物の間でも大きな種差があることもわかってきました。動物たちは、決して本能のおもむくままに生きているわけではありません。どの動物たちも、自身の生き方にマッチしたかたちで情報を処理し、考え、行動を調節して、環境に適応しているのです。
 動物心理学、とくに比較認知科学は、動物たちの多様なこころの働きを研究し、その似た点や異なる点を知ることを通して、こころの働きを決める要因と、こころがどう進化してきたかを明らかにしようとする学問です。その最新の知見によれば、「意識」や「内省」といった、自らのこころのなかを覗く働きさえも、もはや人だけのものではなくなりつつあるようです。
 そこで、まず藤田和生氏に比較認知科学からとらえた最新の動物像を紹介していただきます。生物進化からみれば、人も動物ももとは同じ生物として38億年という歴史をきざんできました。人と動物の境界線などそもそも引けないものであり、人と動物はその意味で限りなく近い存在であることが明らかになるでしょう。
 「子どもの頃、私はいつも動物に夢中だった。動物の本を読むこと、動物を描くこと。野外で動物を見ること、捕ってきた虫や買ってきた動物を飼うこと。私にとって動物と話すことは、手が届きそうで届かない夢だった」と。『人と動物の人類学』所収の論文「動物と話す人々」の冒頭でこう述べるのは岐阜大学地域科学部助教・山口未花子氏です。山口氏は、その希望をもち続けながら大学へ進学しましたが、ある時、北米先住民にとって動物と話すことは狩猟者に備わった能力であるという記述に出会い、人類学の世界へ踏み込んでいきました。そして、狩猟という初源的な動物と人間の関係を維持してきたカナダの先住民カスカ族に出会い、彼らの社会へ入り、約10年にわたって彼らと動物の関係について学ぶことになったのです。
 果たして、カスカの人々が動物と話す姿を確認することができたのでしょうか。その一部始終は、山口氏の著書を読んでいただくとして、ここで注目するのは、カスカの人々と動物とのかかわり方です。動物は、カスカの人々にとって最大の関心事であり、日々の生活のなかで動物の話を聞かない日はないというくらい、深く濃密な関係を取り結んでいました。そして、カスカ社会の調査のなかから明らかになったことは、カスカの人々の特異な動物とのかかわりだったというのです。その特徴を一言でいえば、動物との対称性あるいは初源的同一性を基盤とした互酬性に基づく狩猟や動物
霊、メディシン・アニマルとの交渉にあります。しかも、中核をなすものが「食べる/食べられる」という関係です。動物は彼らにとって贈与であり、自然から与えられる贈り物です。感謝し、リスペクトしながら動物を食べること。そのことにおいて、古来、人と動物が取り結んできたある濃密なかかわりが浮き彫りになるのです。
 カスカの人々にとって動物という存在はどのようなものなのか、そして、どのような意味をもっているのか。食べるという行為そのものが、動物の力を借りることだというカスカの人々の驚嘆すべき動物観が明らかになるでしょう。
 東京大学大学院教育学研究科教授・金森修氏は、著書『動物に魂はあるか 生命を見つめる哲学』で、古代ギリシア・ローマ時代から20世紀のハイデガー、デリダ、バンブネに至るまで、哲学者たちによる動物論の系譜を紐解きながら、「動物霊魂」という今ではほとんど顧みられることのない哲学的話題に注目します。動物の意識でも動物の認知能力でもない「動物霊魂」は、ヨーロッパのとくにフランスで主に17世紀前半から18世紀半ば過ぎくらいまでの時期にかけて、重要な哲学的話題の一つだったというのです。
 「動物霊魂論」とは、いかなるものか。それは、デカルトを鼻祖とするいわゆる「動物機械論」とどのような関係があるのか。金森氏は、フランス語文化圏で議論された「動物霊魂論」を通覧しながら、丹念に跡づけていきます。そして、人間未満の生きもの、動物のことを考えることは、最終的には「人間とは何か」という問いかけと重なり合っていくというのです。動物へのまなざし、その内部に開かれる人間というものの正体。金森氏の視線は、やがて現代の動物利用の実態へと向かいます。それは逆説的に現代にも生き続ける「魂」という存在を浮き彫りにします。私たちは、金森氏と共にその動物霊魂のありようを確認することになるでしょう(*)。

(佐藤真)

*金森修氏は、2016年5月26日に逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 


動物機械論を超えて

 人間とチンパンジーのDNAはほんの1%ほどしか違わない。現代の分子生物学は、人間がそれほど特殊な存在ではないことを図らずも証明してしまったのです。人間は動物にちょっと毛のはえた動物にすぎないと。
 人間を他の動物と一線を画す特殊な存在と考える伝統的な人間観は、まず自然科学の分野で崩れ始めました。今日、生命科学者の多くは、人と動物の間に分割線を引きません。そのような分割線を越えて人と動物は越境し、また、人と動物の間には多様な関係の様態を見出そうとしています。それは、人と動物の関係を研究する本丸であるところの動物学にもおよび、今や、動物のなかに人間性を、また人間のなかに動物性を見るような、新たな動物観が胎生しようとしています。
 動物への科学的関心の高まりは、やがて動物心理学と呼ばれる分野を生みました。動物心理学とは、動物のこころの働きを調べる学問領域で、なかでも比較認知科学は、こころの働きを進化のプロセスから位置づけようというものです。比較認知科学によれば、こころは人だけに特権的なものではなく、人以外の動物にもあることがわかってきました。さらにそのこころの中身も、いわゆる「知」「情」「意」を中心にしながら、それぞれに特徴をもつ多様な様態であることもわかってきたのです。こころの進化とは、こころが多様性を獲得していく過程であると述べたうえで、藤田和生氏は次のように結論します。「(こころは)人間を頂点に向上してきたのではなくて、多様に枝分かれしてきた。動物のからだが、周囲の環境に合せて多様に枝分かれしてきたように、こころも暮らす環境やそれぞれの必要に合わせて、多様に枝分かれしてできあがってきた」というのです。さらに、藤田氏は続けます。「動物でもメタ認知ができることがわかってきて、ついにそこでも人間とほかの動物を分けることができなくなってしま」った。もはや、人間と他の動物を分ける最後の砦である自己意識ですら、人間だけのものではなくなりつつあるというわけです。人と動物を切り分け、分割線を引くことによって両者の関係性は維持されてきたわけですが、自然科学はそこにメスをいれ、多様な関係性へ開かれる人と動物の新たな位相が生まれようとしています。
 じつは、同じような動きが人類学の分野でも起こっています。文明と未開という対比に依拠する文化人類学とは異なり、人間と非人間の境界に注目する新しい人類学が1990年代に勃興します。そうした新しい人類学に身を寄せて、人と動物の関係を実践的に探究しているのが山口未花子氏です。インタビューの冒頭、山口氏は次のように言います。
 「(カスカの人たちは)自分たちのことを、part of the animalという象徴的な言葉で表現しますが、まさに、動物と共にあり、自分たちもその一部にすぎないという感覚を強くもち」「自分たちは動物の一部であるというだけでなくて、動物たちも自分の一部である」。カスカの人々はそのような関係として人と動物を見ているというのです。カスカの人々とつきあいながら、山口氏は、そうした関係が動物を食べるという行為によって維持され、その根底に動物霊、メディシン・アニマルとの交渉があることを発見します。山口氏は言います。「狩猟活動自体が、動物を見つけ出し追いかけ殺すという身体的な活動ですが、同時にメディシン・アニマルや捕獲する動物の霊と交渉し、待ち合わせた場所で出会い、儀礼としての殺しと解体を行うことによって、動物との連続性を維持するといういわば宗教的実践」だというわけです。
 動物と人との関係が固定されたものでなく、初源的には同一であるような、あるいは活動を通して人と動物が重なるような世界観。そこに見出せるのは、人と動物の対称性であり、行為主体性としての人=動物です。
 人も動物であり、動物も人であるという錯綜的・混淆的な関係性。しかし、一度現代社会という位相に置き直されるとこの関係はまったく異なる様相を呈します。人と動物の連続性とその断絶、この事態こそ今まさに起こっているもう一つの現実です。
 金森修氏はデカルトに端を発する動物機械論にふれて次のように言います。「人間が機械なら動物も機械でしょう。人間や動物の苦しみというものは、歯車が軋んでいるのと何ら変わらないと極論することで、人間や動物に対する見方や感覚をいったん遮断しようとしたわけです」。こうして動物機械論は動物霊魂論との議論を通してヨーロッパの17、8世紀を席巻しますが、その事情についてはインタビュー記事に委ねるとして、ここで問題にするのは、この動物機械論が新たな位相のもとで復活しているという事実です。
 「動物機械論が出てきた時、それに対抗するかたちで動物霊魂論が立ち上がったように、現代の生命科学が明らかにする〈動物と人間の間に境界はない〉ということに対して、それを人間はどうとらえたらいいのかを、今、いろんなかたちで議論している」のが現代ではないかというのです。より具体的に金森氏は指摘します。食のグローバル化が工場畜産を激増させています。これこそ現代化された動物機械論であり、ペットの機械化、大量の実験動物の虐殺も同様ではないかと。「人間の生活にフィットする特定の変種をどんどんつくって、人間の感情に潤いを与え、あるいは孤独な老人を癒すコンパニオンアニマルに仕立てる。これも現代的な動物機械論の表れの一つと言えるのではないでしょうか」。金森氏は続けます。「科学は、片方で人間と動物はそんなに違わないといいながら、もう片方では、どの時代よりも過酷に動物を〈利用〉している」と。そして、「動物の哲学」は、まさにこのような問題に取り組む学問だとインタビューを締めくくりました。
 動物とは何か。人と動物の相違点は何か。あるいは人と動物はどのような関係を築けるか——。こうした問いかけは、最終的には「人間とは何か」という問いかけと重なります。人と動物のかかわりを探り深めていくこと。それは人間をめぐる問いかけの変奏でもあるのです。

(佐藤真)

◎動物のこころを探る

『イヌのこころ』を科学する 誤解だらけの“イヌの気持ち” 藤田和生 財界展望新社 2015
動物に心はあるのだろうか? 初めての動物行動学 松島俊也、佐竹政紀 朝日学生新聞社 2014
動物たちの心の科学 仲間に尽くすイヌ、喪に服すゾウ、フェアプレイ精神を貫くコヨーテ M・ペコフ 高橋洋訳 青土社 2013
魚は痛みを感じるか? V・プレイスウェスト 高橋洋訳 紀伊國屋書店 2012
比較行動学 ヒト観の再構築 藤田和生 放送大学教育振興会 2011
イカの心を探る 知の世界に生きる海の霊長類 池田譲 NHKブックス 2011
ダンゴムシに心はあるのか 新しい心の科学 森山徹 PHPサイエンスワールド新書 2011
生き物はどのように世界を見ているのか 様々な視覚とそのメカニズム 日本動物学会関東支部編 学芸出版センター 2011
共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること F・ドゥ・ヴァール 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2010
動物たちの心の世界(新装版) M・S・ドーキンス 長野敬訳 青土社 2005
生物から見た世界 ユクスキュル/クリサート 日高敏隆、羽田節子訳 岩波文庫 2005
チンパンジーの心 松沢哲郎 岩波現代文庫 2000
考えるサル 知能の進化論 R・バーン 小山高正、伊藤紀子訳 大月書店 1998
比較認知科学への招待 「こころ」の進化学 藤田和生 ナカニシヤ出版 1998
ゾウがすすり泣くとき 動物たちの豊かな感情世界 J・M・マッソン、S・マッカーシー 小柴直訳 河出書房新社 1996
野生チンパンジーの世界 J・グドール 杉山幸丸、松沢哲郎監訳 ミネルヴァ書房 1986

◎人・動物・自然

森は考える E・コーン 奥野克巳、近藤宏他訳 亜紀書房 2016
雑誌『現代思想』3月臨時増刊号 vol.44-5「総特集 人類学のゆくえ」 青土社 2016
ヘラジカの贈り物 北方狩猟民カスカと動物の自然誌 山口未花子 春風社 2014
食人の形而上学:ポスト構造主義的人類学への道 E・V・デ・カストロ 桧垣立哉、山崎吾郎訳 洛北出版 2015
人と動物の人類学 奥野克巳、山口未花子他編著 春風社 2012
人と動物、駆け引きの民族誌 奥野克巳編著 はる書房 2011
ぼくらはそれでも肉を食う ヒトと動物の奇妙な関係 H・ハーツォグ 山形浩生、守岡桜他訳 柏書房 2011
現実批判の人類学 新世代のエスノグラフィへ  春日直樹編 世界思想社 2011
人=間の人類学 内的な関心の発展と誤読 中野麻衣子、深田淳太郎共著 はる書房 2010
人と動物の関係学1 動物観と表象 奥野克巳、秋篠宮文仁編 岩波書店 2009
贈与論 M・モース 吉田禎吾、江川純一訳 ちくま学芸文庫 2009
汚穢と禁忌 M・ダグラス 塚本利明訳 ちくま学芸文庫 2009
北の民の人類学 強国に生きる民族性と帰属性 煎本孝、山田孝子編 京都大学学術出版会 2007
カナダ・イヌイットの食文化と社会変化 岸上伸啓 世界思想社 2007
動物感覚 アニマル・マインドを読み解く T・グランディン 中尾ゆかり訳 日本放送出版協会 2006
レヴィ=ストロース講義 C・レヴィ=ストロース 川田順造、渡辺公三訳 平凡社 2005
カイエ・ソバージュ5 対称性人類学 中沢新一 講談社選書メチエ 2004
カイエ・ソバージュ2 熊から王へ 中沢新一 講談社選書メチエ 2002
クマにあったらどうするか アイヌ民族最後の狩人 姉崎等 木楽舎 2002
内なる島 ワタリガラスの贈り物 N・リチャード 星川淳訳 めるくまーる 1999
文化の自然誌 煎本孝 東京大学出版会 1996
動物論 思考と文化の起源について P・シェパード 寺田鴻訳 どうぶつ社 1991
野生の思考 C・レヴィ=ストロース 大橋保夫訳 みすず書房 1976
蛸 想像の世界を支配する論理をさぐる R・カイヨワ 塚崎幹夫訳 中央公論社 1975

◎動物を哲学する

動物論三篇(新版アリストテレス全集10) アリストテレス 内山勝利、神崎繁訳 岩波書店 2016
動物を追う、ゆえに私は〈動物〉である J・デリダ 鵜飼哲訳 筑摩書房 2014
思考する動物たち 人と動物の共生を求めて J・C・バイイ 石田和男、山口俊洋訳 出版館ブック・クラブ 2013
動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学 金森修 中公新書 2012
開かれ 人と動物 G・アガンベン 岡田温司訳 平凡社 2011
動物の解放 P・シンガー 戸田清訳 人文書院 2011
ゴーレムの生命論 金森修 平凡社新書 2010
雑誌『現代思想』7月号 vol.37-8「特集 人間/動物の分割線」 青土社 2009
動物たちの沈黙 E・ド・フォントネ 石田和男、小幡谷友二他訳 彩流社 2008
動物の命は人間より軽いのか 世界最先端の動物保護思想 M・ペコフ 藤原英司、辺見栄訳 中央公論新社 2005
存在と時間 上下 M・ハイデッガー 細谷貞雄訳 ちくま学芸文庫 1997
人間 その本姓および自然界における位置 A・ゲーレン 平野具男訳 法政大学出版局 1985
デカルト著作集1~4 三宅德嘉、所雄章他訳 白水社 1973
霊魂論・自然学小論集・気息について(アリストテレス全集6) アリストテレス 山本光雄、副島民雄訳 岩波書店 1968

return