自分のつくウソに喜んで騙される私とはどういう人なのか

堀内進之介

ほりうち・しんのすけ
1977年大阪府生まれ。明治学院大学卒業。東京都立大学大学院を経て首都大学東京大学院人文科学研究科社会行動学専攻博士後期課程単位取得退学。博士(社会学)。現在、首都大学東京客員研究員、現代位相研究所首席研究員などを務める。専門は政治社会学、批判的社会理論。著書に『人工知能時代を〈善く生きる〉技術』集英社新書、2018、『AIアシスタントのコア・コンセプト 人工知能時代の意思決定プロセスデザイン』ビー・エヌ・エヌ新社、2017(共著)、『感情で釣られる人々 なぜ理性は負け続けるのか』集英社新書、2016、『知と情意の政治学』教育評論社、2016、他がある。
問題は、理性か感情かではなく、
そのどちらか一方をポジティブとかネガティブであると価値付けて称揚したり退けたりすることでもなく、
ましてや理性的でなければ社会ではないとか、感情的社会こそ理想だと極め付けることでもない。
そうではなく、どちらにしてもあれば幸い、
なくても困らない社会や産業のシステムをどう考えていくか、だと思う。

つながり過剰症候群……ともだち探しという明るい地獄

土井隆義

どい・たかよし
1960年山口県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士課程単位取得退学。現在、筑波大学人文社会系教授(社会学)。著書に『つながりを煽られる子どもたち ネット依存のいじめ問題を考える』岩波ブックレット、2014、『キャラ化する/される子どもたち 排除型社会における新たな人間像』岩波ブックレット、2009、他がある。
弾かれることを避けるために何をすべきか。
一つは、目立たないようにすることです。
個性をできるだけ抑え込み、周りから浮かないようにすること。
そうやって自分のポジションを維持し続けようとする。
そのことが、結果的に人間関係に対するウェイト付けを高めていくことになります。
つながり依存とは、その一つの表れだと思います。

やさしい世間はどこにある?……〈空気読め〉の構造からの脱却

佐藤直樹

さとう・なおき
1951年宮城県生まれ。新潟大学人文学部法学科卒業後、九州大学大学院博士後期課程単位取得退学。九州工業大学名誉教授・現代評論家。専門は刑事法学、世間学、現代評論。1999年「日本世間学会」初代代表幹事。著書に、『目くじら社会の人間関係』講談社+α新書、2017、『犯罪の世間学 なぜ日本では略奪も暴動もおきないのか』青弓社、2015、『なぜ日本人は世間と寝たがるのか 空気を読む家族』春秋社、2013、『なぜ日本人はとりあえず謝るのか 「ゆるし」と「はずし」の世間論』PHP新書、2011、『暴走する「世間」で生きのびるためのお作法』講談社+α新書、2009、『暴走する世間』パジリコ、2008、『世間の目 なぜ渡る世間は「鬼ばかり」なのか』光文社、2004、『「世間」の現象学』青弓社、2001、他がある。
http://www.satonaoki.com/
「呪術性」、「贈与・互酬の関係」、「身分制」、
そして、個人の不在・人間平等主義・ウチとソトの区別を含む「共通の時間意識」。
部分的には欧米にも見られますが、この4つ全部のルールを合わせもつ社会は、日本だけのものです。
この4つが合わさったものが「世間」であり、
今やその「世間」を背景に、「共感過剰シンドローム」が、どんどん増幅し、暴走し始めているのです。

「感情的」の背後にあるもの

感情体験を売れ
 最近の新聞(アメリカ)の映画広告を見てみると、たいてい感想コメントが載っています。「目を疑う」「激しい」「予測不能」「心に響く」「心臓バクバク」「リアル」「とてつもない満足感」等々。著名な評論家の一言ばかりではなく、「このひと誰?」と聞きたくなるような人のコメントもたくさん載っています。土曜の夜にどの映画を観ようかと迷っている人のほとんどが、これらのコメントを読んで、今夜はこれにしようと決めるのでしょう。
 コメントの特徴は、どれも感情的でワンフレーズ。その映画を観ることで得られる感情的体験を約束しているのです。そこで、売られているのは何か。ずばり「感情」です。それこそが、観客が望んでいるものだといわんばかりに著者は力説します。映画は感情商売であり、脚本家の仕事は、読者の感情をかき立てることなのだというのです(1)。
 これは、アメリカの脚本家であり脚本コンサルタントであるカール・イグレシアス著『「感情」から書く脚本術』のイントロダクションの抜粋(若干表現を変えました)です。この本、サブタイトルに「心を奪って釘づけにする物語の書き方」とあります。映画の脚本にとってもっとも大事なのは「感情」であり、それはより具体的に、「感情的体験」に他ならないというのです。

問題は感情ではなく、感情的
 昨今、感情をタイトルに冠した書籍をよく見かけます。試みにAmazon で「感情」をキーワードに検索してみたら、軽く4桁のオーダーでヒットしました。心理学やその周辺の書籍が圧倒的に多いのですが、なかでもとくに目立つのは、処方箋に類するものです。つまり、感情とどうつきあうかとか感情的にならないためにできることとか、その類の本がじつに多い。しかも、その多くは、「負の感情」「困った感情」「やんちゃな感情」といったどちらかというと感情のネガティブな側面にスポットをあてたものです。喜びや楽しみがあるから人生は豊かになり、悲しみや怒りも、時には生きる糧にもなる。感情は生きるうえで非常に重要な役割を果たしています。しかし、そんな大事な感情も、過剰になりすぎると苦しみや後悔を生み、時には信じられないほど愚かな判断をしてしまうこともある。要は、理性とのバランスで、感情が突出してバランスを失うと問題行動につながるというわけです。
 精神科医の和田秀樹氏は、普段は考えられないような愚かな判断を「感情バカ」と呼び、そうならないための処方箋を説きます(2)。ある種の感情の有無・多寡によって、人の判断は違ったものになる。本来は正しい判断ができるだけの知的能力があるはずの人が、時に誰が見ても「おかしい」と思うような判断をしてしまうのは、感情の影響が大きいと和田氏は言います。
 もとより、感情をもたない方がいいと言いたいわけではありません。喜怒哀楽などの感情をもつのは、人にとってごく当たり前のことであり、そもそも感情をもたないことなどできません。それどころか、感情があるからこそ人生は楽しいし、豊かな気持ちになるのです。恋愛することができるのも「好き嫌い」という感情があるからです。
 広辞苑で感情をひいてみると「喜怒哀楽や好悪など、物事に感じて起こる気持ち」とあります。さらに感情的という言葉もありますが、こっちは「理性を失って感情に片寄るさま」とあります。 感情コントロールがうまくできない状態が「感情的」です。つまりこういうことです。「感情」が悪いのではなく、「感情的」になるのがよくないということです。

感情コントロールの利く人、利かない人
 そもそも感情というは誰もが知っていて、日常的に何の問題もなく使われている言葉です。しかし、では感情とはいかなるものかと問おうとすると、じつはまだよくわかっていないのです。精神医学や心理学、あるいは最新の脳科学をもってしても、その定義すらはっきりしない、と和田氏は言います。とはいえ、感情的になるという状態に対して、世間一般のイメージはほぼ同じだと思われます。感情的な人とは、感情がそのまま言動に出てしまう人、すなわち、すぐに怒鳴る人、泣いてはいけない場所で大泣きする人、わめいたり、カッとなってすぐ手が出てしまう人……、こういう人たちを私たちは感情的な人と捉えているようです。
 感情そのものはまだ解明されていませんが、人が「感情的」になるプロセスは、脳科学である程度説明できるようです。感情は、基本的に大脳辺縁系、とくに扁桃体というところでつくられるとされています。つまり、私たちの怒り、喜び、悲しみ、恐れなどは、大脳辺縁系と密接に関係しているというわけです。
 私たちの脳(大脳)は、大きく分けると「大脳皮質(新皮質)」「大脳辺縁系(脳の古い層)」「脳幹」という三つの部位で成り立っていて、それぞれに役割があります。外側の「大脳皮質」は、思考や判断、言語機能などの精神活動の中心的な働きを司っています。その内側にある大脳辺縁系は、記憶と感情に関することを司っています。「脳幹」は脳と脊椎を結んでいるもので、生命維持に関することを司っています。
 和田秀樹氏は次のように言います。
 「たとえば、怒りが大脳辺縁系で生じると、交感神経を刺激したり、あるいは体のいろいろなところに命令が行って、表情をつくったり、怒鳴りつけたいといった行動になります。怒鳴りつけるとは、怒りという感情を言語として表すわけですから、言語を司る大脳皮質も絡んできます」
 ところが、大脳皮質は、これまでの経験をもとにして感情の暴走に歯止めをかけます。いわゆる理性的な行動を取らせようとするわけです。言い換えれば、感情の行動化にブレーキをかけるのが大脳皮質で、その意味では、感情のコントロール役を大脳皮質が引き受けているということになります。
 「感情的であるとは、大脳辺縁系でつくられる感情のテンションが高い状態だけを言うのではありません。感情のテンションがそれほど高くなくても、大脳皮質下のブレーキがあまり利いていない状態も、感情的になっていると言えるわけです。それと反対に、感情のテンションが高くても、大脳皮質のブレーキの性能が良ければ、そこで制御が利くので、怒鳴るという行為にまでは至らないということになります」(和田秀樹氏)
 つまり、脳科学の立場で見れば、感情的な人とは、感情のテンションが高い人だけでなく、大脳皮質による感情のブレーキがうまく働かない人も含むと考えた方がいいでしょう。

感情偏重社会の落とし穴
 近年、日常生活のさまざまな場面において、理性よりも「感情」に訴える主張が注目を集めています。そこで、今号は、感情の評価についてはいったん棚にあげて、そもそもなぜ感情がこれほど注目されるようになったのか、その背後には何があるのか、主に社会との関係から考えてみようと思います。
 2002年にノーベル経済学賞を受賞した心理学者で行動経済学の提唱者でもあるダニエル・カーネマンは、理性は、感情をコントロールするどころか、むしろ「理性は感情の奴隷である」と発表し大きな話題になりました。カーネマンは、人間が何かしらの情報を処理する過程は、感情(システム1 ファスト)と、理性(システム2 スロー)の二つのシステムからなっており、理性(システム2)は期待されるほどには優れておらず、むしろ感情(システム1)に左右されていることを明らかにしました。
 理性(システム2)への信頼の喪失と、情報処理における感情(システム1)の再評価もあって、近年人間の感情的な共感能力に期待する考え方が、理性を重視する考え方にとって代わろうとしているといわれています。そのうえで、感情の働きが重要であればあるほど、人間が感情的な動物であることの負の側面をしっかり見ておくべきだと主張するのは、現代位相研究所・主席研究員で政治社会学者の堀内進之介氏です。まず、堀内氏に理性よりも感情の働きを重視する現況について報告いただき、ともすると感情への期待を逆手に取られ、国家や市場、共同体に都合よく動員されかねない危険性について考察していただきます。
 そうした感情への期待あるいは感情の奴隷化は、人のつながりを過剰に重視するあまり、つながり依存、さらにはそこから派生するつながり過剰症候群を引き起こすと危惧するのは、筑波大学人文系教授で社会学が専門の土井隆義氏です。しかもつながり依存は、一見相反するように見えるいじめと根の部分を共有しているという事実を土井氏は明らかにしました。そこで、現代の若者たちの置かれている環境を感情偏重社会と捉えたうえで、つながり依存といじめのつながりについて考察していただきます。
 昨今、「不謹慎狩り」が猛威をふるっていると言います。九州工業大学名誉教授で現代評論家の佐藤直樹氏は、「不謹慎狩り」の奇妙さに注目し、そこに「空気を読む」ことを最重要視する「世間」の存在を見出しておられます。常に「空気を読む」ことを強いられる日本人と「世間」の関係について、とくに感情強要とのかかわりからお話しいただきます。

(佐藤真)
引用・参考文献
1 カール・イグレシアス 島内哲朗訳『「感情」から書く脚本術 心を奪って釘付けにする物語の書き方』(フィルムアート社 2016)
2 和田秀樹『感情バカ 人に愚かな判断をさせる意識・無意識のメカニズム』(幻冬舎新書 2018)


感情の何が問題なのか

理性を働かさなくてもいい社会
 「人間の社会はずっと感情的で、だからこそ理性的であろうと試行錯誤してきたのだろうと思います」。インタビューの冒頭、堀内進之介氏はそう切り出しました。しかし、今は感情への期待感が非常に強い。それは、理性への信頼が薄れてきたからではないかと言うのです。アダム・スミスは著書『道徳感情論』で、感情が作用し合った結果、社会秩序が形成されるとして、その中心概念に「共感(sympathy)」を置きましたが、この共感こそ、現代社会で求められている感情の代表だというのです。
 ただ、堀内氏は、こうした感情への過剰な期待には懐疑的です。というのも、確かに理性は弱いかもしれない。けれども、理性には反省機能が備わっています。十分に機能すれば、社会を見直す働きをもっています。それに対して、感情にはこの反省機能がありません。たとえば直感のような情報処理は反省にはまったく不向きだというのです。とはいえ、単純に理性に期待するわけにもいかない。では、どうすればいいのか。堀内氏は提案します。まず、理性/感情のどちらか一方に加担し称揚することはやめようと。社会は理性的であるべきだという固定観念や逆に感情的社会こそ理想だとする極め付けをいったん反故にして、理性・意思力を発揮するのではなく、むしろ節約することを考えるべきではないかというのです。理性や意思力を使わないですむなら、それに越したことはない。むしろ、人ががんばらなくても、スムーズに回っていく社会や産業システムへ転換すべきだというのです。そして、それは同時に人間中心主義を抜本的に見直すことになるだろうというのです。
 環境や道具や技術は人間によってつくられます。同様に、人間もまた環境や道具や技術によってつくられるのです。人間らしさや自分らしさ、感情や理性を過剰に強調するよりも、人間それ自体を環境や技術と等価に捉えること、そういう発想こそが、これからの社会を良くしていくのではないかと堀内氏は話を結びました。

歴史性を失うことの危うさ
 「つながっていたい」というメンタリティはどのようなものか、またいつ頃から日本人はそうしたメンテリティをもつようになったのでしょうか。土井隆義氏は、80年代からの価値観の多様化と流動化が大きく影響していると言いました。それまでは、普遍的な信念や道徳が価値の基準をなしていて、人々はそれを内面化し、それに依存していれば安定していたのですが、80年代以降急速に価値観の多様化・流動化が進み、信念や道徳といった、すなわち絶対的な基準がなくなってしまった。絶対的な基準が存在しない以上、何かに頼らざるを得ない。その個別具体的な存在が親しい人や身近な人だったのだろうというのです。つながり依存は、まさにそうした状況を反映したものだというのです。
 つながるという感覚が共感であり、感情共有が起こっている瞬間のことです。ただそこには落とし穴もあります。なぜなら、共感はあくまでも感情を共有しているだけで、意味を伝えているわけではないからです。意味とは、知的な基盤であり知識のストックです。ところが、感情にはそうした基盤もストックもありません。意味内容が共有されないということは、そうした蓄積、言い換えれば歴史性を失うことになります。その結果、人生も単なるエピソードの羅列になってしまう。それは、その人をかたちづけているその人自身を失うことにもつながります。個人のなかから歴史感覚が消えていくことがどれだけ深刻なことか、私たちは今一度考えていく必要があるでしょう。

やさしい世間へ
 日本は、上部構造としての社会の土台部分に、常に世間が控えているという二重構造になっています。世間がホンネで、社会はあくまでタテマエに過ぎない。この二重構造が明治以降現在まで、ほとんど変わらずにあるというところに、最大の問題があると佐藤直樹氏は言いました。欧米ほど人種や民族は多様ではないし、宗教にも深刻な対立はない。係留先としてのよりどころは結局、世間に落ち着くというわけです。ここ20年のあいだに起こっていることは、この世間の肥大化と、暴走だと佐藤氏は指摘します。
 日本社会には、呪術性、贈与・互酬の関係、身分制、共通の時間意識という4つのルールがあるといいます。そしてこの4つのルールを併せもつのがまさしく世間であり、そこには強力な同調圧力が発生するというのです。世間の一体感を背景にもつ「共感過剰シンドローム」は、今日ますます増幅し、暴走しつつあるという。しかし、だからといっていまさら世間からのがれることができないとしたら、ではどうするか。佐藤氏は、近代以前の「やさしい世間」を復活させようと提言します。世間そのものを変えることがムリであるならば、世間という枠組みを変えればいいのではないか。すなわち、居心地が良く、風通しの良い、人々が自由闊達に生きられる、かつてあった世間を再構築すればいいのではないか。空気を読むことを厳しく要求する近代の「厳しい世間」ではなく、近代以前にあった相互扶助的で共生型の、それは「やさしい世間」の復活です。
 土井氏のいう意味の伴わない共感に偏った、つながり依存の危険性を認識し、「厳しい世間」のもつ同調圧力を意識的に制限する。その先に見えてくるのが、相互扶助と共生感情に基づく「やさしい世間」であり、これこそ堀内氏のいう人間中心主義からの脱却にも通じるヴィジョンになるのではないでしょうか。

(佐藤真)

◎感情の哲学、感情の科学

感情の哲学 分析哲学と現象学 西村清和 勁草書房 2018
感情バカ 人に愚かな判断をさせる意識・無意識のメカニズム 和田秀樹 幻冬舎文庫 2018
「感情」の解剖図鑑: 仕事もプライベートも充実させる、心の操り方 苫米地英人 誠文堂新光社 2017
情動の哲学入門 価値・道徳・生きる意味 信原幸弘 勁草書房 2017
感情ことば選び辞典 学研辞典編集部編著 学研プラス 2017
情動の社会学 ポストメディア時代における“ミクロ知覚”の探求 伊藤守 青土社 2017
感情の脳科学 いま、子どもの育ちを考える 中村俊 リーダーズノート 2015
感情とは何か プラトンからアーレントまで 清水真木 ちくま新書 2014
感性の限界 不合理性・不自由性・不条理性 高橋昌一郎 講談社現代新書 2012
感情心理学・入門 大平英樹編 有斐閣 2010
世界は感情で動く 行動経済学からみる脳のトラップ M・モッテルリーニ 泉典子訳 紀伊国屋書店 2009
感情 D・エヴァンス 遠藤利彦訳 岩波書店 2005
感じる脳 情動と感情の脳科学 よみがえるスピノザ A・R・ダマシオ 田中三彦訳 ダイヤモンド社 2005
エモーショナル・ブレイン 情動の脳科学 J・ルドゥー 松本元、小幡邦彦他訳 東京大学出版会 2003
感情と心理学 発達・生理・認知・社会・臨床の接点と新展開 高橋雅延、谷口高士編著 北大路書房 2002
感情の科学 心理学は感情をどこまで理解できたか R・R・コーネリアス 齊藤勇監訳 誠信書房 1996
対人行動学研究シリーズ4 感情と行動・認知・生理 感情の社会心理学 土田昭司、竹村和久編著 誠信書房 1996
喜怒哀楽の起源 情動の進化論・文化論 遠藤利彦 岩波科学ライブラリー 1996


◎ポジティブ感情とネガティブ感情

人生を危険にさらせ! 須藤凛々花、堀内進之介 幻冬舎文庫 2017
ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則 B・フレドリクソン 植木理恵監訳 早川書房 2017
実践ポジティブ心理学 幸せのサイエンス 前野隆司 PHP 新書 2017
感情で釣られる人々 なぜ理性は負け続けるのか 堀内進之介 集英社新書 2016
知と情意の政治学 堀内進之介 教育評論社 2016
ネガティブな感情が成功を呼ぶ R・B・ディナー 高橋由紀子訳 草思社 2015
自信がない人は一流になれる T・チャモロ- プリミュージク 桜田直美訳 PHP 研究所 2015
ネガティブシンキングだからうまくいく35の法則 森川陽太郎 かんき出版 2013
成功するにはポジティブ思考を捨てなさい 願望を実行計画に変えるWOOP の法則 G・エッティンゲン 太田直子訳 日本実業出版社 2010


◎つながり依存

〈つながり〉の現代思想 社会的紐帯をめぐる哲学・政治・精神分析 松本卓也、山本圭編著 明石書店 2018
スクールカーストの正体 キレイゴト抜きのいじめ対応 堀裕嗣 明治図書出版 2017
つながりを煽られる子どもたち ネット依存といじめ問題を考える 土井隆義 岩波ブックレット 2014
ソーシャルメディア中毒 つながりに溺れる人々 高橋暁子 幻冬舎エディケーション新書 2014
つながりっぱなしの日常を生きる: ソーシャルメディアが若者にもたらしもの D・ボイド 野中モモ訳 草思社 2014
若者の気分 学校の「空気」 本田由紀 岩波書店 2011
「つながり」を突き止めろ 入門! ネットワークサイエンス 安田雪 光文社新書 2010
キャラ化する/される子どもたち 排除型社会における新たな人間像 土井隆義 岩波ブックレット 2009
ともだち地獄 「空気を読む」世代のサバイバル 土井隆義 ちくま新書 2008
ともだち幻想 人と人の〈つながり〉を考える 菅野仁 ちくま新書 2008
友情を疑う 親しさという牢獄 清水真木 中公新書 2005


◎世間、目くじら社会、KY

目くじら社会の人間関係 佐藤直樹 講談社現代新書 2017
犯罪の世間学 なぜ日本では略奪も暴動もおきないのか 佐藤直樹 青弓社 2015
なぜ日本人は、世間と寝たがるのか 空気を読む家族 佐藤直樹 春秋社 2013
世間はやかん 立川談志 春秋社 2010
「空気」と「世間」 鴻上尚史 講談社現代新書 2009
暴走する「世間」 世間のオキテを解析する 佐藤直樹 バジリコ 2008
世間学への招待 阿部謹也 青弓社 2002
「世間」とは何か 阿部謹也 講談社現代新書 1995
「空気」の研究 山本七平 文春文庫 1983


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