感情の誕生……赤ちゃんはいつから感情をもつようになるのか

板倉昭二

いたくら・しょうじ
1959年大分県生まれ。横浜国立大学教育学部卒業。京都大学大学院理学研究科霊長類学専攻・博士課程修了。理学博士。現在、京都大学大学院文学研究科教授。専門は、発達科学。著書に『心を発見する心の発達』京都大学学術出版会、2007、『「私」はいつ生まれるか』ちくま新書、2006、編著書に『発達科学の最前線』ミネルヴァ書房、2014、他がある。
理解の発達はいつから始まるのでしょうか。
「心の理論」では、2歳を越える頃になると、自分の欲求と
他者の欲求が異なることを知っていて、自分の好きなものに引きずられることなく、
他者の好きなものを答えることができるようになるといいます。
こうして他者と自分の欲求を区別し、
他者の知識の理解や誤信念の理解へと続いていくと考えられます。
このように、「心の理論」は、赤ちゃん学においては、まさに発達の過程、
とりわけ心の発達について数多くの知見を提供するものと考えられます。

感情はどこにあるのか……二つの脳から考える

渡辺正峰

わたなべ・まさたか
1970年千葉県生まれ。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。同助手・助教授、カリフォルニア工科大学留学などを経て、現在、東京大学大学院工学系研究科システム創成学専攻准教授およびドイツのマックス・プランク生物サイバネティックス研究所客員研究員。専門は認知神経科学。博士(工学)。著書に『脳の意識、機械の意識 脳神経科学の挑戦』、中公新書、2017、共著に『イラストレクチャー認知神経科学』オーム社、2010、『理工学系からの脳科学入門』東京大学出版会、2008、他がある。
感情も、視覚や聴覚、触覚などと同様に、
脳の高次の部位が行うシミュレーションと共に生じるのではないか。
たとえば、感情は、視覚ニューロンから受け取った情報に、
扁桃体が反応して発汗や心拍数の上昇という身体反応を起こす。
それをシミュレーションする前頭前野があるからこそ、
意識としての「怖い」などの感覚が生じる。
であれば、意識のハード・プロブレムが解ければ、
同じような難しさをもつ感情のハード・プロブレムも、解けるのではないか、と考えています。

感情と情動……自己が自己を物語る時

信原幸弘

のぶはら・ゆきひろ
1954年兵庫県生まれ。東京大学教養学部教養科卒業。同大学院理学系研究科科学史・科学基礎論専攻博士課程単位取得退学。博士(学術)。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は科学哲学、心の哲学、認知科学の哲学。著書に、『情動の哲学入門 価値・道徳・生きる意味』勁草書房、2017、『意識の哲学 クオリア序説』岩波書店、2002、『考える脳 考えない脳』講談社現代新書、2000年、『心の現代哲学』勁草書房、1999、共編著に『シリーズ新・心の哲学』全3巻、勁草書房、2014、『脳神経科学リテラシー』勁草書房、2010年、『脳神経倫理学の展望』勁草書房、2008年、他多数。
人間が動くのは、最後は情動で動くのであって、決して理性で動くわけではない。
だから最後は自分自身の情動を動かさなければいけない。
そしてその情動が捉える価値は自分のあり方に相対的な価値です。
その意味で、それはまさに、究極的な相対主義と言えるかと思います。
しかし、それは決して価値を自分の認識に相対的だとする主観主義ではありません。
あくまでも、客観的な相対主義です。

感情とは、
「私とは何者か」という問いへの応答である

もどかしさの源流
 感情とは何か。この問いに答えようとあまたの哲学者は格闘してきました。西洋の哲学の歴史は、いわば感情をめぐる精神の遍歴だったとすら言えるでしょう。喜びや悲しみ、怒りや恐れ、驚きや嫌悪…、生きている限りこうしたさまざまな感情が心に去来します。私たちは、悩み、苦しみ、あるいは乗り越えながら、こうした感情を日々経験として蓄積し、記憶化していく。その経験、記憶そのものが、そのひとにとっての感情の実相であり、あえて言えば、そのひと自身のあり方になっている。この「あり方になっている」というところに感情のもっとも大きな特徴が表れている、と言ったのは哲学者の清水真木氏でした。
 「感動の正体は、映画を見て感動した私たち一人ひとりのあり方を示し、自己了解の手がかりとなるもの」であり、「それとともに、感動は、表現を与えられ、他人と共有されることにより、普遍的な意義を獲得」する。「感情は、私のあり方と世界のあり方とを同時に指し示すものものであり、この意味において、共有されることにより初めて意味を持つもの」だと清水氏は言います(1)。
 いい映画を観た後、その映画について熱く語ったという経験は誰にでもあることです。お芝居や音楽ライブ、あるいはいい絵画作品でもいい。これはすごいと思ったものは、語らずにはいられなくなるものです。語っても語っても語り尽くすことができないもどかしい気持ち。そのもどかしい感じに突き動かされる時、私たちは間違いなく感情に支配されているのです。
 感情は、独特な性質をもっています。この性質があるからこそ、感情は気分や知覚と区別されるわけですが、では、その独特な性質とはいかなるものでしょうか。
 「感情を惹き起こす原因となるものが何であるとしても、感情が心に生まれるためには、感情の原因となる事柄が〈私〉のあり方との関連において、その都度あらかじめ把握されていなければな」らず、これは、「感情を知覚や気分から区別する標識」だという(1) 。感情とは、「私とは何か」を教えてくれる当のものであり、「私とは何者なのか」という問いに対する答えは、感情として与えられる。ここに感情の特異さとある種のわかりにくさがあるのだと思われます。感情の本性を問うそのこと自体を私たちは感情として受け止めなければならない。すなわち、感情とは何かと問うことが、感情とはこのようなものであるという答えになっているのです。

感情・行動・価値の三すくみの関係
 私たちは、楽しいとか悲しいとか、あるいは怒ったり恐れたりしながら、日々生活しています。自分自身の心の状態をできるだけ詳細に振り返ってみるとすぐにわかることは、こうした感情をもたずに生活することなどないということです。
 こころみに過去の記憶を思い出して見ましょう。どの記憶も、必ずといっていいほど感情が伴っていることがわかります。そしてほとんどの場合、感情は行動を決定付ける重要な要素となっています。しかも、ある事柄に対しては、どうしても避けたいとか、逆に、媚を売ってでも近づきたいとか、そこでの行動は、必ず価値観が絡んでいます。私たちの行動は、感情の反映でもあり、価値付けでもあるのです。
 私たちの行動にバリエーションが見られるとすれば、それは、その行動と寄り添う同じだけの感情があるからに他なりません。言わば感情の数だけ行動様式もあり、それらはある程度カテゴライズされています。つまり、感情の種類が行動様式を規定し、それぞれに価値が配分されているわけです。行動と価値付けの、いうなればその間に、その両者のつなぎ役として、感情(というフェイズ)が控えているのです。感情のわかりにくさは、この構造にあるといってもいいわけで、その意味で、価値と感情、価値と行動を読み解くことがこの構造を知るカギとなります。

心理学で感情は解けない
 ところで、そうした感情を研究対象としてきた分野は心理学でした。心理学では、まず感情を私たちの経験と照らし合わせて分けます。つまり、特徴を検出して、どのような感情があるか、分類します。そして、そこで析出された感情が、他の感情とどの程度似通っているか、あるいは似通っていないかを測定し、タブロー(面)にプロットします。
 心理学では、従来基本感情として六つ特徴を挙げています。幸福、驚き、恐れ、嫌悪、怒り、悲しみですが、なかには、ポジティブ感情とネガティブ感情に分けたうえで、ポジティブ感情として幸福、喜び、情熱、楽しみを、またネガティブ感情として、神経質、怒り、悲しみ、恥ずかしさ、罪悪感を挙げ、感情には九種類あると主張する研究者もいます(L・B・バレット)。また、心理学者のプルチックは、感情の輪という色彩立体図を描き、喜びと悲しみ、予期と驚き、嫌悪と信頼、怒りと恐れの四種類八つの感情が対関係になっているというモデルを提案しました。しかし、誤ってはいけないのは、分類されたそれぞれの感情が独立して存在しているわけではないということです。もっとも一般的な六つの基礎感情にしても、幸福や驚き、恐れが一つの概念として独立していて、たとえば、幸福と驚きを分かつ境界があって、両者は、まったく別のものとして存在している、というわけではありません。
 光のスペクトルがあります。スペクトルは虹のように連続的に変化するものですが、私たちは、それをカテゴリーに分けて、赤色、青色、黄色などの名前をつけて捉えています。本来は、そのような境界があるわけではなくて、あくまでも便宜的な分類にすぎません(2)。より正確に言えば、光のスペクトルは脳内で変換され、明度・彩度・色相という三つの属性によって表現されます。つまり、この三属性からなる三次元空間上に色が配置されるわけで、色のカテゴリー的境界はありません。同様に、感情も個々の感情がカテゴリー的に表現されているだけで、それぞれが何らかの脳の実体に対応しているわけではなく、あくまでも、主観的にカテゴリー化されているにすぎないのです。喜びには、喜びの感じがあり、悲しみには悲しみの感じがある。心理学は、それぞれの感情=情動には、それ特有の感じがあると説きました。しかし、この心理学の常識が、決して普遍ではないことが、わかっています。異なる情動に、同じ種類の感じが含まれることがあるからです。それを裏付けるのがよく知られた吊り橋効果の実験です。若い独身男性が深い渓谷にかかった揺れる吊り橋を渡っていると、橋の途中にいた女性から話しかけられる。すると、その女性に対する恋愛感情が生まれ、その後彼女に電話をかけてしまう。これは、吊り橋を渡る時のドキドキ感が危険な吊り橋からではなく、相手からもたらされるものだと誤解してしまうからです。ここでは、恐怖の感じが、相手への恋愛の感じになっているわけです。異なる感情が、同じ種類の感じを含むことがあり得るということを端的に示している例といえるでしょう(3)。

感情、その多様性と多面性
 一口に感情=情動といっても、そこには喜び、悲しみ、恐怖、嫌悪、恥、罪悪感など多様なものが含まれています。しかも、感情と感覚や気分などとの境界もあいまいです。さらに、感情=情動は、多彩な側面を備えています。一つの感情といえども、感じ、身体の生理的反応、状況の変化、行為への動機づけなどの側面を含んでいます。そして、何よりもそれがそのひとの「あり方」として表象するという特徴をもっています。 そこで、今号ではこの感情の多様性と多面性に注目し、それがどのようなプロセスを経てかたちづくられるのか考えてみようと思います。まず感情はどのように生まれるのか、感情の誕生について考察します。お話をお聞きするのは、京都大学大学院文学研究科教授で発達心理学が専門の板倉昭二氏です。近年の赤ちゃん学は赤ちゃんの知られざる能力をさまざまな方法で明らかにしてきました。赤ちゃんは、1歳になる頃には、他者の感情情報を読み取り、自分の行動を調整できるようになるという。赤ちゃんは、どのように感情を理解し、どのように感情を表出するのでしょうか。赤ちゃん学の最新理論を踏まえてお話しいただきます。
 脳科学には、分離脳という考え方があります。脳には右脳と左脳があり、私たちはこの二つの脳を統合させることで生きているという。私たちの意識も、じつはこの二つの脳から生み出されているというのです。東京大学大学院工学科研究科システム創成学専攻准教授で脳神経科学が専攻の渡辺正峰氏は、この分離脳に注目し、左右の脳を外科的に分離し、片方はそのままに、もう片方を電算機に接続して、人工脳を創出しようと目論んでいます。果たしてそれが実現した時、意識は本当に生まれるのでしょうか。さらに、その先にあるはずの感情はどのようなかたちで私たちの前に現れるのでしょうか。最新の脳科学が捉える感情の世界を紹介してもらいます。
 世界の価値的なあり方を捉えるには、感情よりも情動がふさわしいというのは東京大学大学院総合文化研究科教授で心の哲学が専門の信原幸弘氏です。自分も含む世界の価値のあり方が成立するためには、何よりも情動が欠かせないと信原氏は説きます。最後に、世界の価値的なあり方とはいかなるものか、そして、そのあり方がなぜ私たちの生き方や人生に深くかかわってくるのか。心の哲学、科学哲学の文脈に沿って考察していただきます。

(佐藤真)
引用・参考文献
(1)清水真木『感情とは何か ブラトンからアーレントまで』(ちくま新書 2014)
(2)乾敏郎『感情とはそもそも何なのか 現代科学で読み解く感情の仕組みと障害』(ミネルヴァ書房 2018)
(3)信原幸弘「序論 よみがえる情動の哲学」『シリーズ新・心の哲学』III情動編 所収(勁草書房 2014)


究極的な相対主義

発達する感情
 近年の赤ちゃん学の発展には眼を見張るものがあります。その背景には、テクノロジーの進歩・発展がありますが、そうした新たなテクノロジーを利用することで、赤ちゃんの心や行動が読み解けるようになりました。赤ちゃんは、私たちの想像をはるかに超えて、大人と同じとまでは言わないまでも、それに近い知識をすでにもっていることがわかってきたのです。生後3カ月の赤ちゃんでも、基本的な物理法則にもとづく知識をもっていて、物理的な推論ができるようですし、また、社会的な関係を認識することもできるらしい。しかもその萌芽は、今や胎児にまで遡れることもわかってきました。
 社会的な関係を知る認知機能の発達がそのまま感情の誕生を意味するわけではありませんが、感情の形成に寄与していることは間違いないようです。たとえば、感情を形成する重要な要素である社会的随伴性に関して、生後3カ月の赤ちゃんは強い感受性を示します。この感受性の強さは、感情表出にも大きく影響を与え、さらには他者理解への道を開きます。
 他者理解のための重要な知見に「心の理論」があります。大人は、日常生活において、他者の気持ちを推し量りながら生きています。他者の行動の理由を心的状態にもとづいて説明し、他者の心的状態を推測したりする能力を「心の理論」といいますが、ヒトの場合2歳を越える頃になると、自分の欲求と他者の欲求が異なることをわかるようになり、自分の好きなものに引きずられることなく、他者の好きなものを答えることができるようになるといいます。「心の理論」は、赤ちゃん学においては、心の発達、とりわけ他者理解を介する感情形成に多くの知見を与えてくれるものと期待されます。
 心は一瞬たりとも留まることはありません。常に前進し発達し続けます。感情もおそらく同じでしょう。他者とのやりとり、関係性のなかで、ヒトはその能力を開花させます。感情も同様に、対人関係、そのインタラクションのなかで、かたちづくられていくのです。


意識をもつ機械としてのゾンビ
 渡辺正峰氏は、感情は、視覚や聴覚、触覚などと同様に、脳の高次の部位が行うシミュレーションと共に生じるのではないかと考えています。渡辺氏は、その理由を、幻肢を例に述べています。ないはずの腕に腕があるという意識が生じるのは、脳の高次な部位で腕のシミュレーションが行われているからに他なりません。脳の高次な部位で腕のシミュレーションが行われた結果、そこにあたかも腕があるような意識が生じるのです。
 感情も同じではないか。視覚ニューロンから受け取った情報に対して、扁桃体が発汗や心拍数の上昇という身体反応を起こす。「怖い」などの感覚が生じるのは、前頭前野がそれを意識としてシミュレーションするからです。それをシミュレーションする前頭前野があるからこそ、意識としての「怖い」などの感覚が生じる。であれば、意識のハード・プロブレムが解ければ、同じような難しさをもつ感情のハード・プロブレムも、解けるはずだと言うのです。
 脳の半球を機械の回路に接続するテストでは、機械の回路にはすでにニュートラルなクオリア(意識)があるという状態が想定されています。それを生身の脳の半球と接続することで、そこに統一された視覚体験が得られれば、意識のハード・プロブレムは解決されるわけで、同様に感情のハード・プロブレムも乗り越えられると渡辺氏は考えています。そして、これがもっとも大きな壁ですが、その生身の脳と機械の脳がリンクした状態を、その被験者が、つまり渡辺氏が主観的に語ることができれば、意識の自然則、感情の自然則を主観から検証したことになるのです。


人は感情=情動で動く
 信原幸弘氏は、情動は透明化した身体を介して、世界の価値的なあり方を直接立ち現れさせるという仕方で、世界に志向的にかかわっていると言います。だからこそそれが正しいか正しくないか、真か偽かを問うことができるというのです。情動能力は経験を積むことで鍛えることができると。子どもから大人への成長には正しい(適切な)情動を形成するという意味も含まれています。情動能力を鍛えることで、常に適切な情動を抱くことができれば、判断を待たなくても情動的な反応だけですべてのことをスムーズに運ぶことができるようになり、それが理想だと信原氏は言う。常に正しい(適切な)情動を抱き、それにもとづいて振る舞うような人を「徳のある人」と言い、倫理学では、そのような徳(virtue)こそがもっとも重要だと考えられていました。
 価値判断を支えるような能力や傾向をもつ情動を獲得することが、徳を身に付けるということであり、孔子の言う、「心の欲するところに従えども矩(のり)を踰(こ)えず」という境地です。これは遥かな理想だけれども、私たちは、そういう方向を目指すべきではないかと信原氏は言います。
 人間が動くのは、最後は情動で、決して理性で動くわけではない。だから最後は自分自身の情動を動かさなければいけない。そしてその情動が捉える価値は自分のあり方に相対的な価値だという。それは、自己が自己を物語ることであり、私たちは、そこに究極的な相対主義を発見することになるでしょう。

(佐藤真)

◎感情=情動の諸相

感情とはそもそも何なのか 現代科学で読み解く感情のしくみと障害 乾敏郎 ミネルヴァ書房 2018
感情の哲学 分析哲学と現象学 西村清和 勁草書房 2018
情動の哲学入門 価値・道徳・生きる意味 信原幸弘 勁草書房 2017
はらわたが煮えくりかえる 情動の身体知覚説 J・プリンツ 源河亨訳 勁草書房 2016
「情の理」論 情動の合理性をめぐる心理学的考究 遠藤利彦 東京大学出版会 2013
感情心理学・入門 大平英樹編著 有斐閣 2010
デカルトの誤り 情動、理性、人間の脳 A・ダマシオ 田中三彦訳 ちくま学芸文庫 2010
合理性を圧倒する感情 ジャン・ニコ講義セレクション J・エルスター 染谷昌義訳 勁草書房 2008
感情 D・エヴァンス 遠藤利彦訳 岩波書店 2005
エモーショナル・ブレイン 情動の脳科学 J・ルドゥー 松本元、小幡邦彦他訳 東京大学出版会 2003

◎脳と意識

脳の意識 機械の意識 脳神経科学の挑戦 渡辺正峰 中公新書 2017
物質と意識 脳科学・人工知能と心の哲学 P・チャーチランド 信原幸弘、西堤優訳 森北出版 2016
意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論 M・マッスィミーニ、G・トノーニ 花本知子訳 亜紀書房 2015
ぼくらが原子の集まりなら、なぜ痛みや悲しみを感じるのだろう 意識のハード・プロブレムに挑む 鈴木貴之 勁草書房 2015
意識と脳 思考はいかにコード化されるか S・ドゥアンヌ 高橋洋訳 紀伊國屋書店 2015
意識をめぐる冒険 C・コッホ 土屋尚嗣、小畑史哉訳 岩波書店 2014
〈私〉はどこにあるのか ガザニガ脳科学講義 M・ガザニガ 藤井留美訳 紀伊國屋書店 2014
脳がつくる倫理 科学と哲学から道徳の起原にせまる P・チャーチランド 信原幸弘、樫則章他訳 化学同人 2013
脳に刻まれたモラルの起源 人はなぜ善を求めるのか 金井良太 岩波科学ライブラリー 2013
脳の中の幽霊 V・S・ラマチャンドラン、S・ブレイクスリー 山下篤子訳 角川文庫 2011
サブリミナル・インパクト 情動と潜在認知の現代 下條信輔 中公新書 2008
意識の探求 神経科学からのアプローチ 上下 C・コッホ 土屋尚嗣、金井良太訳 岩波書店 2006
マインド・タイム 脳と意識の時間 B・リベット 下條信輔訳 岩波書店 2005
意識する心 脳と精神の根本理論を求めて D・J・チャーマーズ 林一訳 白揚社 2001

◎発達論と赤ちゃん学

発達心理学の新しいパラダイム 人間科学の「二人称的アプローチ」 V・レディ、松沢哲郎他 中山書店 2017
驚くべき乳幼児の世界 V・レディ 佐伯胖訳 ミネルヴァ書房 2015 
発達科学の最前線 板倉昭二編著 ミネルヴァ書房 2014
よくわかる情動発達 遠藤利彦、佐久間路子他 ミネルヴァ書房 2014
脳科学からみる子どもの心の育ち 認知発達のルーツをさぐる 乾敏郎 ミネルヴァ書房 2013
赤ちゃん学を学ぶ人のために 小西行郎、遠藤利彦編 世界思想社 2012
赤ちゃんの不思議 関一夫 岩波新書 2011
心を発見する心の発達 板倉昭二 京都大学学術出版会 2007
「私」はいつ生まれるか 板倉昭二 ちくま新書 2007
心が芽ばえるとき コミュニケーションの誕生と進化 明和正子 NTT 出版 2006
乳児の世界 P・ロシャ 板倉昭二、関一夫訳 ミネルヴァ書房 2004
赤ちゃんと脳科学 小西行郎 集英社新書 2003

◎心の哲学

心の理論 第2世代の研究へ 子安増生、郷式徹編 新曜社 2016
心はどこにあるのか D・C・デネット 土屋俊訳 ちくま学芸文庫 2016
シリーズ 新・心の哲学 I 認知編 信原幸弘編 勁草書房 2014
シリーズ 新・心の哲学 II 意識編 信原幸弘編 勁草書房 2014
シリーズ 新・心の哲学 III 情動編 信原幸弘編 勁草書房 2014
ミラーニューロンと〈心の理論〉 子安増生、大平秀樹編 新曜社 2011
心の哲学入門 金杉武司 勁草書房 2007
シリーズ心の哲学 I 人間編 信原幸弘編 勁草書房 2004
シリーズ心の哲学 II ロボット編 信原幸弘編 勁草書房 2004
シリーズ心の哲学 III 翻訳編 信原幸弘編 勁草書房 2004
心の理論 心を読む心の科学 子安増生 岩波書店 2000

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