※ピュシス=ギリシア語のphysis、自然、生成という意味をもつ
空前のワインブームである。確かに、まちを歩けば輸入ワインを山積みした木箱が店頭を飾る酒屋をよく見かけるようになった。ワインバーと名のつく飲食店が続々とオープンしたり、ファミリーレストランの中には、メニューと一緒にワインリストを持ってくるところがあるという。「ワインあります」というはり紙を寿司屋で見かけることも珍しくなくなった。そういえば、年に数回野外で催す友人たちとのバーベキューのドリンクが、去年ビールからいっせいにワインに変わってしまった。とにかく、猫も杓子もワイン、ワインである。
今号は、ワインをテーマに、身体とワインが織りなすいささか不思議な関係を探ってみようと思う。
世界商品としてのワイン
1997年のわが国におけるワイン消費量は、輸入、国産合わせて2500万ケースに達した(1ケース=12本で計算、『ワインの科学』より)。1年間に人口1人あたり750ミリリットルボトルで2・4本飲んだことになる。もっとも、消費量が劇的に減少しているといわれていながら、フランスでは今だに人口1人あたり84本(1995年調査)飲んでいる。増加傾向にあるとはいえ、フランスと比較すれば我が国の消費量はまだまだ少ない。
今回は、第5次のブームである。70年代に起こったワイン熱は、83年のボジョレー・ヌーヴォーの大騒ぎのあとしばらく鎮静していたが、輸入ワインの低価格化が進んだ95年あたりから再び加熱し始めて、昨年一気にブレイクした。ポリフェノールを含んでいることで赤ワインが健康にいいと喧伝されたことによって年配層の需要が掘り起こされ、また、「会話のできるアルコール」という側面が若い女性層に受け入れられて、今回の大ブームとなったといわれている。
ところで、「ワインを水がわりに飲む」習慣は、フランスではもはや過去のものになりつつある。フランスでは60年代末まで、現在の倍近い人口1人あたり1年間に120リットル(ボトル160本)が消費されていたというから、数字で見るかぎり確実に減少している。激減といってもいい。日本での消費拡大は、伝統的ワイン生産国であるフランスの猛烈な売り込みによるものだという意見もあがっているが、あながち嘘とはいえないだろう。
現在ワインの消費地は、日本を初めとして世界へ拡大しつつある。ワイン生産の比較的新しい産地を「ニューワールド」と呼んでいるが、消費の面で見てもオールド・ワールドの消費量が減少し、代わってニューワールドが新たなマーケットになってきているのだ。消費地がニューワールドに拡大することによって、実は質的な面からも劇的ともいえる変化を遂げ初めている。水がわりに飲むいわば生活必需品としてのワインから、一種の嗜好品の一つとして認知されるようになり、個性やクオリティを追究したワインが生産される傾向にあるからだ。いわゆるボルドー、ブルゴーニュの高級ワインに驚くような高値がつき投機の対象となったり、またビンテージ(収穫年)に関心が集まるようになったのは、実はワインの歴史にとってみれば、ごく最近のことである。量から質へのシフトは、ワインがグローバル化し、一種の世界商品となったことを示している。
ワイン、からだ、健康
ヨーロッパの人は伝統的に肉類を多く摂るから脂肪摂取量が高い。動脈硬化などの心臓病の発生率も高くなる。ところが、フランス人だけは、以前からそうした心臓病になる人が少ない。それはなぜだろうか。1993年にその原因は「赤ワインの消費量が多いため」と発表された。これが一般に言われる「フレンチ・パラドクス」だ。
人間などの生物は、生体内で酸素を利用してエネルギーを得ている。その過程で活性酸素を生成するわけだが、活性酸素はプラス面とマイナス面の両面をもつことが知られている。外敵から身を守り、細胞内の情報伝達に関与するというプラスの働きがある半面、動脈硬化や心臓病、老化の促進、がんなどの成人病の原因となるというマイナスの働きのあることもわかってきた。そこで、活性酸素を減少させることによってそれらを抑制させることができると考えられている。その抑制に効力を発揮する物質の一つがポリフェノールだ。これは体内で生成することはできず、食物からしか摂取できない。このポリフェノールを多量に含んでいるのが、赤ワインである。赤ワインの渋みの主成分であるタンニンや赤色色素にポリフェノールが含まれていて、特に抗酸化力が強いといわれている。これが昨今の世界的な赤ワインブームの引き金となったのである。
だが、ワインが「からだにいい飲み物だ」と知られるようになったのは、何も今に始まったことではない。古代の医学者ヒポクラテスは、ワインの薬としての効果について報告している。人間は紀元前から、ワインを薬として飲んでいたようである。ワインは、有機酸を多量に含む酸性の飲み物である。しかし、ミネラル分であるカリウム含有が高いために、体内でアルカリ性になるアルカリ食品であるといえる(『ワインの科学』)。本来人間の血液はややアルカリ性に偏っているが、肉料理ばかり食べていると酸性化する。血液は本来のアルカリ性に戻そうとすることからストレスが生じ、それがさまざまな病気の引き金となる。アルカリ食品は、血液の酸性化を防ぐ手助けをすることから、からだにいい食品といわれるのだ。ちなみに、酒の中でアルカリ食品に属するものはワインだけである。
ワインとは何か
文明の誕生とともにワインの歴史も始まった。人類が葡萄の栽培を最初に行ったのは、カフカス山脈の斜面だといわれている。現在のトルコの近くだ。その後メソポタミアやエジプトでも葡萄の栽培は始まり、ギリシア、ローマを経てヨーロッパに伝わった。
ワインがヨーロッパ文明にとっていかに重要な意味をもっていたか、たとえば聖書の預言の主題として繰り返し出てくることからも容易に想像できることだ。聖書には葡萄とワインについて述べてある箇所がなんと441もあり、そのうちキリストの24の譬話のうち4つはワインを主題にしている。そもそもキリスト教の聖餐はパンとワインからなっている。パンはイエスの肉体であり、ワインはイエスの血をあらわす。人類の身代わりとなって罪を贖ったイエスを思い返し、血液の代わりであるワインを杯からすする。ヨーロッパの人々にとって、ワインはまさに身をもって宗教を感じるための手段であった。もとより、ヨーロッパ人にとってワインは麦とならぶ主たる食糧であるが、単なる日常の飲料以上の意味がワインには込められていたのである。歴史地理学者ルネ・ディオンが指摘するとおり、ワインは、ヨーロッパ文明にとって社会的な役割を担うきわめて重要な産物だといえるのだ。
ワインは、酒として際立った特徴をもっている。ビールや清酒が糖化、発酵の二段階の工程でつくられるのに対して、ワインは発酵過程のみでつくるこができるからだ。ブランデーやラムなどのごく一部の酒類を除いて、ほとんどの酒類が酵母による発酵が必要で、そのために糖化という過程が必須になる。ところがワインの場合は、最初から葡萄果汁に糖分が入っていて、ワイン酵母でただ発酵させればよく、その意味ではワイン製造はきわめてシンプルである。この製造工程の単純さが、逆に人為の介入する余地をつくりだし、さまざまな工夫によって如何様にでもワインを変身させることができるのである。
また、ワインは水を加えたりすることなく、通常果汁のみからつくられる。したがって葡萄そのものが原料でありかつ製品となる。品種と産地という二大要素に、ワインの個性がほぼ還元されてしまうのは、まさにそういう理由からだ。だからこそ逆に、品種と産地の組み合わせしだいで、その味覚はさまざまに変化し、複雑になっていくのである。
ワインの比類なきユニークさ。それはワインがアルコール飲料や食事の伴侶としてだけではなく、ヨーロッパ文明そのものを象徴する文化的産物でもあるからだ。しかも、ワインは常に人間のかたわらに寄り添うように存在し続けてきた。ある時は人為の介入を挑発し、またある時は、自ら身体の中心部へ侵入する。そして、人間の内部世界を、時に大いに撹乱・困惑させる。
この不思議なバッカス=酒神の液体。私たちは、ワインと共にワインの世界へ入り込むことにしよう。
五感で味わう
今日飲むべき一本を決める。キャップシールを切り取り、コルクスクリューをあてて時計回りに回していく。スポンという音ともにコルクがボトルから離れる。匂いを確認して、用意したワイングラスにワインをゆっくりとそそぐ。まず、ワインの透明度を確かめ、そっとグラスに鼻を近付ける。アロマが立ち上がる。一口ワインを口に含む。舌の上で温度を感じながら、口から空気を送り込む。口腔内に香りがみるみる膨らんでくる。ワインが本来の力を発揮する瞬間だ。しばらく舌の上で転がし、ゆっくりと静かに飲み込む。残り香がしばらく口腔内に漂う。この余韻が長く続けば続くほどいい。ワインの愉しみを経験として描写すれば、今述べたような一連の流れをいうのであろう。
バッカスの液体を前にして、人はしばしば沈黙を余儀なくされる。ワインの魅力をいいあらわすことは並大抵のことではない。ワイングラスに注がれたその液体が放つメッセージをなんとかキャッチしようと、あらゆる手段をこうじてみるものの、たいがいは無駄に終る。ワインはそれほど複雑でつかみどころのない飲み物である。だが、ワインは気楽に飲める酒であり、先入観や思い込みはかえって私たちをワインから遠ざけてしまう。確かにワインにおける蘊蓄ほど耳障りなものはない。ワインの愉しみ方は各人各様、どんな飲み方をされてもいいし、どんな感想をもってもいい。難解だとすれば、それを難解なものとして受け入れていくこと。それこそが、ワインの喜びだといえないだろうか。とりあえず色・香り・味を手掛かりにして理解するところから始めよう。
「ダイナミクスこそがワインの命であり、質である。これをつかまなければならない。こんこんと湧くように押し出されてくる強い力。ワインに輪郭を与え、これを留めようとする力。ワインの個々の粒子に弾力と張りを与え、調和させる力。これらをしっかり受けとめることができたときに、白、赤の分類を超えた味の世界、そしてぶどうの品種、生産地、収穫年度などの範疇にまったく左右されないワインのよし悪しを論じることができるようになる。そこにあるのは、意外なほどに単純な世界だ。単純であるが全体を語っている。ワインを存在させるエネルギーがその裸身をさらけ出しているのだ」
『ワインを聴く』という優美なタイトルをもつこの本の著者は、ティスティングの重要さを十分承知したうえで、ワインを知るためには、ワインそのものをできるだけあるがままに受けとめるべきだと主張する。ワインを知ることは、ワインを「感じること」に尽きるというのだ。そしてその感じをなんらかの方法で表現することができる時、それはより深い喜びになると著者はいう。
ワインと身体が交錯する場所、それはまさしく五感にほかならない。まず私たちは、今回の考察をこの五感との関わりから始めることにしよう。もちろん最初におたずねするのは、この著者である伊藤眞人氏である。伊藤眞人氏は、ドイツで葡萄栽培・醸造を学んだ後、酒造メーカーで長年ワインを担当されてこられた。ワインを職業とする立場から、ワインの魅力、特に五感との接点でワインについてお話いただく。
テロワールの秘密、フランスのワイン
葡萄からワインがつくられるプロセスは、先程述べたように決して複雑ではない。しかし、そのプロセスの要所要所に人為の介入の余地がある。それがワインを多種多様な複雑さに導く。特にフランスワインの場合、品種、産地、栽培方法、醸造方法という一連のプロセスが、それぞれのワインの個性を決定づけているといえる。そのことを明確に表しているのがAOC法だ。原産地統制呼称法という法律で、栽培地域、品種、栽培方法、収穫時の糖度、単位面積当たりの葡萄の収穫、醸造方法にいたるまで細かく制限されている。1935年に制定されたものだが、これは特定の地方や畑からつくられたワインは特定のニュアンスをもつという概念に基づいてつくられている。このワインに顕在する葡萄畑の個性が、いわゆる「テロワール」というものだ。
土壌、日照量、降水量、気温、風のふく方向や強さ……、これらいっさいの自然条件の複雑な組み合わせによってワインのあの独特の味わいが生まれてくる。ワインの魅力が複雑さにあるとすれば、それはすなわちテロワールを重視するところから生まれる風味の複雑さにあるといえる。このテロワールの妙に着目して、ワインがつくり出すさまざまなバリエーションを「一地一態」という概念から整理し、独自のマトリックスをつくり出した人間がいる。名古屋でレストランを経営する安間宏見氏だ。日照、品種、地層という風土と人の力によって織り込まれたタピストリーのようなものが、安間氏の考えるワインである。葡萄畑を取り巻くテロワール、すなわち自然本来の力、ピシスがつくり出すタピストリーとしてのワイン。
安間宏見氏に「テロワール」からみたワインの魅力について語っていただく。
両義性のシンボル
ワインは、料理と共に味わうものである。そこがまたほかの酒と隔てるワインのもう一つの魅力になっている。食べ物に酒はつきものではあるが、ワインほど相性のいいものはないといわれる。ワインを飲む愉しみは、また食べる愉しみでもあるのだ。食べることの快感、飲むことの快感、それはいわば一期一会の身体的経験であろう。快楽を誘発する酒としてのワインの魅力を、ワインのエピキュリアンである早稲田大学教授の福田育弘氏とピアニストの横山幸雄氏に語りあっていただく。
さて、キリストの聖餐においてワインはキリストの血を意味する。なぜキリストにとってワインが血なのだろうか。赤い色が似ているからというのでは、あまりに単純すぎないだろうか。実は、この血のシンボルとしてのワインは、キリスト教の歴史にとって常に議論のもとになってきた。そもそも酩酊を誘うワインが道徳を重んじる立場の人間にとって、よく思われてこなかったのは当然であるし、血液のシンボルというのも、あまりになまなましすぎる。では、いったいいつからキリスト教とワインは結び付くことになったのだろうか。
ここでは、二つの方向から探ってみようと思う。一つは、神話の世界から。もう一つは、ワインがヨーロッパに伝わった中世の時代、その精神的な支えとなっていたキリストとの関係から。この一見異なる二つの問いは、しかしその彼方で結び付く。ワインもしくは葡萄が潜在的に抱え込んでいる特殊なシンボリズムにおいて、両者は微妙に重なり合うことを私たちは発見するすることになるからだ。
神話とは、ディオニュソス神話のことである。死と再生の秘儀に通じる異教の象徴ディオニュソス神話。ディオニュソスは人間世界に酒=ワインをもたらせた。ディオニュソス神話とは、ワインを巡る神話でもあった。ディオニュソス神話は、すでにその誕生期においてキリスト教の底流部に流れ込んでいたという。
異教の象徴がもたらしたワインとキリスト教との関係性。イエスの肉体と血がパンとワインに変換する。この教義は、ヨーロッパ中世社会に多大な支配力をもったキリスト教にとって、根本的な問題をはらんでいたという。中世スコラ哲学、神学の難問としてのワイン。そしてこの難問は、心とからだという現代が抱える二分法的身体観の矛盾にそのまま引き継がれてもいるといわれている。
ディオニュソス神話とワインの関係について、キリシア神話の研究家で長くディオニュソスについて考察してこられた楠見千寿子氏にお聞きする。また、中世スコラ哲学とワインの不可解な関係については、哲学を専攻され、中世スコラ哲学に常に斬新的な切り口を提供される新潟大学助教授の山内志郎氏にお聞きする。
ワイン。普段何げなく飲んでいる飲み物が、まさしく「この飲み物」として存在を主張し始める時、私たちはワインへと生成する葡萄に潜在する自然の大いなる力、ピュシスを自覚することになるのだ。ともあれ、この複雑な自然の贈り物としての酒神の液体に、私たちが魅了され続けてきた事実から考察を始めることにしよう。
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<参考文献>
- 『ワインの科学』清水健一、講談社ブルーバックス、1999
- 『ワインの自由』堀賢一、集英社、1998
- 『ワインがわかる』マット・クレーマー、塚原正章、阿部秀司訳、白水社、1994
- 『ワインと風土』ロジェ・ディオン、福田育弘訳、人文書院、1997
- 『ワインの文化史』ジャン=フランソワ・ゴーティエ、八木尚子訳、白水社、1998