![]() 移動論は何を問題にするのか 差異、移動の発端 いったいモノが移動することと情報( コト)が移動することでは、何が違うのだろうか。私たちは、今それを正確に言いあてることができなくなっている。そこにさらにヒトを付け加えてもいい。ヒトが移動することもまた、モノやコトの移動と大きな差がなくなりつつある。ヒト、コト、モノが複雑に絡み合いながら移動する、私たちは、そういう時代に生きている。 二○世紀末は、人類にとって移動が最も広範囲にまた大規模に起こった時代だといわれている。地球上のあらゆる地域を、さまざまな移動手段を利用しながら、日々人々は駆け回っているからだ。自らの意志で、目的を遂行するために外へと出ていく人間たち。彼らにとって、移動することは生きることの証明でもある。国境は彼らにとっては、生の飛躍のためのほんの小さなハードルにすぎない。 しかし、一方で、移動が生存のための条件になっている人間たちもいる。留まることが許されず、無理やりに追いたてられて、外へと向かわざるをえない人々。難民と呼ばれる現代のディアスポラたちにとって、国境は死と生を分ける踏み絵である。国境を越えることは、すなわち故郷の喪失、記憶の忘却を意味する。だが、彼らにそれ以外の選択肢は与えられていない。移動は、彼らにとって文字どおり命がけの飛躍でありかつ唯一の選択肢であるのだ。進んで移動する者と移動を強いられる者。ボーダレスという言葉は、両者ではまったく異なった意味をもつ。 二○世紀の最後の十数年間は確かに移動の世紀であった。だが、二○世紀全般で見ればむしろ移動が厳しく制限された時代だったとみる方が正しいだろう。二つの大戦を挟んで、国家(ネーション・ステート)がその支配力を強化することによって、必然的に国境は固定化していった。それが多分に地勢学的な線引きであったとはいえ、いったん引かれた国境を自由に往来することは困難だ。一時的にせよ(しかし、それは五○年以上続いた)、国家が人々の移動を拒んだのである。 そうしたかりそめの安定状態が崩壊し、再び人々の移動が活発化したきっかけは、いうまでもなく冷戦体制の崩壊である。世界が一挙に巨大な単一の市場へと変貌し、民族問題が噴出した九○年代。いわゆる経済のグローバル化、さらにはナショナリズム・レイシズムが加わって、再び人口の流動化を促し、地球規模の移動へと人々を巻き込んでいった。 世界が市場経済(資本主義)の波に飲み込まれていく時、人間はどのように行動するのだろうか。たとえば、労働者は、より高い賃金を保証してくれる場所を求めて移動する。一方、労働市場全体は、より安価な労働力が提供される場所へシフトする。そこにあるのは、きわめて単純な論理だ。とはいえ、この構図がいかに正鵠を射たものであるかは、ベルリンの壁崩壊後の東ヨーロッパ、あるいは八五年以降の東アジア圏の人口動態を見るだけで明らかであろう。また、どこに資本がより多く投下されるかについても同じ論理が働く。より収益の上がる場所により大量に資本は移動する(投下される)。資本主義における経済活動は、バカ正直なまでにこれまでの慣例を反復し続けるのである。 動機や要請が異なっていても、移動の様態には共通性が見いだせる。移動の発生は、差異が引き金になっていることだ。差異があるところに移動が生まれる。賃金の格差であったり、労働環境であったり、また自由があるかどうかというのも差異である。差異の中身は多種多様だ。距離それ事体が差異となりうることもある。「ここではないあそこ」「あそこよりここ」というだけで、ヒトは移動することさえある。フロンティアを求めて移動する者、故郷を追われる者、あるいは移民、難民、亡命者、漂流者……、出自も歴史も目的も違う人々が移動し、あるいは移動させられる時、そこには決まって差異がある。 今号は、移動がテーマである。もとより、ヒトだけが移動するわけではない。冒頭で言ったようにモノやコトも移動する。そして、移動の発端には必ずといっていいほど差異があるのだ。いきなり結論めいたことを言ってしまおう。差異とは何か。その正体をつかむことができれば、移動というものが理解できるはずである。私たちは移動という様態を把握するために、差異が発生するさまざまな場所に思考を巡らせてみたい。 移動論の射程、「旅する身体」 「旅」が移動論という姿をとって活発に議論されたことがあった。 「旅の本質は物質的な移動だ。大きな犠牲を払い多くの荷を担い長い時間を費やして、はじめて眼にし肌をふれすべての感覚をみたすことのできる地平は、無限に存在する」(『トロピカル・ゴシップ』管啓次郎) サンパウロ、タヒチ、アリゾナ、ハワイ、シアトルと自ら移り住みながら、旅の思考を深めていった著者によれば、移動によって明らかになったことは、何よりもヒトというものが本源的に混血であるということだった。たとえばブラジル人の美しさは、血統も遺産も受け継ぐことなく定住さえしないで移動してきた者たちによってつくり出された混血性の証である。虹色の連続体としての肌の色のあいまいさは、生きる原理としての混血性を明らかにするという。 混血としてのヒト。いやもっと正確にいえば、混血であることを希求したヒト。人類にとって、混ざり合うことは必然であった。クレオール、あるいはクレオール文化論は、そうした混血性の優位を高らかに宣言したものであった。「旅」がクレオールと接続するのは、この両者の根底に同居するヒトの移動性においてである。 「旅」することによって、純潔性の神話はいとも簡単に暴かれる。地球上のほとんどは、混血地帯だからである。混血性としてのヒトという自明であるがゆえに隠蔽されてきたヒトの本性は、「旅」をすることによって明確に自覚されることになる。そしてその自覚は、やがて自らもそうした混血の系譜を受け継ぐ者であるという確信へと導かれるであろう。日本人=単一民族説の嘘が、あからさまになるからだ。よく知られているように、一万年前には、日本はユーラシア大陸の一部であり、ベーリング海峡、マラッカ海峡、アリューシャン列島は陸続きであった。現在のエジプトからアラスカまで陸伝いに移動が可能だったということだ。もっとも、新しい学説によれば、アリューシャン列島からアラスカ南岸への太平洋ルートによって、人類はポリネシアからアメリカ大陸へ渡っていたのではないかという報告もある(サンパウロ大学の人類学者ウォルター・ネヴェスの説)。つまりアメリカ人の祖先はモンゴロイドであるという定説に疑問を投げかけたのである。そうなると縄文人と最初のアメリカ人は親戚ということになる。もはや、混血でない民族を探し出す方が難しいということなのだろう。 「旅」がそうした人類の混血の歴史に重ね合わされる時、人間のクレオール性が浮上する。クレオール文化論は、だから最初から移動の文化を射程にしていたのである。身体の移動という具体性の中で自らの混血性に遭遇する。クレオール文化論は、ヒトが混血性と文化融合の容器として存在することだというだけではなく、移動する身体であることを明らかにしたのである。 「旅は撹拌する溶液に似ている。溶液、半凝固体、個体、粒子といったさまざまにことなる形態を持った物質が、勢いよくまぜあわされて色や濃度や比重を変えてゆくさまは、ちょうど旅の移動のさなかに変容するリアリティの感覚を思わせる」(『移動溶液』今福龍太) 今福龍太氏にとって、まさに旅とはそうしたヒトのクレオール性に目覚め、また自らがクレオール化していく過程として捉えられている。つまり「旅」とは、この撹拌の力が、ヒトの身体に注入されることだというわけだ。その時「旅する身体」は、どこかに向かって溶け出し、自己の存在の様態さえも以前とは違ったものに変わってしまうかもしれない。しかし、それこそがまさしく「旅」の、つまり「移動」の核心的意味だというのである。 年間一六○○万人もの日本人が海外に出るという。その多くは観光客である。いまや、日本人にとって外へ出る目的は、外を見ること、観光行為に置かれている。半世紀前の日本では、海外に出る者のほとんどが軍人であった。その様変わりぶりは、日本人の移動のイメージを覆して余りあるものだろう。観光客として海外へ出ていくことが、私たちにとっての「旅」であり、移動だといってもいいのである。今後観光が、私たち日本人にとって、気晴らし以上の意味をもつものに成長する可能性はないとはいえない。仮に観光が日常化し常態化するような時には、われわれ日本人の生活様式が移動によって規定されることもありうるだろう。「旅」をそのように日常性のうちに埋め込んでいくことによって、われわれの身体は、移動する身体として新たなリアリティを発見するはずだ。移動する身体、繰り返すまでもなくそれは絶えざる変容のプロセスなのだ。 非日常のイベントとしてではなく日常性として「旅」を自覚する時、観光客は旅行者に変わる。観光客は旅行という時間を空間の移動として認識する。だが、旅行者は空間の移動を時間の移動として認識する。この二つの認識は、移動にかかわる本質的な意味の違いを表している。観光客は、自らの文化コードを捨てることなく、それをまとったまま移動するのに対して、旅行者とは移動先の文化コードを自らに取り込んでいく。観光客における移動は、ホリゾンタル(水平的)な移動である。ところが、旅行者の移動はバーチカル(垂直的)な移動である。旅行者はもはや移動そのものを生きるのである。 旅行者の自覚するこのバーチカルな移動の様態。意識変容へと至ることさえあるこの移動の身体性について、私たちは、まず移動についての最初の考察を、ここから始めることにしよう。 クレオール文化論からカルチュラル・スタディーズヘ クレオール性としての身体の出会いが、ポストコロニアル状況への分析、コミットメントへと深化していく時、クレオール文化論の政治学としての側面が一気に前景化する。それはそのまま九○年代以降の、カルチュラル・スタディーズへと引き継がれていくことになる。ポストコロニアル状況とは、狭義には支配/従属という国家的制度的枠組みが解体した以後の旧植民地地域の文化状況を総称するものだが、旧支配国の文化状況をも巻き込んで展開する重層的な現代の文化全般を意味するものとして捉えていくと、私たちの生きる世界そのものがその対象領域となる。ポストコロニアル状況はその意味で私たち日本人にとってはとなりの芝生であるどころか、まさしくわが庭の問題として捉えられるべきものである。 ポストコロニアル状況をわれわれの文化的なコンテキストとして対象化しながら、その読解を通して文化研究・文化批評へと展開していったのがカルチュラル・スタディーズである。カルチュラル・スタディーズを直訳すれば「文化研究」で、それを字義どおりに受け取って、日本ではサブカルチャーに代表されるようなポピュラー文化の実証的な研究というような理解のされ方で受容されたところがあった。しかし、本来ポストコロニアルな日常文化全般への実証的経験的研究という面を正確に把握するならば、それが単なる誤読だということはわかるだろう。クレオール文化論と共振しつつ、その問題意識を政治的な領域へと押し広げていったものがカルチュラル・スタディーズである。そうした側面を正当に評価すれば、身体の理論としての可能性も開けてくる。 クレオール性は政治的空間に配置された身体の様態である。言い換えれば、身体が文化様式を織り上げられていく過程で表象するものがクレオール性なのだ。だとすれば、その身体の様態とは何か。ポストコロニアル状況において、そうした様態へと変容する身体とはどのようなものか。 カルチュラル・スタディーズの研究者が一様に「移動」に照準を合わせるのは、ポストコロニアル状況において身体の変容、様態の変換が「移動」という契機を介して起こるからである。二○世紀の文化そのものが常に「移動」によって成立していたという歴史を踏まえたうえで、「移動」という形態が与えた痕跡としてポストコロニアルを考えていくこと。集団的記憶やその忘却、あるいは想起、さらには無意識がポストコロニアルという政治的空間上にどのように備給されるのか、カルチュラル・スタディーズは人々の「移動」の経路、交錯から探査するという方法で検証しようというのである。しかも興味深いことは、彼ら自身自らを移動する者として規定していることだ。自らの思想を「旅する理論」と呼ぶエドワード・サイードの言葉を借りれば、さまざまなフィールドへ出向き、さまざまな人間と接触・交流すること、「移動」によって思想を形づけていく姿勢そのものがカルチュラル・スタディーズの研究態度だといえる。 ポストコロニアル状況における文化・身体の複雑な関係を「移動」を手掛かりに解読するカルチュラル・スタディーズの方法を探ってみよう。お尋ねするのは、和光大学人文学部文学科助教授・上野俊哉氏。上野氏は、カルチュラル・スタディーズにかかわり、それを構造主義、ポスト構造主義以降の思想と横断させることによって新たな戦略理論として練り上げていく作業を続けておられる。とくに近年では、サブカルチャー・ダンス・身体が交錯するレイヴ・パーティに積極的にかかわりながら、ディアスポラ(離散)をノマド・「移動」の思考との接点で考察している。上野氏に、著書で言及されているユダヤ人たちの歴史的体験に根ざしたディアスポラという概念を手掛かりに、移動の形態としての旅、漂流、また身体や意識の変容の場としてのレイヴの意味についてお聞きする。 パサージュ、インターネット、グローバリズム 「場の移動を余儀なくされる主体は労働の現場のみならず、資本を再生産するための流通と消費の網の目においては、まさに街路の迷宮をほっつき歩く遊歩者として現れる」「〈遊歩者〉stroller、言うまでもなくこれはボードレール/ベンヤミンによる都市の分析の主体である」(『ディアスポラの思考』) 上野俊哉氏は、ディアスポラが移動の起源へのノスタルジーよりも、その「効果」の方に向かうための戦略であるとして、ディアスポラと遊歩者を接木させるという刺激に満ちた議論を展開しているが、その遊歩者という概念を提起したのは、いうまでもなくヴァルター・ベンヤミンであった。 ドイツ青年運動、 マルセル・プルースト、シュルレアリスム、マルクス主義、ユダヤ神秘主義を吸収しつつ、徹底してラディカリストであり続けようとしたベンヤミン。一九四○年スペインで自ら命を断つまで、二○〜三○年代のベルリン、パリという二○世紀都市文化の醸成地を往復し、多岐にわたる著作を残したベンヤミンは、また「移動」を批評言語へと昇華することを試みた思想家でもあった。彼にあっては、「移動」することが思考であり、思考することが「移動」であった。通称『パサージュ論』と呼ばれる膨大なメモは、ベンヤミン自らの記述とさまざまな引用のアマルガムによる集積である。 パサージュとは、英語でいうアーケードのこと。つまり商店街にあるあの屋根のかかった通路のことだ。だが、もとよりベンヤミンはそうした狭い意味としてだけではなく、通路、通行、変化、走狗といった多義的な意味をもつ概念として「パサージュ」という言葉を使用した。要するに、何かと何かが交通する場(「ベンヤミンを挿入し、ビルディングタイプの壁を破壊せよ!」五十嵐太郎)がベンヤミンにとってのパサージュであった。 「パサージュ論」の全体像は、まさに「移動」と「思考」が一体化した一個の巨大な星雲であったといっていいだろう。私たちは、次にこのベンヤミンの残した「移動」の記述、パサージュ論に言及してみたい。 「遊歩者の歩くパリは世界都市である。つまりその通りの名前にフランスの各地方を人口や地勢に応じて割り当て、それによってパリがフランスの縮図になり、フランスがパリの拡大図になるような都市であり、街路名によって〈言葉の宇宙〉となるような世界都市である。室内も風景も世界都市としての性格を持っている。あるいは世界のバロック的迷宮性が現れている」(『ベンヤミン』三島憲一) ベンヤミンの「移動」の思考は、具体的な「パサージュ」へと逗留されることによって、明確な都市の理論へと発酵していった。パリがバロック的な迷宮としてその姿を現す瞬間、それを感受できるのは遊歩者である。ベンヤミンにあって「パサージュ」とは「交通」が激しく起こるバロック的な場であり、それを感受する遊歩者もまた交通するヒト、バロック的な人間である。ここでいうバロック的とは、ライプニッツのいうモナドのことだ。至るところ穴だらけでありながら、しかも閉じている場。交通とは、こうしたモナドのような場で起こる相互浸透的な状態のことをいう。この相互浸透的な状態をいかにして記述しうるか。ベンヤミンのパサージュ論の膨大なメモは、まさにその試みへのエスキースであった。「移動」しつつ記述するというのではなく、「移動」を記述すること。ベンヤミンの無謀ともいえるこの企てについて、大阪大学人間科学部教授・三島憲一氏にお尋ねする。 ベンヤミンがパサージュに見たモナドとしての交通の場を、現代の交通空間に置き換えるとどこに見いだすことができるだろうか。現在残っているパリのパサージュは、ベンヤミンのパサージュとは似ても似つかない代物である。もはやパリのパサージュは、単なる懐古的雰囲気を醸し出すだけの街路にすぎない。むしろ二○年代のパリのパサージュ空間と同質のものは、現在のWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)にこそ出現していると考えるべきではないだろうか。ベンヤミンがもし今生きていたら、まちがいなくインターネットのウェブがそうした交通の場であると言ったに違いない。デジタルかそうでないかという違いはもはや問題ではない。インターネットこそ、今日では交通空間の最もポピュラーなモデルだと考えていいのである。 そこで改めて次のように問うてみたい。インターネットが現代の交通空間を表象するものであるとして、ではそこで移動しているものとは何か。いったいインターネットという空間で何が交通しているのだろうか。私たちが問題にする移動論は、この問いを前にして大きく旋回することになるだろう。移動をどのように記述するか、私たちが問題にしたいのは、まさしくその記述の仕方なのである。 その前にひとまずインターネットという現代の交通空間について見ておこう。とくに移動という視点から、それをどう理解していくか考えてみよう。ここでは二人のプロパー、東京造形大学助教授でメディア論を専攻する桂英史氏とフリーランス・ライターでデジタル・メディアを研究する渡辺保史氏に議論していただく。 さて、記述の問題に入る前にもう一つデジタル・ネットワークに関連して、グローバリゼーションに触れておきたい。冷戦後の九○年代において世界経済は大きな変動を経験している。その最大要因がグローバル経済の進展である。自由投資市場という枠組みの中で資本の移動が加速度的に進行し、そこで発生する差異が膨大な富と経済危機を生み出す。世界経済はいわゆるカジノ経済と化し、金融システムの危機がいつ起こっても不思議でないような不安定な状況が続いている。かつて共産主義がそう喩えられたと同じ理由で、グローバリゼーションとは一種の妖怪だといえる。こうしたグローバリゼーションは、繰り返すまでもなく地球規模で起こる資本の自由な「移動」を要件としているのだ。差異の関係によってヒト・モノ・コトの移動が起こる。一つの国民国家が一夜にして壊滅することもありえるグローバリゼーションの波は、どんな小さな差異も見のがすことがない。このように不安定な世界経済が自律性を保ち続けるということが果たして可能なのだろうか。あるいはグローバリゼーションに拮抗しうるような新たな経済システムが構築できるのだろうか。 お尋ねするのは、北海道大学経済学部助教授・西部忠氏。私たちのこの質問に対して、西部氏はグローバリゼーションに対抗するシステムは存在し、それはLETSというまったく新しい地域通貨であるという。そして、LETSが対抗勢力となりうるのは、それがまさに「移動」することを条件とするようなシステムだからだというのである。 行為を記述する、変化を記述する 「移動」に関して、とりわけ身体行為としての「移動」に関する観察・分析は、従来実験系の心理学が扱ってきた問題である。行為、動き、運動をどのように捉え記述するか、それは心理学においても容易なことではなかったようだ。たとえば、認知心理学では統合化された知覚運動システムとしてそれを捉えたうえで、そのシステムのメカニズムを解析することによって、それを記述していこうとした。だが、この試みはその端緒においてアポリア(困難)を導き入れてしまう。アプリオリに知覚と運動を知覚されるものとしての外界と分けるところから出発し、そのインタラクション(刺激→受容→情報処理→反応)として知覚と運動をつかまえようとすることからその困難は生じる。情報処理機能の分析に関しては、コンピューティングの技術の飛躍的発達も手伝って洗練さをきわめているが、S-R機構を温存しているという意味では旧来の身体観を踏襲するものである。神経生理学の成果および脳の最新研究を総動員して取り組んでいるものの、いわゆる心身二元論による身体図式を抜けきれていない以上、そこには限界がつきまとうだろう。知覚と運動の機構を、まず従来のフォーマットから解放させることが先決である。 「すべての行為……有機体の形態形成も含めて……は、その行為が行われる環境なしには成立しない。行為の実現において、生物と環境の両方が立ち会っており、両者は対等である。これはおそらくジェームス・ギブソンがもっとも強調した点である」(「知覚-行為循環 有機体と環境、情報と力を持続する場としての」三嶋博之) ギブソンは、アフォーダンス理論を提唱した心理学者である。『談』ではこれまで何度かアフォーダンス理論を紹介してきたが、実はアフォーダンスは、まさにその旧来のフォーマットへの批判として提起された理論であった。知覚の問題を研究するためには、動物と環境の相互性が強調されなければならない。 福井大学教育地域科学部助教授・三嶋博之氏は、アフォーダンス理論の根拠となる「生態心理学」に準拠して、行為と環境のかかわりからなる知覚の理論化に取り組んでいる。知覚は人間にだけ特有のものではまったくない。動物進化のプロセスで形成されてきたメカニズムである。そこで重要になるのは、動物の環境への探索であり、探索とは「移動」の一つのあり方であるという。「生態心理学」は、「移動」を動物のリアルな運動のプロセスとして記述しようとしている。そこで、三嶋氏に身体の行為としての「移動」について、それをありのままにつかまえる方法をおうかがいする。 さて、「移動」をありのままにつかまえる手っ取り早いやり方は、自らが「移動」することである。ベンヤミンが企てたような、移動することが思考することになるような方法をつくり上げる必要がある。それは心理学、哲学、社会学といった個別の分野の問題としてではなくて、経験科学一般の問題として捉え直されなければならない。 「〈…〉まるで静止した映画の一コマ一コマを配列したようになる。そこで時間点の間隔を短くし、静止していると感じられないほど状態記述を立て続けに配置することになる。このとき観察者からみれば、その対象は動き続けているように見える。しかしかりに人間の細胞の状態を一瞬一瞬で静止させて記述し、それを緊密に配列した場合、それで動き続けている細胞を記述したことになるのだろうか」(『オートポイエーシス 第三世代システム』河本英夫) 答えはもちろんNOである。何が違うのだろうか。アニメーションと違い、細胞は自分自身で動き続けている。観察者が見ようが見まいがそんなことはお構いなく、ただ動いている。勝手に動き続けているだけなのだ。それを記述するには、観察をするだけでは不十分であり、むしろ動き続けることそのものに身をまかせる必要がある。それは「行為」することにほかならない。日々変化し、差異化しているという「行為」それ事態を捉える方法を生み出さなければならない。従来のとはまったく異なる新たな経験科学の方法が獲得されなければならないだろう。 東洋大学文学部教授・河本英夫氏は、そのアプローチの有力な概念装置としてオートポイエーシスの理論化に尽くしてきた。ポイエーシスとは、制作行為のことであり、アリストテレスは理論と実践に対峙するものとしてポイエーシスという概念を提唱した。行為の継続が自己そのものを創発すること、オートポイエーシスとは自らが変化していくことだ。河本氏に、オートポイエーシスの考え方を導入することによる「移動」の記述法について考察していただく。 「移動」、それは自らが自らを「差異」化していく行為なのではないか。その問いと共に自らの「旅」を始めることにしよう。 |
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