瞬間を生きること……ドロモロジーから遠く離れて

古東哲明

古東哲明

ことう・てつあき
1950年生まれ。広島大学名誉教授、NHK文化センター教員。専門は、哲学、現代思想、比較思想史。京都大学哲学科西洋哲学専攻卒業、同大学院博士課程単位取得満期退学。著書に『沈黙を生きる哲学』(夕日書房 2022 )、『瞬間を生きる哲学:今ここに佇む技法』(筑摩選書 2011)、『ハイデガー=存在神秘の哲学』(講談社現代新書 2002)、『〈在る〉ことの不思議』(勁草書房 1992)、共著に『マインドフルネスの背後にあるもの』(サンガ 2019 )他。
今この瞬間を味わうことがなぜ大切か、すごいか、もうおわかりでしょう。
永遠の味を賞味するからです。「生き死にを超える味」を体験するからです。
一瞬を深々と味わえば永遠を生きたことに等しいからです。これほどすごい体験もないはずです。

動きのなかに入り、共に動くこと……「顕現しないものの現象学」から考える

永井 晋

永井 晋

ながい・しん
1960年生まれ。東洋大学文学部哲学科教授。博士(文学)。専門は、哲学、現象学。早稲田大学第一文学部卒業。同大学院修士課程修了。パリ第1大学(DEA取得)、第10大学、第4大学に留学。著書に『〈精神的〉東洋哲学:顕現しないものの現象学』(知泉書館 2018)、『現象 学の転回:「顕現しないもの」に向けて』(知泉書館 2007)。論文に「形而上学としての比較哲学:「肯定現象学」試論」(2016)、「〈東洋哲学〉とは何か: 西田幾多郎と井筒俊彦の「東洋」の概念」(2015)、共訳書にジャン・リュック=マリオン『存在なき神』(法政大学出版局、2010)他。
カバラーの解釈学はまさに自動性です。
神の内部で、神の媒体になって神を経験する。つまり神の痕跡のテクストを新たに解釈する。
コルバンの「創造的想像力」も、一般的な想像力とは違って、それは神の想像力であるわけです。

経験する主体、オートノミーとリハビリテーション

宮本省三

宮本省三

みやもと・しょうぞう
1958年生まれ。日本認知神経リハビリテーション学会会長、高知医療学院学院長。高知医療学院卒。理学療法士。専門は身体哲学、運動心理学、脳卒中片麻痺のリハビリテーション、高次脳機能障害のリハビリテーション。イタリア留学でカルロ・ぺルフェッティに師事、新しい「認知運動療法(認知神経リハビリテーション)」を学び、その普及と指導にあたる。著書に『恋する塵:リハビリテーション未来圏への旅』(協同医書出版社 2014)、『脳のなかの身体:認知運動療法の挑戦』(講談社現代新書 2008)、編著書に『カルロ・ぺルフェッティ 対話は続く:私たちの臨床はどう変わったのか』宮本省三、中村三夫他(協同医書出版社2022)他。
自動化に突き進んでいったその先に、自律性をつくりあげるくらいじゃないと、
本当に新しいものは生まれてこないかもしれません。
そういう意味では、確かに没入する自動化も必要なんでしょうね。
ただ、自動化して、没入し過ぎてそこから出られなくなって、前に進めなくなってしまう人もいるでしょうから、
そこのバランスを取ることは、とても難しいところだと思います。

自動化の二つの側面


アルゴリズム取引の意味するもの
 HFTという言葉をご存知でしょうか。「High Frequency Trading」の頭文字をとったもので、日本語に訳せば高頻度取引となります。1秒間に何百回も取引を行うHFTは、当然人の手で行うことは不可能で、コンピュータを使って行われます。このようなコンピュータを使用する金融取引をアルゴリズム取引と呼び、他のIT技術同様に、現在はAIを使った取引へと進化しています。
 資金調達と資金運用を効率的に行うための施設が証券取引所ですが、アルゴリズム取引の場合、そうした物理的施設は不要になり、電子化された取引所がサイバー空間に存在するだけでよく、原理的には、取引プログラムとインターフェイスが決まれば、すぐにでも証券取引が開始できるそうです⑴ 。
 アルゴリズム取引のなかで、とくに発注頻度が高いのがHFTです。計算機技術と通信機技術の高度化に伴って、現在ではHFTは取引頻度を1ミリ秒(1000分の1秒)以下の間隔で行えるほどになってきたそうで、ニューヨークやロンドン、シンガポールでは、すでにマイクロ秒(100万分の1秒)の世界へ突入したといわれています。
 HFTで勝つためには、とにかく競争相手より、より速く取引する必要があります。ウォール街では一番速いプレーヤーがすべての利益の80%を獲得し、二番目が25%、残りは端数しか得られないとまことしやかに囁かれているようですが、あながち間違いではなさそうです。
 スピードを上げる=遅延を減らす方法としては、①計算機、②ソフトウェア、③回線の三つがあります。言うまでもなく、①はマシンの、②は取引ロボットの高速化ですが、③については面白いエピソードがあります。ノンフィクション『フラッシュ・ボーイズ:10億分の1秒の男たち』のモデルとなったベンチャー企業Spread Networks社が、3億ドルをかけて100万分の1秒(マイクロ秒)、10億分の1秒(ナノ秒)を節約するため、ニューヨークの金融市場とシカゴのそれを光ファイバーでつなぎました⑵ 。「地形がデコボコだろうが、頑固な地主が立ちはだかろうが、札束で顔をはたき、掘削禁止の国立公園も政治の裏ワザを使って、野越え、山越え、農地の地下も貫通して、一攫千金ならぬ一〈直〉千金のいかにもアメリカらしい無茶苦茶な猪突猛進」で、光ファイバー回線を一直線に敷設してしまった。その功あって、往復の通信時間をそれまでの16ミリ秒から13ミリ秒に短縮⑶ 。この3ミリ秒を買うために、HFT会社は競うようにその回線に群がったことは言うまでもありません。
 さらに遅延短縮の設備として最近注目されるものにコロケーション・サービスがあります。これは、取引場が、場内に顧客のサーバー・コンピュータを設置するサービスで、これによって取引所との通信路で発生していた遅延を最小化できるというものです。たとえば、日本証券取引所のコロケーション・サービスでは、コロケーション・エリアから取引所のシステムまでの通信時間は5マイクロ秒以下となっています。もはや人が介入する余地などまったくありません。まばたきをする間に、何千もの取引が成立してしまうのですから。このように短い遅延=(超)高速化は、言うなれば自動化の究極の姿と見ることもできるでしょう。

誰よりも速く、生-権力の実相
 ところで、HFTはどのくらい普及しているのでしょうか。全株取引のなかでHFTが占める比率については、2012年には米国では取引数全体の51%、またヨーロッパでは取引高全体の39%を占めていたという報告があります。ちなみに、日本の場合は、東京証券取引所でも、2013年に取引高全体の26%を占めていたという研究があります⑴ 。
 アルゴリズム取引は、従来人が行ってきた取引を機械にやらせるのですから、取引のアイデアそのものは変わりません。ただ、人間のトレーダーがしばしば使ういわゆる“直感“というものがアルゴリズム取引では使えないといわれています⑷ 。そのため、あらかじめ決めておいた取引戦略に曖昧な箇所があった場合、人間のトレーダーであれば臨機応変に対応するはずですが、機械の場合には曖昧な規則では想定外の状況に対して、どんな振る舞いをするかがまったくわからなくなります。つまり、アルゴリズム取引では曖昧性がまったく許されないのです⑷ 。じつは、これこそ人間のトレーダーが行う取引とアルゴリズム取引の違いであり、その相違は決定的です。何よりもこの違いを生み出した最大の要因こそ、自動化それ自体にあるからです。
 短い遅延=高速化を、今、自動化の究極の姿ではないかと言いましたが、この高速化に注目し分析を試みたのがフランスの社会思想家ポール・ヴィリリオです。ヴィリリオは、この高速化という事態に着目し、それを近代特有の「先へ先へ走らせ、追い立てる強制力」であり、それを「速度」(vitesse)と看破したのです。速度という概念。この「速度」は、国家や社会、組織、さらには個人の生活にすら入り込みます。社会構造そのものが「速度」の名のもとに再編成され、もはや「速度」なしには駆動することすらできない。それが現代社会であり、それをヴィリリオは、「ドロモロジー」と名付けました。
 〈今ここ〉ではない〈いつかどこか〉の前方へ競わせ、走らせ、追い立てる原理としてのドロモロジー。単にスピードや効率を求める論理や技法だけではなく、〈今ここ〉というローカルな時空からわれわれを追い出し、〈いつかどこか〉の未来へ向け競って走るよう強いる不気味な強制力⑸ 。それこそがドロモロジーであり、今や物理的強制移住としてではなく、「生や生活の強制移動」というかたちで進行しているというのです。まさにここに現象するのは、ミシェル・フーコーのいう生-権力の行使です。生-権力が目に見えない姿で、あるいは逆に赤裸々に目の前に現れるのです。このように隠されていながら、露出もしている当のもの、それこそが生-権力の実相です。
 ローマ帝国が世界を支配できたのは、道路を制圧し最速の戦車をもっていたからといわれていますが、それと同様、現代でもまた「速度」がすべてです。先のHFTに散見できるように、高速高密度の情報を握ったものが勝者となります。新製品や最新の株式情報が、企業の命運を決するのです。ローマ時代も現代社会も、速いもの勝ちの社会である点では、まったく同じということになります。

自動化する自律性、自律化する自動性
 世界は、「速度」に支配されています。より速く、より遠くへ走るように。それに拍車をかけるのが資本主義的産業構造です。哲学者の古東哲明氏は、フランスの思想家ショルジュ・バタイユの言葉を引きながら、その正体を「前望構造(projection)」と言いました⑸ 。projectionとは語義的には、「前に(pro)+投げること(jacere)」。投機、生命保険、貯蓄利子、年金、株式配当などにみられるように、資本主義的経済システムは、未来の利得や成果をあてにし、今この時この場で味わえる悦びや成果はお預け式の経済構造です。
 資本主義体制というと、普通は、私利私欲をあくなく追求する貪欲な経済システムを想像しがちですが、じつはそれとは裏腹のむしろ極めてストイックなしくみだと古東氏は言います。何ごとかの価値(富)を味わえるのは、今この現在の瞬間においてより他にはないのに、その享受を我慢し、先送りにします。なぜなら、目前の財富にこだわっていては、未来に約束された〈もっと大きな富〉を逃すからです。そう思わせて、人を社会を、前のめりに動かしてしまうのは、資本主義経済の骨格をなす「前望構造」があるからです⑸ 。
 ところで、生-権力を理解する唯一の方法は、自ら生-権力を身体の内部からそれをそれとして実感することです。生-権力の現場である身体を身体のまままるごと受け入れて、身体が身体としてそこにあることを身体の内部から感じ取ること。身体という物体を外から捉えるのではなく、いわば肉の内側から感受すること。そうすることで初めて肉に張り巡らされた生-権力のネットワークにふれることができるのです。
 今号は、ドロモロジーを取り上げます。まず、ドロモロジーが現代のウルチマ・ラティオ、すなわち究極原理として機能しているという問題意識のもと、そこから脱却する道を模索する広島大学名誉教授の古東哲明氏にお聞きします。ドロモロジーは、〈今ここ〉の瞬間を生きない傾向性(世界の老化)を、長い時間をかけて培養してきました。簡単には断ち切ることも破壊することもできません。であるならば、むしろその内部に定位し、内的環境そのものを問う必要があるのではないか。内的環境である「時間意識体制」に抗う方途を探ります。
 西洋哲学である現象学を根拠に、精神的東洋哲学への転回を模索するのは東洋大学文学部哲学科教授の永井晋氏です。一者の自己顕現を運動として体験的、経験的に理解し得る方法を探る永井氏に、自己顕現の運動を、精神の自動性と読み換えることはいかにして可能か、お尋ねします。
 認知神経リハビリテーションを研究・実践する宮本省三氏は、すべての運動麻痺を「身体を使って世界に意味を与えることができなくなった状態」と解釈し、それゆえ、運動機能の回復とは、「世界に意味を与える身体」を取り戻すことだと喝破します。それは、別言すれば、自動性を失った身体に、再び自動性を回復させ、同時に自律性を創発することです。脳の中に身体を発見し、身体を脳と陸続きに考える新たなリハビリテーションの地平。それは、経験する主体の誕生を意味することになるでしょう。(佐藤真)

引用・参考文献
(1)足立高徳『アルゴリズム取引』(朝倉書店 2018)p1-2
(2)M・ルイス『フラッシュ・ボーイズ』渡会圭子、東江一紀訳(文春文庫 2019)p406-407
(3)足立高徳『アルゴリズム取引』(朝倉書店 2018)p115-116
(4)足立高徳『アルゴリズム取引』(朝倉書店 2018)p3-4
(5)古東哲明『瞬間を生きる哲学:〈今ここ〉に佇む技法』(筑摩選書 2011)p036-038


◎瞬間抹消、速度、前望構造

時間と存在(新装版) 大森荘蔵 青土社 2023
時間とヴァーチャリティー:ポール・ヴィリリオと現代のテクノロジー・身体・環境 本間邦雄 書肆心水 2019
物質と記憶 H・ベルクソン 杉山直樹訳 講談社学術文庫 2019
黄昏の夜明け:光速度社会の両義的現実と人類史の「今」 P・ヴィリリオ、S・ロトランジェ 土屋進訳 新評論 2019
ドン・ファンの教え(新装版) C・カスタネダ 真崎義博訳 太田出版 2013
時間の比較社会学 真木悠介 岩波現代文庫 2003
雑誌 現代思想 2002年1月号 特集=ヴィリリオ 戦争の変容と政治 青土社 2002
速度と政治:地政学から時政学へ P・ヴィリリオ 市田良彦訳 平凡社ライブラリー 2001
遅刻の誕生:近代日本における時間意識の形成 橋本毅彦、栗山茂久編著 三元社 2001
時は流れず 大森荘蔵 青土社 1996
文化を超えて E・T・ホール 岩田慶治、谷泰訳 TBSブリタニカ 1979
沈黙のことば E・T・ホール 國弘正雄、長井善美他訳 南雲堂 1966


◎身体・脳・リハビリテーション

頭のうえを何かが:Ones Passed Over Head 岡崎乾二郎 ナナロク社 2023
カルロ・ペルフェッティ 対話は続く:私たちの臨床はどう変わったのか 宮本省三、中村三夫編 協同医書出版社 2022
自由エネルギー原理入門:知覚・行動・コミュニケーションの計算理論 乾敏郎、阪口豊 岩波書店 2021
ぺルフェッティ・バースペクティブ[1]認知神経リハビリテーションの誕生:身体と精神をめぐる思索 C・ペルフェッティ 宮本省三編、小池美納訳 協同医書出版社 2021
疼痛の認知神経リハビリテーション C・ペルフェッティ、F・パンテ他 宮本省三他監修、小池美納他訳 協同医書出版社 2020
脳の大統一理論:自由エネルギー原理とはなにか 乾敏郎、阪口豊 岩波科学ライブラリー 2020
恋する塵:リハビリテーション未来圏への旅 宮本省三 協同医書出版社 2014
片麻痺:バビンスキーからペルフェッティへ 宮本省三 協同医書出版社 2014
身体と精神:ロマンティック・サイエンスとしての認知神経リハビリテーション C・ペルフェッティ 宮本省三他監訳、小池美納訳
協同医書出版社 2012
リハビリテーション・ルネサンス:心と脳と身体の回復、認知運動療法の挑戦 宮本省三 春秋社 2006
メタモルフォーゼ:オートポイエーシスの核心 河本英夫 青土社 2002
知恵の樹:生きている世界はどのようにして生まれるのか H・マトゥラーナ、F・バレーラ 管啓次郎訳 ちくま学芸文庫 1997


◎現象学・東洋哲学・脱-構築

啓示の現象学:ミシェル・アンリとジャン=リュック・マリオン 佐藤国郎 アルテ/星雲社 2023
仏教哲学序説 護山真也 未来哲学研究所/ぷねうま舎 2021
東洋哲学序説:井筒俊彦と二重の見 西平直 ぷねうま舎 2021
雑誌 未来哲学 創刊号 2020年後期 未来哲学研究所/ぷねうま舎 2020
コスモスとアンチコスモス:東洋哲学のために 井筒俊彦 岩波文庫 2019
〈精神的〉東洋哲学:顕現しないものの現象学 永井晋 知泉書館 2018
身体の哲学と現象学(新装版):ビラン存在論についての試論 M・アンリ 中敬夫訳 法政大学出版局 2016
ミシェル・アンリ:生の現象学入門 P・オーディ 川瀬雅也訳 勁草書房 2012
現象学の転回:「顕現しないもの」に向けて 永井晋 知泉書館 2007
現象学とは何か:フッサールの後期思想を中心として 新田義弘 講談社学術文庫 1992
意識と本質:精神的東洋を索めて 井筒俊彦 岩波文庫 1991


◎永遠・瞬間・中動態

沈黙を生きる哲学 古東哲明 夕日書房 2022
瞬間 W・シンボルスカ 沼野充義訳 未知谷 2022
中動態の世界:意志と責任の考古学 國分功一郎 医学書院 2017
時と永遠(他八篇) 波多野精一 岩波文庫 2012
瞬間を生きる哲学:〈今ここ〉に佇む技法 古東哲明 筑摩選書 2011
瞬間と永遠:ジル・ドゥルーズの時間論 檜垣立哉 岩波書店 2010
歴史と瞬間:ジョルジュ・バタイユにおける時間思想の研究 和田康 渓水社 2004
瞬間の君臨:リアルタイム世界の構造と人間社会の行方 P・ヴィリリオ 土屋進訳 新評論 2003
永遠の歴史 J・L・ボルヘス 土岐恒二訳 ちくま学芸文庫 2001
今の瞬間 V・シオン 福岡カルメル会訳 女子パウロ会 1996


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