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芳賀 石毛さんもたばこは吸うの?
石毛 ええ、吸います。ヘビースモーカーです。
芳賀 いいですな。で、石毛さんは何歳くらいから吸ってたの?
石毛 私は遅いんですよ。二一歳からかな。酒は早いんですが……。
芳賀 じゃあ、私と同じくらいですね。私はだいたい酒とたばこは同じ頃から。女はもっと後です(笑)。友達の家で吸い始めたのが最初かな。
石毛 私も酒を教えた友達から、代わりにたばこを教えてもらったんです。最初の銘柄はなんでしたか?
芳賀 ピースだったと思います。昭和二六年だから、戦後四年目くらい。もう新しいパッケージ・デザインになっていたかな。これは、当時、専売公社がアメリカのレイモンド・ローウィというデザイナーに破格の値段でデザインをお願いしたらしいですね。当事のお金で一五○万円というからすごい。しかも国の予算でしょう。この人は、ラッキーストライクのデザインとか、車のデザインなどインダストリアルデザインも手掛けた人ですね。日本では、『口紅から機関車まで』という本の著者として有名です。
石毛 私がまだ学生だった一九六○年前後のことですが、当時は海外調査に行く時に、専売公社に書類を持っていくと、木箱にぎっしりと詰まった缶ピースを寄付してくれたんですよ。国策的な意味合いがあったんでしょうけど、普段は新生を吸っているのに、調査に行く時はピースが吸えるので嬉しかったのを憶えています。
芳賀 昔はそういう制度があったんですか。じゃあ、今は数少なくなったわれわれスモーカーに宣伝用としてマルボロかなんか、ぎっちり木箱に入ったのをポンとくれるといいんだけどなぁ(笑)。
石毛 以前にあるお役所でたばこ問題審議会というのがあって、そこでしゃべったことがあるのですが、謝礼は少なかったけれど、私が吸ってる銘柄のたばこを後でごっそり送ってくれたことがありましたよ。
芳賀 なるほど、そうですか。それにしても、たばこというのは非常に思い入れが深いものですね。喫茶店は覚えていても、どんなコーヒーを飲んだかなんてあまり覚えちゃいない。でも、たばこは非常に鮮明に憶えている。友だちの家で初めて吸った時のこととか。あれは、裁判官の息子の家でしたけど、四畳半くらいの部屋に黒檀の机があって、そこにたばこが置いてあって、吸おうよってね。で、むせたりもしたけど、それも嬉しかったり。
石毛 わかります。たばこの記憶といえば、小道具とも結び付いていますね。昔はロンソンとかダンヒルとかブランドのライターを大事に使っている人がいましたけど、この頃はもっぱら一○○円ライターになってしまった。
芳賀 そうなんですよ。私も今じゃカートンで買うとおまけでついてくるやつを使ってます。昔はいいライターを自慢したものですが。以前、タクシーの中で、デュポンのライターを拾ったことがあるんですよ。最初はガスの入れ方がわからなくてほったらかしにしていたのですが、ある人にすごいライター持ってるなって言われて、それでガスの入れ方を教わって、以来三年くらい愛用していたんですけどね。またタクシーの中で忘れてきちゃったの。それもよく憶えているな。それから、喫茶店やホテルに行けば、必ずマッチをもらってきてね。
石毛 この頃はレストランでもマッチがないところが結構ありますよね。
芳賀 あったとしても、今のは紙の薄いヤツでね。これはつまんないんだ。やっぱり箱から取り出して、棒が燃えるところがいいんだよね。こういう細かい手仕事が入るからたばこというのは面白い。パッケージにしても、外側のフィルムをはいで、箱を開けて、中の銀紙をとってっていう、この一連の動作がいいじゃない。外国の空港で買ってくるたばことかだと、表面のピラピラを剥くときの引き手が変なところにあって、表のフィルムがしわしわになったりするんです。日本のはカチっとつくってあるでしょう? そういうところに文化を感じたりね。
僕のドイツ語の先生は『ビルマの竪琴』を書いた竹山道雄先生で、大学を出てからも先生のお宅によく通っていたんのですが、あの先生はいつも富士を吸ってましてね。富士を出して、吸う前に鼻のところにたばこを横に置いて、サッと匂いを嗅いでおもむろにくわえてマッチで火をつけるんです。ああいう仕草も非常に印象深いものですね。長く付き合ってると、その人のたばこの癖が記憶に残る。こういう小道具が生活からだんだんなくなっていくのは非常に残念です。
昔はたばこをトントントンってやったけど、石毛さんはやりましたか?
石毛 フィルター以前はやりましたね。やっぱりトントントンって。あれとよく似てるのがビールの王冠を栓抜きでポンポンって叩くやつ。
芳賀 なんでそんなことするんだろう。一種のまじないだね。人間というのは、そういういろいろな仕草で意味を伝えたり、楽しんだりということがあるんでしょうね。
異国のたばこの匂いが想起させるもの
石毛 ほかにどんなたばこを吸ってましたか?
芳賀 ハイライトやマイルドセブンも吸いましたけど、フランスに留学した時には、ゴーロワーズやジターヌを吸ったりもしました。でも、どうもあまり好きになれなかったな。
石毛 味が?
芳賀 あれは葉っぱもたばこの種類もちがうでしょう。巻き方がゴソッとしていて太いし、必ずぼそぼそと葉っぱが口の中に残る。ビフテキを食べて赤ワインを飲んだ後には断然ゴーロワーズがいいという話があって、そういうもんかと思って吸っていましたけど。それからゲルベゾルテ。ちょっとインテリぶってね。
石毛 ああいう系統のたばこは葉巻やパイプたばこと同じですね。油っ気のある肉料理をガンと食べた後にはいい。しかし私はどちらかというと喉が弱いものだから、葉巻やパイプはダメなんです。
芳賀 僕もちょっと安パイプを買って吸ってみたことがあったけど、あれは面倒くさくてね。すぐに火が消えたりするし、灰皿に置いておくこともできないから仕事をしながら吸えない。でも、パイプたばこの甘い香りはいいですね。
石毛 あれはいい。匂いでいうと、インドネシアでよく吸われるクレティックというたばこが印象的です。これはクローブ(丁子)のエッセンスオイルが入っているのですが、クセになります。暗いところで吸うとエッセンスオイルに引火して火花の小さいのがいっぱい散るんです。われわれの博物館でもインドネシア研究者が何人かいて、クレティックを吸っていると廊下にまで匂ってくるので、匂いのもとを辿って、一本わけてくれなんてよくやってます。
芳賀 ゴーロワーズの匂いも部屋に残りますね。一九七五年頃、ベトナム戦争の終わる直前、サイゴンにいった時にフランス系のホテルに泊まったのですが、一歩ホテルの中に入ったら、ふわっとゴーロワーズの匂いがして、部屋に入ったら本当に匂いが壁に染み込んでるのね。何か懐かしいような、不潔なような感じで、非常に印象深かった。だから、ゴーロワーズの匂いを嗅ぐと、今でも懐かしくなる。フランス文学者の杉本秀太郎もフランスで覚えてきて、下京綾小路の家でいまだにゴーロワーズを吸ってますよ。
石毛 イスラム圏に行くと、安息香、ベンゾインの匂いがしますね。イスラムというのは、香を炊くのが好きなんですが、一種のお清めなんですね。この香の匂いとクレティックの匂いというのは、とても合います。
芳賀 でも、そのたばこは西洋人がもたらしたものなんでしょう?
石毛 喫煙の習慣は西洋人が伝えたが、それにインドネシアの特産物のクローブが結合して、今ではインドネシアの国民的な匂いになりました。
芳賀 ああ、そうか。ゴーロワーズがフランスの匂いみたいにね。 |
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石毛 たばこのパッケージですが、この頃自販機に並んでいるのを見ると、ほとんど白が基調ですね。
芳賀 白と青かな。
石毛 それから緑色が入っているのはメントール。いつからか、緑色はメントールの記号になってしまった。
芳賀 喫煙者の方も、緑はメントールというイメージがちゃんとできていますね。ブルーというのは軽めのたばことか。一方で、ピースの紺はいかにも軽くない。あの深い紺色も白抜きのローマ字も、忘れがたいですね。
石毛 それにしても、なぜ、シガレットの巻紙は全部白なんでしょう? 時々、葉巻っぽく茶色にしたものがあるけど、通常は白でしょう。口にするものだからということで、清潔感を表現しているのかな。
芳賀 戦後、手巻きの頃は、辞書を引っ剥がして巻紙に使ったこともあったようですけどね。
石毛 今でもオランダとかだと、自分で巻く巻きたばこが売ってますね。ソ連でも自分で巻くものが結構あって、それを巻く時に、新聞のプラウダ紙とイズベスチャ紙とどっちが美味いか、なんてね(笑)。シガレットの場合、白がほとんどだというのは、やはりたばこというのは動くアクセサリーだから、白がいちばん無難だということなのかもしれません。
芳賀 何にでも合うということかな。
パッケージのデザインで印象深いものといえば、光ですね。あれは三越のポスターで有名な杉浦非水のデザインなんです。この人は、黒田清輝のところで書生をしていたのですが、一九○○年に黒田清輝がパリの万博へ行って、アルフォンス・ミシャなどのアールヌーヴォーのポスターをもって帰ってきたのを見て、夢中になったようです。もう一人、中沢弘光という画家も黒田の弟子でしたが、この二人がアールヌーヴォーの先駆けになった。非水と中沢は、その頃に出た与謝野晶子の『みだれ髪』を、アールヌーヴォー風のカルタに仕立てたりもしてるんですよ。昭和二年に東京に地下鉄が通った時の最初のポスターも非水ですね。
やはりたばこというのは、年中机の上に置いておいたり、ポケットから出し入れするものだから、パッケージというのは非常に重要で、そのたばこの味やイメージまでをも表現していると思います。アメリカ留学の時は、ラークも吸っていましたが、これもパッケージが印象深くて吸っていました。
石毛 ききょうやゴールデンバットのように、絵画的なものもありますよね。印象的だったのは、ラッキーストライクの赤いマル。以来、幾何学的なデザインが増えたように思います。
芳賀 絵がなくなったんですね。
石毛 不思議と、たばこというのは自分の銘柄が決まっちゃうでしょう。酒はその時の気分で変えたりするのに、たばこはなぜか変えない。
芳賀 そう、変えないよな。やはり自分のたばこっていうのがある。さっきから五時間も吸ってなくて、仕方ないから一本もらえますかって時には石毛さんのマイルドマイルドセブンを吸うかもしれないけど。なかったら慌てて買いに行くしね。
石毛 香りやニコチン、タールの微妙なちがいはあるのだろうけど、ある銘柄にこだわるというのはどういうことなんでしょうね。
芳賀 タールやニコチンの量のちがいなんて、本当に微妙なところでしょう。だから、自分が普段吸ってるタバコを含めて目隠しして吸うと区別がつかないというしね。
石毛 へぇ、そうなんですか。まあ、ビールもブラインドテストをしたら当てられないというからね。私なんかも、長期に海外に行く場合は土地のものを吸うこともありますが、自分の吸ってる銘柄があったら吸いたい。一度、小松左京さんとイースター島に取材に行ったことがあるんですが、小松さんが僕に輪をかけたヘビースモーカーでね。ところが、現地には土地のたばこしかないわけですよ。小松さんが、今日はしんどいからもう仕事をしない、って言ったら、プロデューサーが隠し持っていた彼の銘柄のたばこのカートンを見せて、今日仕事をしたらこれをあげるって差し出したの。そしたら小松さん、突然、やるやるって(笑)。それくらい、自分のたばこにこだわってしまうんですね。 |
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芳賀 ところで、たばこというのは、やはり大人になるための通過儀礼としての意味もありますよね。
石毛 たばこや酒というのは、とくに男性の通過儀礼として用いられることが多いですね。私が調査していた東アフリカのダトーガ族は、蜂蜜で酒をつくるのですが、酒を飲めるのは長老になってからなんです。男は少年組、若者組、長老組という三つの年齢階層に分かれていて、蜂蜜の酒をつくらされるのは若者組の連中。長老組というのは、結婚して子供ができて四○歳近くになってやっとメンバーになるのですが、そうなれば瓢箪や牛の角でつくった杯を持たされて、酒を飲む権利を得ることができる。それまではいっさい飲んではいけないんです。だから、若者組は早く長老組に入って酒を飲みたいと思うんですね。それからインディアンの間では、たばこの回し飲みの儀礼があります。アヘンやハッシシといった薬物を通過儀礼に使う場合もある。古い例だと、ヘロドトスの『歴史』のスキタイ人の記述に、スキタイ人はテントのなかに焼け石を置いて、その上に大麻を載せて燻るとあります。これは儀礼とは関係ないことですが、その煙のもうもうとしたテントに入って、煙を吸い込んで唸り声を出して上機嫌になっているって。
いずれにせよ、酒やたばこ、お茶といった嗜好品が異文化に受け入れられていく過程としては、宗教の儀式の中で、もしくは薬用として用いられることが多いですね。次の段階は、ある限られた人々が用いる嗜好品となり、やがて常用品として社会全体に受け入れられていく。たばこが日本に入ってきた時も、最初は薬だと言われたんですよ。それが慶長年間くらいから流行り出す。ちょうどこの頃、新大陸からもたらされたものとして梅毒がありましたが、たばこを吸うと梅毒が治るなんて言われていました。
芳賀 今は、たばこを吸っているとアルツハイマーにならないという話がありますね。
石毛 それは根拠があるらしいですね。面白いのは、日本の文化というのは、それぞれ食器も別にしますし、直箸は嫌がるし、他人のけがれだとか、他人の人格が口を通じて感染するというようなことを非常に気にしますよね。ところが、酒やお茶やたばこは回し飲みをするんです。
芳賀 あれは、回し飲みをして仲間という意識を持つためでしょう?
石毛 そうですね。一種の連帯をつくるんです。こうして宗教の儀式のアイテムや薬として用いられていたものが、やがて文化となっていく。面白いのは、日本におけるたばこの浸透に、女郎屋が大いにかかわっていることですね。
芳賀 吉原でも島原でも、煙草盆を前に太夫が長い煙管を持って、禿に火をつけさせていたんですね。そういえば、最近は煙管を吸う人は見かけなくなりましたね。
石毛 煙管の時代は女性も吸ったんですよ。これが、紙巻たばこになると、女だてらにたばこを吸うのは水商売人だといって蔑まれるようになった。だから、逆に明治の初めくらいのほうが日本の女性のたばこ人口ってものすごく多かったんですよ。
芳賀 大概の人が吸っていたし、絵の中にもよく出てきますね。きれいなラオの煙管を持ってね。あれは、掃除をするのも大変だったでしょうな。一方で、紙巻たばこになると、女性は男女平等を誇示するような吸い方をするようになる。昭和の初めに銀座を闊歩していたモガは紙巻たばこを吸っていたんじゃないですか。現代でも、若い女子学生は盛んにたばこを吸うものね。それも、歩きながら吸ってる。
石毛 何かを誇示してる感じでね。
芳賀 誇示してる。横断歩道で携帯電話をかけながらたばこを吸ってるのを見ると、さすがに男どもはタジタジしてしまう。そういえば、大槻玄沢は『■(クサカンムリ+焉)録』という有名なたばこ論を書いていますね。この本を司馬江漢が批判しているのですが、たばこというのは庶民のものなのに、玄沢は偉そうに漢文で書きやがってと言ってるんです。当時、すでにたばこというのは庶民のものだったわけですね。
平賀源内の肖像にも長い煙管を吸っているものがあります。小指を立ててとてもキザにね。あれは、愉快だな。石川啄木の詩の中には、自分の夢見る住まいのことを詠んだ詩があって、そこにたばこが出てきます。広い庭があって、その向こうに高い木があって、その木の下に長椅子を置いて、そこで三日おきに丸善から送られてくる洋書のページを切りながら、エジプトたばこを燻らせる。家内がパパ、晩御飯よと呼んでくれるまでうつらうつらと本を読み、たばこを吸うと。それがいいんだっていうね。これはおよそ彼には手が届かない世界で、切ない哀れな詩なのね。その時すでに啄木も奥さんもお母さんも肺病を患っていて、自分は後一年で死ぬという状況で詠んだ詩なんです。
もちろん日本だけじゃなくて、西部劇にだってたばこは不可欠な小道具でしたよね。古い映画を観ればいたるところにたばこが出てきます。たばこなしでは映画も芝居も成り立たなかった。間をつくったり、たばこを吸う仕草で暗黙のうちに意味を伝えたり、いろんなことができた。
石毛 日本の講談の中にも、見知らぬ同士が、ちょっと火をお貸しください、なんてところからストーリーが展開するとかね。 |
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芳賀 明治時代の京都ホテルなんかにはスモーキングルームというのがあったようですね。八坂神社の近くにあった「自由亭」にもスモーキングルームがあって、インドから旅行してきたキプリングなんかもそこに泊まっていたようですが、たばこをやりながら相客同士でビジネスの情報交換をしていたようです。このようすが、『キプリングの日本発見』という本に詳しく書いてありますね。日本だけで考えたって、たばこにはすでに四○○年以上の歴史があって、生活の中に入ってきて、文学になり、絵になり、人間関係の緩和剤になっているわけです。こんなふうに生活の中に織り込まれているものを、いまさら引き抜こうったって難しいんじゃないかな。
芳賀 一口にたばこと言っても、嗅ぎたばこや水たばこといったものもありますね。やられたことありますか?
石毛 私は、先ほどのアフリカのダトーガ族と暮らしていた時に、嗅ぎたばこを吸ったことがあります。彼等は牧畜民なので、朝早くから牛を何十頭も連れて、槍を持って放牧に出かけるんです。で、サバンナで牛に草を食べさせて、泉で水を飲ませて、晩に帰ってくる。そうした生活だと、火をつけてたばこを吸うなんて余裕はない。だから嗅ぎたばこをやるんです。これはたばこの葉っぱを粉にして鼻に入れるんですけど、ものすごい刺激なんですよ。鼻腔がツーンってする。くしゃみが連発して出ます。ニコチンを鼻の粘膜から吸収させるわけですね。
水たばこの場合は肺活量がいります。ビンの中の空気と一緒に吸い込みますからね。でも、これは気をつけないと、知らず知らずのうちに大麻や阿片が入っていたりして(笑)。
芳賀 なるほど。私はやったことがないからよくわからないけど、味ということでいうと、たばこと食事の組み合わせというのも重要ですね。
石毛 食事が終わったら一服したいというのはありますね。食事の締めくくりの一服としてね。
芳賀 そういう癖がからだに染み付いてるな。飛行機の中でステーキと赤ワインなんかが出てくると吸いたくなる。
石毛 日本の場合、昔は食事もたばこも強烈な味のものは好まれなかった。刻みたばこは、味も香りもソフトなんです。食事に強烈な香辛料や油脂を使いませんから、やはりたばこもやわらかいものが好まれる。
芳賀 西洋料理を食べている時は、正式にはたばこを吸わないのがマナーなんですよね。でも、どうしても吸いたくなるんだな。あれは困る。せっかく美味しい食事なのに、早く終わんないかななんて思ったり。吸おうとすると、すぐ妻にたしなめられるし。
石毛 酒を飲みながら食事をすると、やっぱりたばこが欲しくなりますね。われわれの文化では何か酒とたばこがセットになっているようなところがあります。
芳賀 日本酒でもウイスキーでもビールでもね。それでたばこを吸うとまた酒がほしくなるんだから、悪循環だな。僕は大体一日に一箱くらいだけど、夜中の一一時くらいから明け方まで仕事をしている間には、やっぱり次々吸ってしまう。
石毛 そうですね。モノを書く時はどうしても欲しくなる。僕はワープロを使ったのはわりと早くからなんですが、なぜそうなったかというと、一つには字が汚いことと、もう一つは、手書きの原稿だったらたばこを吸いながらやってしまうけど、キーボード相手だったらできないだろうから本数が減ると思ったからなんですね。ところが、やってみたら気づくと片手で打って吸ってる……。
芳賀 僕は依然として全部手書きです。左手でたばこを吸いながらね。書いた原稿を眺めながら吸って、ウイスキーを飲んで、そうするとまた吸いたくなって。夜中に余計に一○本くらい吸ってるんじゃないかな。僕は夜中に書いて明け方寝るのがいちばんいい生活のリズムなんだけど、たばこを吸いながら書くととても集中できるのね。吸わずにはいられないというか、どんどん無意識のうちに吸っている。気づくともう灰皿の中がいっぱいになっててね。たばこを吸いながら原稿を書くというのが、いわば組織化されちゃってるな。
石毛 だから、最近の禁煙の流れというのは、つらいですね。この前も、ロンドン大学で学会があって、建物の中は禁煙なんですが、建物を一歩出たら吸殻だらけでね。
芳賀 アメリカの大学はもっとうるさいですよ。でも、建物の玄関を出たところに大きな灰皿が置いてあって、そこでみんなでお互いに一種の友情を感じながらたばこ飲みが集まって吸うわけですよ。文明国の中では、フランスはわりあい緩やかですね。食事をしながらたばこを吸うのはおおっぴらになっていて、あれを禁止したらお客は来なくなるという。イタリアだってそんなにうるさくないでしょう。アメリカのピューリタリズムはよくないねぇ。
石毛 アメリカの嫌煙運動と禁酒法は大変よく似ているんですね。禁酒法を支えたのは、東部のピューリタン、WASPですよね。嫌煙権も根は同じところから発生しているけど、一つだけちがっているのは、禁酒法の時は神様を持ち出してきたことです。
芳賀 ほう、酒を飲むのを神が許さないと?
石毛 酒を飲んで酔っ払ったりすると、神様に対して不敬であるという考え方がピューリタンを支えたわけです。ところが、現代の嫌煙運動は神の代わりに健康問題という科学を持ち出してきた。科学が宗教に取って代わったという構造ですね。
芳賀 一方で、アメリカのスモーカーというのはものすごく吸うでしょう。アムトラック鉄道のスモーカーズワゴンなんて、もうこちらも耐え難いぐらい。向こうが見えないくらいの煙だもん。極端だよね。カトリックというのは、教会建築にしろ、バロック絵画にしろ、オペラにしろ、あるいはワインやリキュールにしろ、芸術というものの働きを大いに認めてきたから、プロテスタントに比べるとはるかに寛容なんだな。アメリカ人というのは、自分の思想を振りかざす人種だからなぁ。民主主義とキリスト教と禁煙。全部つながっている。
石毛 それが正義であると。
芳賀 ブッシュ政権はその権化ですよ。
石毛 イスラムだって、酒もたばこもいっさいダメというのは、アラビア半島とか中近東の一部くらいで、あとは結構やっていますしね。東南アジアのイスラムなんて、そんなにカタイことは言いません。アフリカだってね。
芳賀 アフリカ人が嫌煙なんて言い出したら、世も果てだな(笑)。
石毛 嗜好品っていうのは、精神に作用するものなんですね。阿片や大麻だと強すぎて、幻覚を見たり幻聴を聴いたりすることになるから、常用品にはならない。だから、嗜好品の段階にとどまるし、社会的に禁止するのも頷ける。一方で、たばこやアルコール、お茶、コーヒー、といったものは常用品です。これらは大脳へ弱い作用を与えるものですが、一度、これらに依存してしまうと、なかなかやめられないものなんですね。でも、この程度の依存にいちいち目くじらを立てることもないかな、というのが私の意見です。
芳賀 そうね。だから、僕はアメリカ人には、「If you stop driving, I will stop smoking」って言ってやりたい。自動車の排気ガスであれだけ大気を汚染しておいて、たばこの煙に目くじらを立てることないじゃないかって。さんざん自動車を乗り回してるやつに、たばこをやめろなんて言われたくないな。しかも、たばこはわれわれ日本人の生活の中の不可欠な文化になっているわけだから。そういう文化を捨てるような寒々とした生活は私には耐え難い。私はあの世に行っても吸い続ける。見てろ、俺の墓から煙が出るぞって(笑)。
石毛 禁酒法の失敗というのは、教訓になってないんですね。
芳賀 鉄道の駅のホームでやたらに吸わせないというのはいいと思います。昔はホームの下の線路は吸殻だらけだったもんね。あれがなくなっただけでも確かにいい。でも、ヒステリーみたいな嫌煙運動に対しては、こっちもリベンジしたくなっちゃう。アメリカの排他的なピューリタリズムなんて原理主義者だよね。だから一種の嫌煙ファッショなんだ。われわれ自由を求める者はたばこは吸わないことについては何も言わない。吸えと勧めるわけじゃないんだから。そもそもグローバリズムっていうのは、さまざまな文化の相対性を認めるってことでしょう?
石毛 厄介なのは、神様の代わりに科学を持ち出してきたことですね。科学が一緒になっちゃうと、もうアメリカだけの問題じゃなくなっちゃう。
芳賀 アメリカなんか、たまたま権力や経済力があるからそれを押し付けようとしてるんですね。だから、たばこを吸うのは嫌米の現われなの。あ、でも、僕はマルボロを吸ってるから何か矛盾してるな(笑)。
でも、矛盾を受け入れるというのも、寛容の一つだからね。たばこを吸う人は吸わないことに付き合ってるわけだから寛容なんですよ。それで、黙って外へ出て吸うんだから。でも、あれってちょっと惨めな気がするね。
石毛 そうですね。何か差別されているような。
芳賀 そうそう。だから差別された側に何か連帯意識が生まれてしまう。雨が降っていようが、雪が降っていようが、建物の玄関の外へ出て、お互いにやにやしながら、石鍋みたいな大きな灰皿の前で吸ってるとね。ところで、石毛さんの奥様は嫌煙ではないの?
石毛 嫌煙に近いんです。
芳賀 うちもそうだな。
石毛 ですから、私とよそで食事をする時にたばこを吸うと嫌がるんですよ。
芳賀 僕もまったく同じだな。
石毛 それから、家内に列車のチケットを取ってもらうと禁煙車を取られちゃうんです(笑)。あと困るのが夏に冷房をかけて寝室で吸うと嫌がられる。
芳賀 禁止されちゃう?
石毛 いや、それでも吸ってます。
芳賀 僕も、朝、家内が灰皿をのぞくと、夕べまたこんなに吸ったの?って咎められるから、見つからないように吸殻を何かにくるんで捨てたりしてる。相当に気を遣いますよね。まあ、でも気を遣うのも生活の彩りの一つだからね。
じつは、近くアメリカに行くんだけど、うるさいアメリカ人と同席するかと思うと今から憂鬱ですね。ところが、飛行機で一二時間も吸わないでいて、空港に降りたとたんに外で吸うんだけど、その時もっと感激するかと思うと案外そうでもないのね。あれ残念なんだよなぁ。何でかな?
石毛 それでもやっぱりやめられないのが、たばこなんですね。 |