グローバリゼーションと再都市化・・・都市は創造の拠点になり得るか

松本康

まつもと・やすし
1955年大阪府生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。名古屋大学文学部助教授、東京都立大学大学院都市科学研究科教授などを経て、現在立教大学社会学部教授。2003年から07年まで日本都市社会学会会長。訳書にH・ガンズ『都市の村人たち』ハーベスト社、2006、編著書に『都市社会学・入門』有斐閣アルマ、2014(編)、『再生する都市空間と市民参画』クオン、2014(共編)、『21世紀の都市社会学 1 増殖するネットワーク』勁草書房、1995(編)他がある。
都市の持続力や復興力を考えると、もっとも重要なことはグローバル経済、
とくに金融の影響を直接受けないようなクッションをもっている、ということだと思います。
そのためにはグローバルな位相とは異なる、その地域のなかで循環するような経済や文化の仕組みが必要で、
そういう仕組みができていれば、外からの衝撃にも柔軟に対応することができるのではないでしょうか。

生きている社会を記述する・・・生態社会学の視座

山下祐介

やました・ゆうすけ
1969年富山県生まれ。九州大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程中退。九州大学文学部助手、弘前大学人文学部准教授などを経て、現在、首都大学東京都市教養学部准教授。著書に『地方消滅の罠 「増田レポート」と人口減少社会の正体』2014、『東北発の震災論 周辺から広域システムを考える』2013、『限界集落の真実 過疎の村は消えるか?』2012、以上ちくま新書、『リスク・コミュニティ論 環境社会史序説』弘文堂、2008の他、『白神学1-3』ブナの里白神公社、2011-13(編著)、『人間なき復興 原発避難と国民の「不理解」をめぐって』明石書店、2013(共編著)他がある。
地域の小さな社会という単位を失うと、私たちの社会は骨格のないクラゲのようになり、
そのなかでは国に依存するだけの人たちが大量にいて、生かすも殺すも国次第という社会になりかねません。
これでは「生きた社会」とは言い難いですね。しかし地域にしっかりとした自立性があれば、
知恵を出し合い、国だけがすべて責任を負う今のかたちよりもよほどうまくいくのではないかと思います。

他者へ開かれた空間、応答可能な社会関係をいかにしてつくりだすか

園部雅久

そのべ・まさひさ
1950年東京生まれ。東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程修了。社会学博士。現在、上智大学総合人間科学部社会学科教授。専門は、都市社会学。著書に、『再魔術化する都市の社会学――空間概念・公共性・消費主義』ミネルヴァ書房、2014、『現代大都市社会論――分極化する都市?』東信堂、2001、『都市計画と都市社会学』発行:SUP上智大学出版/発売:ぎょうせい、2008、他がある。
都市が見知らぬ他者と出会う場所だとすれば、それは私のいう公共空間のことであり、
それはレジリエンスを高める場所だともいえそうですね。
公共空間の危機とは、都市そのものの危機です。
だとすれば、見知らぬ他者や異質なものへ開かれる都市を再生することは、
公共空間の再生でもあり、それは端的にレジリエンスを高めることになります。

都市の社会学を更新する

レジリエンスと新しい都市の論理

 昨今さまざまな分野で、注目されている概念にレジリエンスがあります(1)。レジリエンスはもともと「外力による歪みを跳ね返す力」という物理学用語でしたが、今日、心理学、社会学、教育学、文化人類学などの人文・社会科学のジャンル、また、生物学、神経科学、遺伝学、分子生物学など自然科学の諸分野、さらには、医学、看護学、福祉などの専門的実践分野のさまざまな場面で用いられています。レジリエンスの日本での紹介者である自治医科大学精神医学講座教授・加藤敏氏によれば、一九八○年以降、精神疾患理解のための理論モデルとして、1、脆弱性モデル、2、ストレスモデル、3、生物心理社会モデルがありましたが、これに続く第4のモデルが、レジリエンスモデルだと言います(2)。加藤氏は、レジリエンスモデルは明確な予防・治療的視点を打ち出しているところに大きな特徴があると言います。「発病の誘因となる出来事、環境、ひいては病気そのものに抗し、跳ね返し、克服する復元力、あるいは回復力を重視・尊重し、発病予防、回復過程、リハビリテーションに正面から取り組む理論的布置をもっている」というわけです。また、「病因論の観点からは、病因を一義的に特定する立場をとらず、単純な因果論的見方から離れ、発病は非線形的、あるいは多元的に決定するという柔軟な立場」をとるところがこの理論のすぐれたところだと賞賛しています。
 とはいえ、レジリエンスという用語はさまざまな分野で少しずつ違った意味で用いられているのも事実で、一般に「外部による歪みを跳ね返す力」といっても、そのニュアンスは微妙に異なっています。たとえば、土木工学の分野では、一般的には橋や建物などの構造物が損傷を受けた後でベースラインまで快復する性能を意味します。また、緊急時の対応力という観点からいうと、市民生活に欠かせないシステムが地震や洪水の被害からどのくらいのスピードで復旧できるかを指します。生態学の分野でレジリエンスといえば、ただちに快復不能な状態を回避する生態系そのものの力を意味し、心理学では、トラウマに効果的に対処する個人の能力を意味するといいます。さらには、ビジネスのジャンルでも、レジリエンスは注目されていて、とくに自然災害や人災に遭遇しても業務を継続できるように(データや資源の)バックアップを整備する意味で用いられているようです。いずれにしても、力点こそ異なりますが、これらの定義は、変化に直面した際の「継続性」と「回復」というレジリエンスの二つの本質的な側面のいずれかに基礎をおいていることには変わりはありません(3)。
 レジリエンスは、じつは都市の分野でも近年注目されはじめています。東日本大震災を契機に、都市防災のあり方が見直されていますが、レジリエンスの考えを導入して、都市を根本からつくり直そうという議論も登場してきました。レジリエンスを弾力性、しなやかさ、回復力という観点から捉えることで、都市そのものの構造を見直そうという考えです。レジリエンスは、構造物を中心とする都市の物理的な側面だけに光をあてるものではありません。むしろ、都市を構成する社会にフォーカスするところに、その特徴があるといえます。都市の社会変化、社会変動に対する適応力、回復力、柔軟性を見出すのが、レジリエンスだからです。
 災害・減災への対応も重要ですが、社会変化への対応も都市の持続・再生には不可欠です。レジリエンスは、いうなればその両者を同じレベルで、言い換えれば、一つの全体として捉えることで、適応しようという考えだと言ってもいいでしょう。ロックフェラー財団が一昨年から「世界の100都市のレジリエンスを高める取り組みを支援するプロジェクト」を始めました。1億ドルの資金で進めている「世界中の都市部のレジリエンス向上」の一環だそうで、レジリエンスは、まさに現代の都市を考える旬の概念といえるかもしれません。

シカゴの発展と社会学の展開

 都市のレジリエンスを考える前に、そもそもいつ頃から都市の社会的動態に関する研究が始まったのでしょうか。また、そのきっかけは何だったのでしょうか。その答えは、アメリカ中西部の大都市であるシカゴにあります。
 1673年ミシガン湖畔に一人の白人宣教師がたどりつきました。これが、後にシカゴと呼ばれる場所に西洋人がたどりついた最初の出来事です。その100年後、ある商人がこの場所に居を構え、先住民と毛皮の交易を始めましたが、これがシカゴに白人が定住した最初の出来事でした。以来、シカゴはミシガン湖畔の港町として発展します。初期のシカゴは、五大湖からミシシッピ川につながる水運の結節点として成長しますが、1850年代には、今度は大陸横断鉄道の結節点となり、これが契機となって、大都市への道を歩み始めます。シカゴ市が誕生した17837年、人口はまだ約4000人の小さな港町でしたが、「鉄道首都」になったことで、1860年に11万人に、さらに1890年になると100万人を超え、1920年には270万人に膨れ上がりました。1893年には、新大陸発見400周年を記念する万国博覧会「コロンビア博」が開催されました。全米から建築家や造園家が集結、通称「ホワイト・シティ」と呼ばれる壮麗なユートピア都市が出現、2700万人の観客を動員し、大成功をおさめました。ところが、万博の期間中にアメリカは不況に陥り、万博会場とは裏腹に、シカゴ市内は失業者で溢れかえったといわれています。万博の「ホワイト・シティ」に対して、現実のシカゴは「グレー・シティ」と表現され、そのあまりにも極端な対照に、万博を訪れた人々は衝撃を受けたと、当時のメディアは伝えたといいます。
 ちょうどその前年、博覧会場のすぐ隣に石油王ロックフェラーの基金をもとにシカゴ大学が設立されました。19世紀後半から急激な成長をとげたシカゴは、当時すでに都市化にともなう社会問題を抱えていましたが、それに追い打ちをかけたのが不況です。シカゴ大学は、まさにその解決策を探るべく新たな学問領域を模索していました。初代学長ウィリアム・レイニー・ハーパーは、研究中心の大学院大学をつくり、積極的に地元との連携を図り、公開講座の開設や出版活動にも積極的でした。なかでも特筆すべきは、世界で初めて社会学の学位を出す社会学科を設置したことです。初代学科長アルビオン・スモールは、社会事業や社会改革運動と未分化だった社会学に、科学的裏付けを求めて、学問としての社会学の確立に腐心していたのです。
 シカゴ社会学は、積極的に都市問題に切り込み、やがて都市社会学という新たな学問領域を切り開きます。シカゴ大学社会学科は、20世紀に入ると、ロバート・パークとシカゴ大学社会学科出身のアーネスト・バージェスが着任、さらに、シカゴ大学心理学科出身のエルスワース・フェアリスが加わり、ここにシカゴ社会学の最盛期を支える陣容が整います(4)。
 立教大学教授で都市社会学が専門の松本康氏は、『都市社会学セレクション1』の「解題」で、シカゴという都市の驚異的な成長とそれがもたらした都市の経験があったからこそ、都市社会学を生み出すことができたのではないかと述べています。いうなればシカゴという具体的な対象、現実が目の前にあったことが、ヨーロッパ社会学とは異なる、よりプラグマティックな性格をもつアメリカ社会学を誕生させたというわけです。

都市を研究するということ

 松本康氏の論文「都市社会学の始まり」(『都市社会学・入門』所収)を参照しながら、当時のシカゴと社会学発展の関連を素描することで、都市社会学が何を明らかにしようとしてきたのかをみていきましょう。
 シカゴ大学が設立された19世紀後半、シカゴは産業革命の波に乗って著しい成長をみせます。当時のシカゴは、中西部の豊かな穀倉地帯から、小麦、トウモロコシ、食肉などの農畜産物を出荷し、加工・包装して東部に送り出す流通拠点であり、また、五大湖を通じて鉄鉱石や木材が工業原料として運び込まれました。鉄、農業機械、鉄道車両の生産を開始し、アメリカ有数の重工業地域へと発展します。
 シカゴの成長は、東部から資本と労働力を呼び込み、成長はいっそう加速しました。労働力の源泉は、ヨーロッパからの移民です。一九世紀後半を通じて、シカゴ市民の約半数は移民で、その子どもたちを含めると、じつに人口の8割にも上ったそうです。国籍もさまざまでしたが、とくに大火に襲われた1871年以後は、ポーランド人、イタリア人など、東欧・南欧の貧しい農民が流入し、都心部をとりまく地域に民族的居留地を形成するほどになりました。松本氏曰く、シカゴは「荒々しくも活力に満ちた都市」へと成長したのです。
 当時のシカゴで、もう一つ指摘しておくべきことがあります。それは、シカゴが、労働運動と社会改革運動の中心地であったことです。1886年5月には、8時間労働制を要求する労働者のゼネストが起こります。警察による弾圧をきっかけに爆弾事件が発生しましたが、この出来事がメーデーの起源だといわれています。アメリカ全土に拡大した鉄道労働者のストライキも、もとはシカゴの鉄道車両製造会社のストライキがきっかけでした。1905年には、戦闘的な労働運動団体IWW(世界産業労働組合)の結成大会がシカゴで開催されました。さらに、アメリカの諸都市では、リベラル・プロテスタントによる社会改革運動が盛り上がりをみせていましたが、シカゴでは、後にスラムの改善に取り組むことになるハル・ハウスが設立されました。スラムの実態を告発するジャーナリズムや社会調査も、社会改革運動の一翼を担っていたわけで、シカゴを中心に発展していくことになる社会学は、こうした社会改革運動の強い影響下で生まれたであろうことは想像に難くありません。
 シカゴ大学社会学科学科長スモールは、社会改革運動に科学的裏付けを求めていたと言いましたが、それはスモール自身がバプティストの牧師であり、社会改革運動は彼にとっていわば宗教的なミッションであったからだといいます。スモールと同時期に社会学科に採用されたチャールズ・ヘンダーソンも社会事業の専門家でした。スモールとヘンダーソンは、学生たちと一緒になって、シカゴのフィールドワークを精力的に行いましたが、その学生のなかにウイリアム・I・トマスがいました。彼は、その後社会学科の教授陣に加わりますが、その後のシカゴ社会学の発展に大いに寄与することになります。
 トマスの研究は、移民の多くをしめていたポーランド人が、どのように大都市に適応していったかを手紙や移民自身が書き残した生活史などから明らかにしようというものでした。ポーランド移民は、まずポーランド人街をつくり、そこに伝統的な社会組織を移植しますが、移民が都市に適応する過程で、伝統的な社会組織は解体しそれに伴って伝統的な価値も衰退します。伝統的な社会組織のもとで伝統に従順だった農民は、都市生活を経験することで、新しい価値観を身につけ、社会の再組織化へ向かいます。移民コミュニティの解体と再組織化が、個々人の経験を通して進行していくのですが、そのプロセスを、自己と環境を含む状況を自らがどう捉えるのかという「状況の定義」という概念枠で記述しようとしたわけです。
 このトマスの研究は、シカゴ社会学に大きな影響を残しましたが、とりわけ以下に挙げる三つの意義があったと松本氏は言います。一つは、シカゴで最初の本格的な経験的研究であったこと。第二に社会解体と再組織化というコミュニティ変容の図式を含み、とくに社会解体は、都市の病理を解明する(後の)シカゴ学派の都市研究のキーワードになったこと。第三に、社会解体と再組織化の過程を、個人の態度変容を通して説明するいわゆる社会心理的アプローチになっていたこと。この三つの特徴は、そのまま後のシカゴ学派に引き継がれていくことになります。
 シカゴ大学社会学科は、1910年代に、世代交代期を迎えます。先程言ったように、パークとバージェス、さらにフェアリスが着任しますが、とくにパークはバージェスとコンビを組んで、シカゴをフィールドとする都市研究に学生たちを導き、ここにシカゴ社会学の土台が築かれました。
 パークとバージェスは、1925年に、そのものズバリのタイトル『都市』を著しました。その冒頭で、パークはこう宣言します。「都市というものは、一種の心の状態であり、慣習や伝統の集合体であり、またもともとこれら習慣のなかに息づいており、その伝統と共に、受け継がれている組織された態度や感情の集合体でもある」。パークはさらに続けます。都市を単なる物的装置や人工的建造物としてみるのではなく、「それを構成している人びとの生活過程そのものにかかわる」ものとみなしていくこと。ここにおいて、都市は、社会学という新興の学問の対象へと明確に位置づけられていくことになります(町村敬志「実験室としての都市」〈『社会学ベーシックス4 都市的世界』所収〉)。
 パークは、近代都市における交通・通信手段の発達が、コミュニティにおける個人の結合を直接的・対面的・親密的な関係である「第一次的関係」から、間接的でしがらみのない自由な関係である「第二次的関係」に置き換えたと述べています。第一次的関係の衰退は、社会のコントロールを困難にし、犯罪や非行を増大させますが、他方、地縁・血縁といった第一次的関係のしがらみは、政治の腐敗も引き起こすと言います。パークは、第二次的関係に基づく民主的で理性的な討論をする存在である公衆(public)に期待をかけます。松本康氏は、この公衆の意見は、世論(public opinion)として、新聞のような活字メディアによって伝えられ、影響力をもつようになり、こうした市民政治の可能性をパークは模索していたとみています。もとより、直接そのような言葉を用いているわけではありませんが、ここでパークが思い描いている公衆という概念は、今日、公共性という言葉で捉えられている当のものではないかと思われます。パークにとっては、すでに都市という概念のなかに公共性(public)という存在が芽生えていたと考えてもよさそうです。
 また、パークは都市における棲み分けにも関心をもっていたようです。都市では、類似した人びとが相互に接近し、類似していない人びとが相互に距離をおくことによって、棲み分けが起こります。この過程を、パークは凝離(segregation)と呼びました。凝離は、通常、民族的、階級別に発生しますが、それだけではなく「趣味や気質」によっても発生するとし、「道徳地域」と呼ぶ下位文化地域が生まれてくることを指摘したのです。「道徳地域」とは、「異なる道徳律が行き渡っている地域」のことで、その例として、「悪徳地域」(犯罪者や売春婦が集まる地域)を挙げています。パークは、小さな町で抑圧される人間の特性が、大都会では、道徳的地域として明確に表現されると考えたというのです。パークは「都市は、人間の性質の善と悪を極端に示す。ことによると、なににもまして、この事実こそ、都市が人間の性質と社会過程を最もよく有益に研究できる実験室もしくは臨床実習室であるという見解を正当化するものである」と述べ、この論文を締めくくりました。

生態系としての都市

 また『都市』所収の論文「都市の成長」において、バージェスは「同心円地帯理論」を提唱しました。これは、都市の成長過程を五重の同心円の拡大過程として捉えたものです。松本康氏は、この理論の要点を次のようにまとめています。第一に、同心円は都市内部における階級別の棲み分け構造を表しているといいます。都心に近い、内側の住宅は古く、外側に行くほど新しい。そのため、階級的地位の高い人ほど、外側の地帯に住む傾向があります。第二に、この理論は、郊外に向かう人口移動のパターンを示しています。移民は、継続的に推移地帯に流入し、そこで民族ごとに集まって暮らすようになります。やがて、都市に適応して、経済的地位が上昇するにつれて、外へと移動していく。この過程で、移民の社会組織は、解体し、都市の分業体系に組み込まれ、再組織化されていきます。都市の拡大がある閾値を超えると、社会解体が再組織化を上回るようになります。それが、犯罪、無秩序、悪徳、精神異常、自殺などの社会問題を引き起こすと考えられたわけです。第三に、都市の拡大に伴なって、同心円そのものも拡大します。都心地区の拡大と移民の増大によって、かつては労働者居住地帯であったところに、移民が侵入し、やがてその地域を継承し、支配するようになります。労働者階級は、今度は住宅地帯に侵入して、中産階級の地域を継承しようとします。つまり、人に視点を移せば、外に向かう移動が、玉突き的に加速されることがわかります。こうして、都市の生態学的パターンは、拡大の過程でダイナミックに変化していくわけです。
 こうした、パークやバージェスの都市を生態学的に記述しようという試みは、「人間生態学(human ecology)」と名付けられました。都市を人間によって構成される生態系とみなし、主に植物生態学の用語を応用して、分析しようとするものです。
 生態学では、コミュニティ(群落)を、ある一定の空間的範囲における異なる種の間の競争的相互依存関係として捉えますが、異なる種の間の競争的相互依存関係は、「共棲」と呼ばれます。生存競争の激しい都市も、異質な人びとが共棲している場所とみなすことができます。また、都市の変化も生態系の変化として記述できます。生態学でいう侵入(invasion)とは、ある空間に別の種が入り込んでくることであり、また、継承もしくは遷移(succession)とは、ある空間を別の種が引き継ぐことをいいます。そして、その結果支配ということが起こります。支配(dominance)とは、ある種がその空間で優勢になることをいいます。パークとバージェスは、このように都市における空間的過程を、当時まだ比較的新しい学問領域であった生態学の用語を使って記述しようとしたのです。
 もとより、人間社会には、植物の生態系では捉えられない面もあります。そもそも社会(society)は、群落(community)とは異なる位相であり、通常コミュニケーションと合意に基づく道徳的な秩序として捉えられています。しかし、だからこそ、彼らは、生態学的視点を導入しようと考えたのではないでしょうか。というのも、急激な勢いで成長・発展する都市は、生存競争に明け暮れる、一見すると無秩序でカオティック(混沌)な現実そのものでした。そこから新たな秩序が生まれてくる仕組みを記述するためには、別種の説明原理が必要だったからではないかと思われるからです。そこで、彼らが着目したのが、競争(competition)でした。一橋大学教授で都市社会学が専門の町村敬志氏は、「意識を介在しないこの競争の過程においてこそ、社会を秩序化していく最初の契機が見つけ出されていく」とパークは想定したのではないかと言います。
 今日、この「人間生態学」という切り口は、シカゴ学派を没理論的なものとし、後の停滞をもたらしたと否定的に評価されることが少なくないといわれます。しかし、現代の都市を捉えるには、むしろこの生態系という視点こそ、有効性を発揮するのではないでしょうか。パークが見ていた都市とはいかなるものか。それは、目の前にあるシカゴという現実です。「言語や文化、人種・民族や階級・階層の異なる膨大な数の人間が短期間のうちに詰め込まれ、混乱と混沌が渦巻いている世界」。この目の前にある新たな現実、シカゴという「複雑化する人間の動きと巨大化する空間は、もはや伝統的な価値や慣習の共有によって支えられたコミュニティ秩序では十分にコントロールすることができ」ません。「このぎりぎりの状況でパークが生態学という枠組みに託して試みようとしたこと」とは、「個々人に備わった価値や規範の共通性、あるいは相互に共振しあう動機や意志のような強い前提を介在させることなしに、自生的に秩序がぎりぎりの状況から立ち上がってくる過程を明らかにすること」だったと町村氏は説きます。たとえ「よそ者」の寄り合い所帯にすぎない都市であっても、競争という過程を通じて一定の空間的秩序が生み出されていく。その結果、誰もが自分の居場所を見つけ出せる。この「野生の都市」に埋め込まれた、自生的な秩序形成の力こそ、パークがシカゴに見出したものでした(町村敬志)。
 変化の激しい都市の中のコミュニティは、個人間・集団間の競争により、つねに/すでに不安定な均衡状態に置かれています。しかし、だからこそそのような都市においては、絶えざる調整と再調整の過程が自生的なかたちで姿を現すのです。都市とは、社会変動とそれに対応した人間行動が集中的に、しかも町村氏に言わせれば、「その偏差がきわめて強調されたかたちで出現する場」である。その意味で、都市とはまさに「社会的実験室」であり、今ここにある現代社会のありようを忠実に映し出す、いわば鏡のような世界だといえます。つまり、都市を考察することは、そのまま現代社会を考えることに直結するのです。

都市のレジリエンスを考察するための三つの論点

 今号では、こうした都市社会における生態系的問題関心に引きつけて、都市のレジリエンスを考察しようと思いますが、考察するにあたって、三つの論点を掲げます。

 1、現代の都市をどう捉えるか。都市と社会の紐帯について。
 2、社会を生きものとして見ることの可能性について。
 3、都市を公共性の空間と捉え直すことができるかということについて。

 一般的に西ヨーロッパの都市は、都市化、郊外化、逆都市化、再都市化の四つの発展段階が確認できると言います。ただ、日本の都市の場合は、極端な都市衰退を経験せずに、再都市化の段階を迎えたというのです。立教大学社会学部教授で都市社会学が専門の松本康氏は、グローバル経済と再都市化のプロセスにフォーカスして、大都市における都市社会構造の変容を検討してきましたが、その眼には日本の大都市圏はどのように映るのでしょうか。都市戦略で有望視されている「創造都市」をモデルに、レジリエンスの視点を加えて、都市と社会の関係を紐解いていただきます。
 人びとの生命を守るはずの政策が、社会を根絶やしにする帰結を生じ、人の暮らせない地域がそこかしこに誕生しています。社会が死んでしまえば地域再生もありません。社会は生きているという認識がないために、何を再生させるのかわからない事業が展開していると指摘するのは、首都大学東京都市教養学部人文学科社会系コース准教授で地域社会学が専門の山下祐介氏です。山下氏は、「社会は生きている」という論文で、社会は生きているという位置付けのうえで「地域=生態社会学」の確立を提唱しています。自然治癒力=生命力を原義とするレジリエンスを参照しながら、その意味、意義をお聞きします。
 現代社会は、生産者よりも消費者本位の社会であり、生産主義ではなく消費主義のいきわたった社会であり、それゆえそのような社会の活動の中心である都市、とりわけ大都市は、消費主義に深く根差していることにその特徴があると語るのは、上智大学総合人間学部社会学科教授で都市社会学が専門の園部雅久氏です。脱工業型都市の空間的特徴をジョージ・リッツアの顰(ひそみ)に倣い「再魔術化する都市」という概念で把握し、都市空間論の射程には公共性論の展開が不可避であると言います。園部氏は、そのうえで、「社会としての都市」と「空間としての都市」という二つの軸が交差する地平に分析の視点を据えた議論を展開しています。その議論にあえてレジリエンスという概念枠を導入することはどのような意味をもつのか。都市社会学それ自体の更新を視野に入れた都市空間論を構想していただきます。

 レジリエンスを都市社会学の文脈に落とし込めば、都市の社会変化に対する適応力、柔軟性、回復力、応答可能性といった意味になりますが、それは、園部氏の言う「公共性」の議論にも重要な知見を与えてくれそうです。公共空間の再生は、端的に都市のレジリエンスを高めることにつながるからです。それは、消費に特化したモノカルチュラルな都市の内部に、多様で複合的な公共空間を回復していくことであり、都市の持続・再生には不可欠な要件だからです。
 排除の空間になりつつある現在の都市の公共空間を真の意味での「公共性」のとして再創造することはいかにして可能か。都市のレジリエンスを視野に入れた新たな「都市の社会学」を構想します。

(佐藤真)

◎レジリエンス(レジリアンス、リジリエンス)

都市のレジリエンスを高める空閑地の活用事例 阪井暖子 (都市の空閑地の空き家を考える 浅見泰司編著 プログレス 2014 所収)
レジリエンス 症候学・脳科学・治療学 八木剛平、渡邊衡一郎編著 金原出版 2014
ミルトン・エリクソン心理療法:〈レジリエンス〉を育てる D・ショート、B・A・エリクセン他 浅田仁子訳 春秋社 2014
災害とレジリエンス ニューオリンズの人々はハリケーン・カトリーナの衝撃をどう乗り越えたのか T・ウッテン 保科京子訳 明石書店 2014
リジリエンス 喪失と悲嘆についての新たな視点 G.A.ボナーノ 高橋祥友監訳 金剛出版 2013
レジリエンス 復活力 あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か A.ゾッリ、A.M.ヒーリー 須川綾子訳 ダイヤモンド社 2013
レジリエンス・文化・創造 加藤敏編著 金原出版 2012
組織事故とレジリエンス 人間は事故を起こすのか、危機を救うのか J・リーズン 佐相邦英他訳 日科技連出版社 2010
レジリアンス 現代精神医学の新しいパラダイム 加藤敏、八木剛平 金原出版 2009

◎都市の社会学

都市社会学・入門 松本康編著 有斐閣アルマ 2014
再魔術化する都市の社会学 空間概念・公共性・消費主義 園部雅久 ミネルヴァ書房 2014
都市社会学セレクション3 都市の政治経済学 町村敬志編 日本評論社 2012
都市社会学セレクション1 都市空間と都市コミュニティ 森岡清志編 日本評論社 2012
新版 アメリカ大都市の死と生 J・ジェイコブス 山形浩生訳 鹿島出版社 2010
都市社会学セレクション1 近代アーバニズム 松本康編 日本評論社 2011
社会学ベーシック4 都市的世界 井上俊、伊藤公雄編 世界思想社 2008
都市計画と都市社会学 園部雅久 ぎょうせい 2008
東京から考える 郊外・格差・ナショナリズム 東浩紀、北田暁大 NHKブックス 2007
郊外の社会学 現代を生きる形 若林幹夫 ちくま新書 2007
都市の村人たち イタリア系アメリカ人の階級文化と都市再開発 H・ガンズ 松本康訳 ハーベスト社 2006
シカゴ学派の社会学 中野正大、宝月誠編 世界思想社 2003
都市の社会学 社会がかたちをあらわすとき 町村敬志、西澤晃彦 有斐閣アルマ 2000
都市化の社会学理論 シカゴ学派からの展開 鈴木広、倉沢進他編 ミネルヴァ書房 1987

◎都市論の拡張

リキッド・モダニティ Z・バウマン 酒井邦秀訳 ちくま学芸文庫 2014
街の人生 岸政彦 勁草書房 2014
都市は人類最高の発明である E・グレイザー 山形浩生訳 NTT出版 2012
クリエイティブ都市論 創造性は居心地のよい場所を求める R・フロリダ 井口典夫訳 ダイヤモンド社 2009
新・都市論TOKYO 隈研吾、清野由美 集英社新書 2008
モダン都市の系譜 地図から読み解く社会と空間 水内俊雄、大城直樹他 ナカニシヤ出版 2008
ベンヤミンの迷宮都市 都市のモダニティと陶酔経験 近森高明 世界思想社 2007
第三空間 ポストモダンの空間論的転回 E・ソジャ 加藤政洋他訳 青土社 2005
グローバル空間の政治経済学 都市・移民・情報化 S・サッセン 田淵太一他訳 岩波書店 2004
創造都市への挑戦 産業と文化の息づく街へ 佐々木雅幸 岩波書店 2001
空間の生産 H・ルフェーヴル 斎藤日出治訳 青木書店 2000
ポストモダニティの条件 D・ハーヴェイ 竹内啓一他訳 青木書店 1999
空間と政治 H・ルフェーヴル 今井成美訳 晶文社 1975

◎都市の問題系

地方消滅の罠 「増田レポート」と人口減少社会の正体 山下祐介 ちくま新書 2014
ジェントリフィケーションと報復都市 新たな都市のフロンティア N・スミス 原口剛訳 ミネルヴァ書房 2014
モール化する都市と社会 巨大商業施設論 若林幹夫編著 NTT出版 2013
都市のリアル 吉原直樹、近森高明編 有斐閣 2013
無印都市の社会学 どこにでもある日常空間をフィールドワークする 近森高明、工藤保則編 法律文化社 2013
路地裏が文化を生む! 細街路とその界隈の変容 増淵敏之 青弓社 2012
限界集落の真実 過疎の村は消えるのか? 山下祐介 ちくま新書 2012
増補 広告都市・東京 その誕生と死 北田暁大 ちくま文庫 2011
消費社会の魔術的体系 G・リッツア 山本徹夫、坂田恵美訳 明石書店 2009
都市のドラマトゥルギー 吉見俊哉 河出文庫 2008
グローバル・シティ ニューヨーク・ロンドン・東京から世界を読む S・サッセン 伊豫谷登士翁他監訳 筑摩書房 2008
大都市東京の社会学 コミュニティから全体構造へ 和田清美 有信堂高恒文社 2006
東京スタディーズ 吉見俊哉、若林幹夫編著 紀伊國屋書店 2005
要塞都市LA M・ディヴィス 村山敏勝他訳 青土社 2001
マクドナルド化する社会 G・リッツア 正岡寛司訳 早稲田大学出版部 1999