時間は巨大な構造物の一部にすぎない……最新物理学から「時」の正体に迫る

松浦壮

松浦壮

まつうら・そう
1974年生まれ。京都大学理学部卒業。同大学で博士号(理学)取得。その後、日本、デンマーク、ポーランドの研究機関を渡り歩く。現在、慶應義塾大学商学部自然科学研究教育センター教授。専門は、素粒子物理学、超対称性、超弦理論、格子理論。著書に『時間とはなんだろう  最新物理学で探る「時」の正体』講談社ブルーバックス、2017、『宇宙を動かす力は何か 日常から観る物理の話』新潮新書、2015、他がある。
私たちがいつも見ている「時間の方向」は、「エントロピーが増える方向」に他なりません。
このように「時間の方向」はむしろ運動の性質で、
その背後にある( と思われる)時間そのものに由来を求める必要はありません。
だから、私たちが普段目にしている反転できない時間というのは、
多数の物体が複雑に絡み合い、可能性が多い方向へ一方向的に進んでいく運動のプロセスそのものなんです。

なぜ、〈時の流れは存在しない〉に至ったか……解題『時間は存在しない』

吉田伸夫

吉田伸夫

よした・のぶお
1956年三重県生まれ。大阪大学理学部物理学科卒業、同大学院博士課程修了。理学博士。専攻は、素粒子論(量子色力学)。東海大学と明海大学での勤務を経て、現在、サイエンスライター。著書に、『時間はどこから来て、なぜ流れるのか? 最新物理学が解く時空・宇宙・意識の「謎」』講談社ブルーバックス、2020、『量子論はなぜわかりにくいのか 「粒子と波動の二重性」の謎を解く』技術評論社、2017、他がある。
どんな観測者にとっても光の速度が同じであるためには、
観測者によって「現在」という時間がずれていなければなりません。
速く動いている人の「現在」は、止まっている人の「現在」よりも少し「未来」のように見えるし、
遠く離れた人の「現在」は少し「過去」のように見える。
観測者の位置や動きによって時間の流れ方は異なっていて、
「現在」という瞬間も一つには決まらない、ということです。

量子力学が暗示する〈無知の神〉……時間と社会

大澤真幸

大澤真幸

おおさわ・まさち
1958年長野県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。社会学博士。千葉大学文学部助教授、京都大学大学院人間・環境学研究科教授を歴任。社会学者。専門は、比較社会学、社会システム論。著書に『量子の社会哲学 革命は過去を救うと猫が言う』講談社、2010、『社会学史』講談社現代新書、2019、他多数。
もしかすると、量子の振る舞いは神さえも理解していないかもしれません。
量子力学でいちばん不思議なのは、
観測では粒子なのに観測できないところで波のような痕跡がある量子の振る舞いですが、
これはさすがに、神にも見えていないかもしれない。
とすれば、神も知らないことを、僕らは今知ろうとしているし、現にそういう世界を生きている、と。
これは究極の無神論の世界を生きているということでもあると思います。

What goes around comes around
物理学的に時間は存在しない

 「時間の正体は、おそらく人類に残された最大の謎なのだ。そしてそれは奇妙な糸によって、精神の正体や宇宙の始まり、ブラックホールの運命や生命の働きといったほかの大きな未解決の謎とつながっている」⑴
 『時間は存在しない』の著者カルロ・ロヴェッリは、こう切り出して、次のように言います。「なぜ、過去を思い出すことはできても未来を思い出すことはできないのか。わたしたちが時間のなかにいるのか。それとも、時間がわたしたちのなかにあるのか。時間が〈経つ〉という言葉は、本当のところ何を意味しているのか。わたしたちの主体としての本質、つまり主観と時間を結びつけているのは何なのか」と。
 時間とは、おそらく人間に残された最後のそして最大の謎です。何がそんなに謎なのでしょうか。ロヴェッリによれば、時間を「現在・ただいま」感じている私は、時間のなかにいるのか、それとも、時間が私のなかにあるのか、それすらもわからないまま、私は、ここにこうしているからだというのです。
 時間は、私たちにとって、あまりにも身近な存在です。ものごころがついてから、私たちは時間と共に生きてきました。朝起きてから、夜床につくまで、絶えず時間を気にしながら暮らしています。もちろん、時には時間を忘れ、何かに夢中になることもありますし、我を忘れて遊び惚けることもあります。ただ、そういう時でも、時間は確実に流れています。ふと、我に返り、時計を見てびっくり。「あれ、もう、こんな時間?!」。あわてて荷物をまとめ、家に飛んで帰る、などということは何度もありました。我を忘れて何かに没頭していても、時間は歩みを止めることなく、流れ続けています。ずっとそう思い込んでいたのです。時間は誰にとっても流れるもので、そのことを疑うなどということは、今の今まで一度もなかったのです。そう、このロヴェッリの著作を読むまでは……。


時間は流れない
 世のなかの出来事は、時の流れのなかで、整然と起きる。現在の出来事はいうまでもなく、過去の出来事であれ、未来の出来事であれ、すべては一つの流れのうちにかたちづくられてきたし、これからもかたちづくられていく。だから、過去はすでに定まったものとしてもう変わることはないし、未来はこれからやってくるものとして、あらゆる偶然を受け入れようとしている。過去は閉じて、現在は、未来へと開かれる。私たちにとっては、常識中の常識と思われているこの「流れる時間」が、じつは、まったくの誤りだとロヴェッリは、静かに、しかし力強く断言します。
 宇宙のどこでも同じように時間が流れると最初に言ったのはニュートンでした。ニュートンは、日にちや動きを計測した値である「時間」を認めたうえで、同時にもう一つの別の時間、どんな場合にも経過する「本物の」時間、事物そのものや事物が生じるかどうかとはまったく無関係な時間が存在するはずだと主張したのです。それが、その後近代物理学の基礎となる「絶対時間」という考えでした。数学的で絶対的な真の時間である「絶対時間」は、しかし知覚することはできません。計算と観測によって演繹するしかないものであり、その意味で私たちの感覚が手繰り寄せられるようなものではありません。変化する事物や動く事物とは、独立に流れていると考えられているある種の構築物だったのです。
 この絶対時間は、その後400年間、人々の頭のなかに宿り、揺るぎないものとなっていました。絶対時間を疑うことは、全知の神を疑うようなものです。ともすれば、それを信じ込んでいる自分自身をも疑うことになります。
 ところが、その絶対時間が、なんとアインシュタインの一般相対論によって、あっけなく否定されてしまったのです。一般相対論によれば、時間と空間はゴムのように伸び縮みする実体であり、どこかにエネルギーが存在すると、その周辺で伸び縮みして構造に歪みが生じます。
 『時間は存在しない』に解説を寄せている吉田信夫氏は、「このゆがみによって物理現象の伝わり方が変化することが、重力の作用」であり、「天体が強い重力を生み出すのは、巨大なエネルギーの塊である天体の近くで時間の進み方が遅くなるせい」だというのです。しかし、これで時間についての理論が完成したわけではなく、「1920年代後半に登場した量子論によって、物理学は大きな変更を余儀なくされ」ることになります。
 量子論とは、ごく簡単に言えば、粒子の速度や場の強度などの物理量がゆらぎをもち、一つの値に確定できないとする理論です。吉田氏によれば、大半の物理学者は、あらゆる物理過程が量子論的なゆらぎを伴うと信じているというのです。ロヴェッリもその一人であり、「時間や空間が根源的ではない」という考えを提唱するループ量子重力理論の研究者ですが、『時間は存在しない』では、なんと時間そのものが量子化されているという考えを提起しています。
 私たちが今でも強固にもち続けている「時間は流れる」というイメージは、もはやここにはその片鱗すらなく、しかも、驚くべきことに、時間の謎の解明に挑み続けている理論物理学の分野では、「時間は存在しない」という考え方の方が、どうやら優勢のようです。つまり、時間が流れるものと信じて疑わないのは、私たちであって、時間のプロパーである理論物理学は、とっくにそうしたイメージを捨てて、新たな時間を手に入れ始めていたのです。もはや時間は独立しては存在せず、時間・空間として――ループ量子重力理論では時間・空間に先立つネットワークとして、あり続けるもののようです。


因果性、解けない謎
 「時間は存在しない」、それはすでに現代の物理学においては常識になりつつある、と言われても、私たちの実感とは、大きく隔たったものに聞こえます。私たちの日常生活において、時間が存在しないとか過去・現在・未来がないと言われても、驚きはするものの、すぐに納得できるものではありません。もとより、ロヴェッリ自身もそのことは十分に理解していて、いくら存在しないと言われても「現に流れを感じるんだけど…」という個人の実感に寄り添い続けようと言葉を惜しみません。絶対時間に身も心も奪われている私たちに対して、なぜそうなっているのか、一つひとつ丁寧に答えようとするのです。
 「現に流れを感じるんだけど…」という実感は、日常さまざまな場面で生じます。なかでも、因果関係を意識する時、とくに時間の流れを感じます。ある原因が起こり、それに続いてある結果が起こる。原因が結果を引き出す時、私たちはそこに因果関係を見出します。
 因果関係を説明する例としてしばしば登場するのがマッチと火の関係です。たとえば、マッチを擦ることは、マッチ箱の薬剤が塗布した面に対して、マッチ棒の先端を摩擦させることです。その瞬間火がつく。
 このマッチを擦って火がつくまでを、ストップウォッチで測ったところ一秒かかったとしましょう。その様子を、原因結果の関係で捉え直してみると、マッチを擦るという原因があって、火がつくという結果が生まれ、この一連の動作に1秒という時間がかかったというわけです。私たちは、直ちにこの一連の動作に時間の矢を見出すでしょう。たとえ1秒間という短い時間であっても、確実に現在から未来へ時間は流れている、と感じるからです。
 因果関係は、ごく簡単に言えば、出来事の継起です。言い換えれば、原因が結果を生むという継起関係であり、こうした関係は、日常生活のあらゆる場面で散見されます。交通機関による移動、天候の変化、経済の動向、自然災害の被害、刑事事件の裁判、病気の発症、心理的メカニズム、等々。
 ところで、因果論に関して、哲学からその意味に言及したのがデイヴィド・ヒュームです。いわゆるヒューム因果論は、因果の規則性として哲学では広く喧伝された考えです。英米哲学の紹介者である一ノ瀬正樹氏によれば、これまでの因果論の文脈に、独自の視点を持ち込んだのがヒュームであり、それがいわゆる「因果の規則性説」です。
 「ヒュームによれば、Aタイプの出来事とBタイプの出来事が繰り返し恒常的に連接して現れると、私たちは両者を結びつける習慣を持ってしまい、どちらかのタイプの出来事を知覚すると、他方のタイプの出来事を連想せざるを得ない強制感を覚える」⑵ 。これが因果関係の実相であり、そうした強制感こそ因果的必然性の正体だというのです。
 「こうした議論の根底には、私たちが理解していると思っている原因結果の関係は、突き詰めて考えると、それ自体として知覚できるようなものではない、という把握がある」⑵ といいます。マッチを擦ると火がつく、という場合でさえも、どこに火がつく原因となるような、力のようなものが現れているのか一概にはわからないし、その力そのものを知覚することもできず、厳密には突き止められない。
 マッチを擦った、火がついた、という二つの事象は知覚できても、マッチを擦った「ので」火がついた、という「ので」はどこにも見当たらないというわけです。言い換えれば、「因果関係というのは、マッチを擦ったとか火がついたとか、といった事象が存在しているのと同じ意味で、存在しているとはいえない」という見方です。
 一見奇妙に思われるかもしれないと断りつつ、一ノ瀬氏はこう続けます。「マッチを擦ったという事象を原因とするのとまったく同じ資格で、マッチを擦ろうとする私の〈意図〉を原因としてもまずい点は何もないことを考えると、マッチを擦った、火がついた、の間にだけ特権的な何かがあるとする、一見直観に適うような見方が揺らぐことは理解できる」だろうと。そのことは、二つの事象の間に、何か固有な結び付きは存在しないということを暗示しているのです。
 「時間が流れる」ことを強く意識させる因果関係において、じつのところ原因が結果に先立つものだとは言い切れないのです。ヒュームが着目する「ので」は時間を表象するものというよりは、両者が対等に並立する「ので」を暗示していると考えた方がよさそうです。結果が原因に先立つことが現に理論上だけではなく、実証されようとしているのです。古典的な意味での因果性は、もはや崩壊寸前です。


量子力学がもたらす巨大な地殻変動
 今号は、「因果論の戯れ」と題して、物理学における時間の崩壊が因果論に何をもたらすのか考えてみたいと思います。
 人間は、心臓なら心臓、皮膚なら皮膚というように、からだを構成するさまざまな部分が、それぞれ固有の役割を果たすことで命をつないでいます。その一方でからだをつくるあらゆる細胞は同じDNAを共有している。このDNAは、一つの受精卵に由来していて、発生の過程で、その細胞がからだのどこにあるかによって役割が固定されています。最初から役割が決まっているわけではないのです。iPS細胞も、細胞の固定化された役割がリセットされて、あらゆる細胞に分化する能力を取り戻せるという点が注目されました。物理学の最前線では、時間・空間・物質・力のすべてに共通するDNAに、今まさに触れようとしているのであって、このDNAこそが時間の正体ではないかというのは、慶應義塾大学商学部自然科学研究教育センター教授松浦壮氏です。松浦氏に、時間が、空間・物質・力を含む巨大な構造物の一部であるとする最新の時間論を展開していただきます。
 ループ量子重力理論を主導する物理学者カルロ・ロヴェッリによれば、この世界の根源にあるのは、時間・空間に先立つネットワークであり、そこに時間の流れは存在しない。にもかかわらず、人間には、過去から未来に向かう時間の流れが当たり前の事実のように感じられるのはなぜか。時間が経過するという内的な感覚が、未来によらず過去だけにかかわる記憶の時間的非対称性に由来し、記憶とは中枢神経系におけるシナプス結合の形成と消滅という物質的なプロセスが生み出したものだという。過去の記憶だけが存在するのは、このプロセスがエントロピー増大の法則に従うことの直接的な帰結だとロヴェッリは論じます。素粒子論が専門のサイエンスライター・吉田伸夫氏にロヴェッリの著書『時間は存在しない』を読解していただき、時間論の本質に切り込んでいただきます。
 量子力学が現代社会を理解し、未来社会を構想するための基本的な指針を与えるような、政的・倫理的な含意をもっていると社会学者・大澤真幸氏が主張した時、社会学に関心をもつ多くの人は、一瞬その耳を疑ったものです。高度に抽象的で浮世離れした物理学の基礎理論である量子力学が、なぜゆえに世俗的で生臭い人間社会の政治的イデオロギーや倫理的な価値と関連しているなどといえるのでしょうか。大澤氏は言います。「量子力学という途轍もない神秘の深淵が、同時代の他の知や実践のなかにも同様に萌(きざ)していた謎――それらの知や実践の当事者すらも意識していなかった謎―― を、増幅してみせる」からだと。量子力学という鏡が映し出した神とは、未来の社会とは。大澤真幸氏に考察していただきます。

(佐藤真)
引用・参考文献
(1)カルロ・ロヴェッリ『時間は存在しない』富永星訳(NHK出版 2019)
(2)一ノ瀬正樹「因果関係は存在するのか」(ダグラス・クタッチ『現代哲学のキーコンセプト 因果性』相松慎也訳 岩波書店 2019)

◎量子力学と時間

時間はどこから来て、なぜ流れるのか? 最新物理学が解く時空・宇宙・意識の「謎」 吉田伸夫 講談社ブルーバックス 2020
時間は存在しない C・ロヴェッリ 富永星訳 NHK 出版 2019
宇宙に「終わり」はあるのか 最新宇宙論が描く、誕生から「10の100乗年」後まで 吉田伸夫 講談社ブルーバックス 2019
Newton 別冊 時間とは何か 新訂版 ニュートンプレス 2018
Newton 別冊 量子論のすべて 新訂版 ニュートンプレス 2019
量子論はなぜわかりにくいのか 「粒子と波動の二重性」の謎を解く 吉田伸夫 技術評論社 2017
すごい物理学講義 C・ロヴェッリ 栗原俊秀訳 河出書房新社 2017
時間とはなんだろう 最新物理学で探る「時」の正体 松浦壮 講談社ブルーバックス 2017
世の中ががらりと変わって見える物理の本 C・ロヴェッリ 竹内薫監訳 関口英子訳 河出書房新社 2015
宇宙を動かす力は何か 日常から観る物理の話 松浦壮 新潮新書 2015
重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る 大栗博司 幻冬舎新書 2012
シュレディンガーの猫がいっぱい 「多世界解釈」がひらく量子力学の新しい世界観 和田純夫(上山明博、佐藤真) 河出書房新社 1998
相対性理論の世界 はじめて学ぶ人のために J・A・コールマン 中村誠太郎訳 講談社ブルーバックス 1966
カオスから見た時間の矢 時間を逆にたどる自然現象はなぜ見られないのか 田崎秀一 講談社ブルーバックス 1966

◎因果性

因果性 現代哲学のキーコンセプト D・クタッチ 相松慎也訳 岩波書店 2019
哲学がわかる 因果性 S・マンフォード、R・L・アンユム 塩野直之、谷川卓訳 岩波書店 2017
ヒュームの人と思想 宗教と哲学の間で 中才敏郎 知泉書院 2016
心の哲学: 新時代の心の哲学を巡る哲学の問い 信原幸宏編 新曜社 2017
科学を語るとはどういうことか 科学者、哲学者にモノ申す 須藤靖、伊勢田哲治 日本放送出版協会 2005
原因と結果の迷宮 一ノ瀬正樹 勁草書房 2001
因果性と相補性 ニールス・ボーア論文集 N・ボーア 山本義隆訳 岩波文庫 1999

◎時間の哲学

時間という謎 森田邦久 春秋社 2020
物質と記憶 H・ベルクソン 杉山直樹訳 講談社学術文庫 2019
新版 タイムトラベルの哲学 青山拓央 ちくま文庫 2019
今という驚きを考えたことがありますか マクタガートを超えて 大澤真幸、永井均 左右社 2018
時間の非実在性 J・E・マクタガート 永井均訳・注釈と論評 講談社学術文庫 2017
心にとって時間とは何か 青山拓央 講談社現代新書 2014
時 渡辺慧 河出書房新社 2012(復刻新版)
量子の社会哲学 革命は過去を救うと猫が言う 大澤真幸 講談社 2010
時間の正体 デジャブ・因果論・量子論 郡司ペギオ-幸夫 講談社選書メチエ 2008
時間は実在するか 入不二基義 講談社現代新書 2002
同一性・変化・時間 野矢茂樹 哲学書房 2002
偶然性の精神病理 木村敏 岩波現代文庫 2000
時は流れず 大森荘蔵 青土社 1996
存在と時間 上下 M・ハイデガー 細谷貞雄訳 1994
内的時間意識の現象学 E・フッサール 立松弘孝訳 みすず書房 1967


◎量子の詩学

合理的なものの詩学 近代日本文学と理論物理学の邂逅 加藤夢三 ひつじ書房 2019
怪盗グリフィン対ラトウィッジ機関 法月綸太郎 講談社文庫 2017
シュレディンガーの猫を追って P・フォレスト 澤田直訳 河出書房新社 2017
ノックス・マシン 法月綸太郎 角川文庫 2015
Self-Referrence ENGINE 円城塔 ハヤカワ文庫JA 2010
クオンタム・フアミリーズ 東浩紀 新潮社 2009
稲垣足穂全集 1 - 13 筑摩書房 2001
宇宙喪失 G・イーガン 山岸真訳 東京創元社 1999
玩具修理者 小林泰三 角川書店 1999
光子の裁判 朝永振一郎 岩波文庫 1997
時間的無限大 S・バクスター 小野田和子訳 早川書房 1995
エイダ 山田正紀 早川書房 1994
人間人形時代 稲垣足穂 工作舎 1975

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