〈困難な成熟〉を超えて……市民的成熟を達成するために今できること

内田樹

内田樹

うちだ・たつる
1950年東京都生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。東京都立大学博士課程中退。神戸女学院大学文学部総合文化学科を2011年3月に退官。同大学名誉教授。専門は、フランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『困難な成熟』文庫版、夜間飛行、2017、『サル化する世界』文藝春秋、2020、他多数。
成熟のチャンスは期間限定です。
10代半ばから30代終わりまでの約20年間だけです。
その間についに一度も「大人になりたい」という欲望が兆さなかった人には
成熟のチャンスはありません。
だからリンカーンだって「40歳過ぎた男は自分の顔に責任がある」と言ったのです。

ヒトの成長……「共感」から考える

長谷川眞理子

長谷川眞理子

はせがわ・まりこ
1952年東京都生まれ。東京大学理学部卒業。同大学院理学系研究科博士課程修了。専門は、自然人類学、行動生物学。イエール大学人類学部客員准教授、早稲田大学教授などを経て、現在、総合研究大学院大学学長。著書に、『モノ申す人類学』青土社、2020、『世界は美しくて不思議に満ちている 「共感」から考えるヒトの進化』青土社、2018、他がある。
成熟には終わりはないのかもしれません。
30代で脳の仕組みが完成したとしても、それは成熟の完了ではありません。
ようやく大人として働くための土台ができました、
という、いわばスタート地点にようやく立てたということ。
その土台を使って知識や経験を統合しつつ、どういう人生にしていくかはあなた次第、
ということだと思います。

人間の〈外から〉「成熟を生きる」を見つめる……マルチスピーシーズ民族誌/人類学の射程

奥野克巳

奥野克巳

おくの・かつみ
1962年生まれ。一橋大学社会学研究科地域社会研究科博士課程後期課程修了。現在、立教大学異文化コミュニケーション学部異文化コミュニケーション学科教授。専門は文化人類学。著書に『モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと』亜紀書房、2020、『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』亜紀書房、2018、編著書に雑誌『たぐい』vol.1、vol.2、亜紀書房、2019、2020、『人と動物の人類学』春風社、2012他がある。
人類はハンター&ハンティッド、つまり狩りをする存在であると同時に、
狩られて食べられてしまう存在でもあったわけです。
今でこそわれわれは一方的に優位に立つことで、他種、他生をハントし食べているけれども、
「生命基盤」という考え方に立てばそこに生死が入り、
捕食者/被捕食者の関係も動的になる。
そのような考え方から出発すれば、「自然–文化」「自然–人間」の関係性も、
人間中心主義的な偏りから脱却して考えられるのではないか。

人間以後の「人間の条件」を考える
脱人間中心主義という人間論

 進化と認知に関する科学的知見は、人間についての新たな知識をもたらしただけではなく、バイオ技術とAI技術によって、人間を生物学的にバージョンアップする可能性への道を拓きました。なかでもゲノム編集技術は、実用化の準備を着々と進め、とりわけ医療テクノロジー、とくに心身のエンハンスメントにかかわる研究開発によって、われわれは、いよいよ「超人類の時代」に突入したと喧伝されるほどです。
 ミシェル・フーコーが「人間」の終焉を予告したのは、1966年『言葉と物  人文科学の考古学』(新潮社)においてでした。経験的=超越論的二重体、すなわち知の客体であるとともに認識する主体でもある「人間」なる概念は、たかだか200年の歴史しかもたない被造物であり、その終わりも間近である、とフーコーは力強く宣言したわけですが、フーコーのこの予言を強く後押ししたのが、20世紀なかば以降に急速に発展した進化と認知にかかわる諸科学でした。生物における進化論にもとづく社会生物学や行動生態学、進化心理学が前者であり、認知心理学や行動経済学、人工知能研究が後者ですが、前者の嚆矢となったのがR・ドーキンスの『利己的な遺伝子』(紀伊国屋書店)やJ・モノーの『偶然と必然』(みすず書房)であり、後者のそれは、D・カーネマン『ファスト&スロー  あなたの意思はどのように決まるか?』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)やR・カーツワイル『ポスト・ヒューマン誕生  コンピュータが人類の知性を超えるとき』(NHK出版)でした⑴ 。
 人間以後の〈人間〉、もしくはポストヒューマニティ  。「超人類」という言葉と共に登場したこの言葉を昨今よく耳にするようになりました。一見センセーショナルにも聞こえますが、その含意は、いたって真っ当です。高度の情報技術によって人間が有限性を超越する可能性を多幸症的に思い描くことでもなければ、逆に、生命科学による介入が人間性を脅かすといたずらに警告することでもありません。『ポストヒューマン  新しい人文学に向けて』(フィルムアート社)の著者R・ブライドッティによれば、「ポストヒューマニティ」は人間という存在をこれまで規定してきた諸前提、すなわち西洋、白人、男性中心主義的な人間観を厳しく批判するための概念であり、いささかも気を衒った言辞ではないと言っています。現代のグローバルな地政学的状況のもとでは、そうしたこれまでの人間理解を破棄し、新たな視点から描き直す必要がある。まさにそのための概念が「人間以後の〈人間〉」であり「ポストヒューマニティ」だというのです。
 そこで、『談』は、これから3回にわたって「人間以後の〈人間〉」もしくは「ポストヒューマニティ」について特集します。その際、ブライドッティのひそみに倣いハンナ・アーレントの「人間の条件」に拘泥しつつ検討していこうと思います。


武道的上達と似ている人間的成熟
 今号は、成熟について考えます。えっ、なぜいきなり成熟? と思われるかもしれません。確かに唐突な印象はあるでしょう。「人間以後の〈人間〉」を考察しようと言っておきながら、きわめて人間臭い「成熟」をテーマにしようと言っているわけですから。
 じつは、「人間以後の〈人間〉」を年間テーマに据えようと考えた時に、ほぼ同時に脳裏をよぎった言葉が「成熟」でした。それは、次の文章に出会ったことに起因します。
 「ある日気がついたら、前より少し大人になっていた。/そういう経験を積み重ねて、薄皮を一枚ずつ剥いでいくように人は成熟してゆく。ロードマップもないし、ガイドラインもないし、マニュアルもない」。そういう込み入った事情を「困難」という形容詞に託した、と著者は記します。そして、この文章の前にはこう綴られていたのです。
 「……愛したり、愛されたり、傷つけたり傷つけられたり、助けたり助けられたり……というごくごく当たり前の人生を一日一日淡々と送っている間にいつのまにか身についた経験知・実践知の厚みや深みを、僕たちは〈成熟〉という言葉で指し示している」と⑵ 。
 この文章の著者は、フランス現代思想の研究者内田樹氏です。内田氏は、神戸市で武道と哲学のための学塾を主宰していますが、成熟というプロセスは、武道における上達ときわめて似た形をとると言っています。武道の場合、技術の上達というのは「自分の身体にそんな部位があると知らなかった部位を意識できるようになり、操作できるようになっていることに気づ」き、また「自分がそんなことを感知できると思ったこともなかったシグナルを受信していることに気づく」というかたちをとる、というのです。
 人間的成熟も武道的上達と同じような力動的なプロセスをたどります。何より面白いのは、昨日よりこれだけ成熟したということが測れない、すなわち数値化できないということです。人間的成熟も武道的上達とまったく同じで、要するに、「ぼくはどれだけ成熟したのか」を自己点検することができないというのです。なぜならば、どれだけ成熟したかを自己点検できるということは、とりもなおさず、成熟するとはなんであるかを成熟に先立ってすでに知っていることになるからです。
 「ある日気がついたら前より少し大人になっていた」という他ないような経験が成熟であり、その意味で成熟は、回顧的・事後的発見というプロセスをたどるものです。時間がかかり、それだけの身銭を切らないと身に付かないものであり、そもそも〈早く成熟する〉ことに価値があるわけではありません。成熟には、ある種の困難さがつきまとう。けれども、まさにそれこそが成熟というものの本質であり、それゆえにあえて困難な成熟の道を選ぶ必要があるというのです。これまでなんの疑いもなく受け入れていた考え方、すなわち、プロセスがあってゴールがあるというロードマップ的な生き方が、ここでは見事に否定されています。ゴールすら、プロセスにすぎないというわけですから。あえて困難な成熟の道を選ぶこと。それはいかにして可能か。『困難な成熟』(夜間飛行)の著者、内田樹氏にお聞きします。


子どもは産めても大人ではないヒト
 たとえば、哺乳類の赤ちゃんはミルクを飲んで育ちますが、その後離乳します。性成熟を果たして大人になり、今度は自分が子供を産み、育て、やがて死ぬ。生きものの一生はたいがいがこういう流れです。
  生まれてから死ぬまでのスケジュールがあり、そのスケジュールのなかで時間配分をします。いつ頃大人になり、どれくらいの子どもを産み、いつ死ぬかという全体のパターンを「ライフ・ヒストリー・ストラテジー(生活史戦略)」といいます。このパターンにはさまざまあって、ものすごく早く大人になって、あっというまに死んでいく生きものもいれば、たくさん子どもを産んで、にもかかわらずほとんどが大人になる前に死んでしまう生きものもいます⑶ 。
 ヒトは、一度に生まれる子どもの数は少ないけれど、生まれた子どもは何十年も生き続けるという特徴があります。また、赤ちゃんが離乳するまでの期間がとても早いという特質もあります。チンパンジーは離乳まで5年、オランウータンは8年もかかるという事実と比較すれば、それがどれだけ早いかがわかります。
 チンパンジーは離乳してまもなく性成熟を果たして大人になります。ところが、ヒトはおっぱいを飲まなくなってすぐに大人になるわけではありません。性成熟の始まりは、女性においては生理の始まり、男性においては、精子の生成の始まりですが、だいたい12歳ぐらいからからだが大人に近づいていき、15歳ぐらいまでにかけて性成熟が始まります。もとより、これらはあくまでも性成熟の始まりであって、実際に子どもをつくるピークは20歳をすぎてからといわれています。しかも、脳科学の研究によれば、からだの成長が止まることと、脳が完成することとは別のことのようです。
 ヒトは他の動物に比べて離乳は早いけれど、大人としてのからだができあがるのは著しく遅いうえに、社会的な技術を習得するのにも長い時間がかかる生きものなのです⑷ 。そういう一筋縄では理解できない生きものであるヒトにとって、成熟とはどういう意味をもつのでしょうか。言い換えれば、生物進化の文脈において、ヒトの成熟はどのように捉えられるのか。自然人類学、行動生物学の研究者、総合研究大学院大学学長・長谷川眞理子氏に考察していただきます。


成長と成熟、そのあまりに人間的な……
 従来の人類学が、研究対象をあくまでも人間に絞り込んでいたのに対して、人間のみならず他の生物種との関係をも取り込む新たな人類学が構想されています。マルチスピーシーズ民族誌/人類学は、異種間の創発的な出会いを取りあげ、人間を超えた領域へと人類学を拡張しようとしています。人類学を更新させたレヴィ=ストロースは、動物を「考えるに適している」と考えたのに対して、もう一人の立役者マーヴィン・ハリスは「食べるのに適している」と捉えました。
 しかし、動物を含む他の生物種は、人間にとって単に象徴的・唯物的な関心対象というだけではありません。マルチスピーシーズ民族誌/人類学は、動物は「ともに生きる」存在と捉えようとします。動植物を人間主体にとっての対象としか捉えようとしてこなかった人類学が抱える人間中心的主義的な傾向への大いなる挑戦です⑸ 。
 マルチスピーシーズ民族誌/人類学は、人間と特定の他種との3+n者の「絡まり合い」とともに、複数種が「ともに生きる」ことを強調します。人間中心主義的視点から脱して、マルチスピーシーズ民族誌/人類学の視点に立つと、人間を含めた生きものの成長および成熟は、どのように捉えられるのでしょうか。この問いは、すぐさま次の新たな問いへと接続します。マルチスピーシーズ民族誌/人類学は、そもそも種というものをどう捉えようとしているのか。そして同時に、人間はその種に含まれるのだろうかと。
 立教大学異文化コミュニケーション学部異文化コミュニケーション学科教授でマルチスピーシーズ民族誌/人類学を研究する奥野克巳氏に考察していただきます。(佐藤真)

特集タイトル「成熟の年齢(L'âge d'homme)」は、文化人類学者ミシェル・レリスの自伝的エッセイから拝借した。

引用・参考文献
(1)石倉敏明「今日の人類学地図 レヴィ=ストロースから〈存在論の人類学〉まで」(『現代思想』2016 vol.44-5所収)
(2)内田樹『困難な成熟』(夜間飛行、2017)
(3)長谷川眞理子『世界は美しく不思議に満ちている 共感から考えるヒトの進化』(青土社、2018)
(4)『スタディサプリ  三賢人の学問探究ノート(1) 人間を究める』(ポプラ社、2020)
(5)奥野克巳「人類学の現在、絡まりあう種たち、不安定な〈種〉」(『たぐい』vol.1、亜紀書房、2019、所収)


◎成熟のレッスン

サル化する世界 内田樹 文藝春秋 2019
生きづらさについて考える 内田樹 毎日新聞出版 2019
人口減少社会のデザイン 広井良典 東洋経済新報社 2019
困難な成熟 内田樹 夜間飛行 2017
レジリエンス 復活力 あらゆるシステムの破綻と回復を分けるものは何か A・ゾッリ、A・M ・ヒーリー 須川綾子訳 ダイヤモンド社 2013
大人のいない国 成熟社会の未熟なあなた 鷲田清一、内田樹 プレジデント社 2008
成熟へのレッスン 「成熟社会」への心理社会学的分析 高橋啓介 ナカニシヤ出版 2000
知恵の樹 生きている世界はどのようにして生まれるのか H・マトゥラーナ、F・バレーラ 管啓次郎訳 筑摩書房 1997


◎人類学の存在論的転回

雑誌 たぐい vol.2 亜紀書房 奥野克巳、近藤祉秋編著 亜紀書房 2020
モノも石も死者も生きている世界の民から人類学者が教わったこと 奥野克巳 亜紀書房 2020
雑誌 たぐい vol.1 奥野克巳、シンジルト、近藤祉秋編著 亜紀書房 2019
人類学とは何か T・インゴルド 奥野克巳他訳 亜紀書房 2020
社会的なものを組み直す アクターネットワーク理論入門 B・ラトゥール 伊藤嘉高訳 法政大学出版局 2019
ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと 奥野克巳 亜紀書房 2018
ソウル・ハンターズ シベリア・ユカギールのアニミズムの人類学 R・ウィラースレフ 奥野克巳他訳 亜紀書房 2018
機械カニバリズム 人間なきあとの人類学へ 久保明教 講談社メチエ 2018
交錯する世界 自然と文化の脱構築 フィリップ・ディスコラとの対話 P・ディスコラ 秋道智彌編 京都大学学術出版会 2018
雑誌 現代思想 2017 vol.45-4 3月臨時増刊号 人類学の時代 青土社 2017
雑誌 現代思想 2016 vol.44-5 3月臨時増刊号 人類学のゆくえ 青土社 2016
森は考える E・コーン 奥野克巳他訳 亜紀書房 2016
食人の形而上学 ポスト構造主義的人類学への道 E・V・デ・カストロ 檜垣立哉、山崎吾郎訳 洛北出版 2015
ラインズ 線の文化史 T・インゴルド 工藤晋訳 左右社 2014
ヘラジカの贈り物 北方狩猟民カスカと動物の自然誌 山口未花子 春風社 2014
人と動物の人類学 シリーズ来るべき人類学5 奥野克巳、山口未花子、近藤祉秋編著 春風社 2012
現実批判の人類学 新世代のエスノグラフィ 春日直樹編著 世界思想社 2011
伴侶種宣言 犬と人との「重要な他者性」 D・ハラウェイ 永野文香訳 以文社 2013


◎進化生物学と霊長類学の間

モノ申す人類学 長谷川眞理子 青土社 2020
スタディサプリ 三賢人の学問探究ノート(1) 人間を究める 長谷川眞理子他 ポプラ社 2020
今読む名著! 進化と暴走 ダーウィン『種の起源』を読み直す 内田亮子 現代書館 2020
未来のルーシー 人間は動物にも植物にもなれる 中沢新一、山極寿一 青土社 2020
世界は美しくて不思議に満ちている 「共感」から考えるヒトの進化 長谷川眞理子 青土社 2018
ゴリラからの警告 「人間社会、ここがおかしい」 山極寿一 毎日新聞出版 2018
雑誌 現代思想 2016 vol.44-2 12月号 霊長類学の最前線 青土社 2016
きずなと思いやりが日本をダメにする 最新進化学が解き明かす「心と社会」 長谷川眞理子、山岸俊男 集英社インターナショナル 2016
雑誌 現代思想 2016 vol.44-10 5月号 人類の起源と進化 プレ・ヒューマンへの想像力 青土社 2016
生き物をめぐる4つの「なぜ」 長谷川眞理子 集英社新書 2002


◎人新世と人類

「人間以後」の哲学 人新世を生きる 篠原雅武 講談社メチエ 2020
人新世の地球環境と農業 石坂匡身、大串和紀他 農文協 2020
アントロポセン 人類の未来 日経サイエンス編集部 日本経済新聞社 2019
人新世とは何か 〈地球と人類の時代〉の思想史 C・ボヌイユ、J-B・フレソズ 野坂しおり訳 青土社 2018
人新世の哲学 思弁的実在論以後の「人間の条件」 篠原雅武 人文書院 2018
エコクリティシズムの波を超えて 人新世の地球を生きる 塩田弘、松永京子編著 音羽書房鶴見書店 2017
雑誌 現代思想 2017 vol.45-22 12月号 人新世 地質年代が示す人類と地球の未来 青土社 2017
雑誌 日経サイエンス 人新世を考える 日経サイエンス 2016


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