脆さと定まらなさ、自己・他者・ものたちのある場所

篠原雅武

篠原雅武

しのはら・まさたけ
1975年横浜市生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了。博士(人間・環境学)。現在、京都大学総合生存学館(思修館)特定准教授。著書に『「人間以後」の哲学:人新世を生る』(講談社選書メチェ 2020)、『人新世の哲学:思弁的実在論以後の「人間の条件」』(人文書院 2018)他がある。
われわれが今存在している状況はなんら強固なものではなく、
常に脆く不安であることを意識していないと、
われわれ自身の未来は開かれていかないのではないかと思うわけです。
完新世から人新世への移行期というのは、
多分、これまで人間が経験したこととのアナロジーでは理解できない。
歴史的な知というものがまったく役に立たなくなって、
もっと想像的というか、SF的な発想力、未来を描こうとする思弁の力が大切になる。

人新世と10万年スケールの森の歴史

林 竜馬

林 竜馬

はやし・りょうま
1981年東京都生まれ。京都府立大学大学院農学研究科生物生産環境学専攻博士後期課程修了。現在、滋賀県立琵琶湖博物館研究部主任学芸員。専門は、微古生物学、古生態学、森林環境学。主要論文に「変動する森から見つめる〈人新世〉」(『現代思想』2017.vol.45-22所収)他がある。
人間と森林の関係からは、
人間のアンダーユースによって原生的な森に戻っていく大きな推移が見えますし、
今直近に起こりつつある温暖化に対しても、
かつての地球上ではそれ以上に激しい変動が何度も繰り返されてきたことを指摘することができます。
ですから「自然」も、「環境」も、「人新世」も、
漠然としたイメージで語ることはそろそろ止しにして、
もう少し焦点の合った議論を重ねていく必要があるのではないかと思います。

人新世と脱成長コミュニズム

斎藤幸平

斎藤幸平

さいとう・こうへい
1987年生まれ。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。専門は、経済思想、社会思想。著書に『人新世の「資本論」』(集英社新書 2020)『大洪水の前に:マルクスと惑星の物質代謝』(堀之内出版 2019)他がある。
資本主義というのは、私たちが思っているほど合理的ではないし、
もとより、最善のシステムではない。
今できることは、資本主義システムをいったん反故にし、
さまざまなイデオロギーと突き合わせることで、相対化させる。
目指すべき方向は、経済成長ではなく、
資本主義の延命でもない。
より大胆な発想で、社会のあるべき姿を追求することです。

巨視的視点で捉えた惑星の運命
完新世から人新世へ

 オゾン層研究でノーベル化学賞を受賞した大気学者パウル・クルッツェンは、メキシコで開催された地球圏・生物圏国際共同研究計画(IGBP)の会議の席上、こう叫んだと言います。完新世の間に起こった地球環境の変化に関して激しい議論が交わされていた最中のことです。「違う! 今はもう完新世ではない。すでに人新世のなかにいる!」と
 地質学の一部門に地層のできた順序を研究する層序学があります。層序学では、もっとも大きな地質年代区分は、古生代、中生代、新生代などの「代」で、それが白亜紀、第4紀などの「紀」に分かれ、さらに更新生、完新世などの「世」に分かれます。現在は、1万1700年前に始まった新生代第4紀完新世の時代であることは、地質学者の間ではほぼ共有されていましたが、クルッツェンは、新たな時代区分が必要だと提案したわけです。
 クルッツェンは、その2年後、微小な藻類の研究者で、数年前から「人新世」という言葉を使用していたユージン・F・ステルマーと共著で、科学雑誌に論文「The Anthropocene」を発表しました。産業革命後の人類は、地球の大気と海の組成を変化させ、地形と生物圏を大きく変えました。われわれは、以前の地球とはまるで異なる、人間によって突き動かされている新たな地球に住んでいます。「多くの面で人間活動が支配的となった現在に至る地質時代に〈人新世〉という新たな用語を与えるのが適当」と論じたのです。


地層に刻まれる人類の痕跡
 アントロポセン、すなわち人新世は、「地球関係における人間の痕跡が、今や広範で激しくなったことで地球システムの機能に衝撃を与え、自然の他の巨大な力に匹敵するようになった」という事実に特徴付けられる時代といえるとクルッツェンは言いました 。しかし、それが事実だとしても、その変化が地質学的な変化、つまり地球全体の地層にその痕跡が刻み込まれるような大変化だと本当にいえるのでしょうか。完新世が始まった1万1700年前には、地球の大部分を覆っていた氷河が後退・融解して世界の海水面が120mも上昇しました。これに匹敵するような大変化を人類が引き起こした可能性があるというのです。たかだか数100年の人間活動の影響が、数100万年あるいは数10億年単位で測れる過去の大変動と比肩し得るような変化を生む。果たしてそんなことがあり得るのでしょうか。
 人新世を地質年代として認定するには、人間活動の影響が明確な痕跡を残すこと、つまり地層中の化石となって、数千万年あるいは数億年後の地質学者に認められることです。地質学者が地質年代の指標とするのは時代岩相 —ハンマーを打ち込んで試料を採取し内部のものを掘り出す— ですが、人新世が地質学的にしっかりした意味をもち正式に認定されるには、独自の時代岩相単位を示す必要があります。人新世はその要件を満たす十分な証拠を揃えつつあるとクルッツェンは言い放ったのです。
 岩石の基本的な構成成分である鉱物中には、酸化物や炭素塩、ケイ酸塩などのかたちで金属が存在します。鉱物が活発に形成されたのは今から約25億年前で、地球大気に酸素が生じた時代でした。これに伴い、さまざまな酸化物と水酸化物が生成されました。人類は、数々の無機化合物を合成することで、鉱物生成を加速させたといいます。その代表はガラスやプラスチックなどの純鉱物です。現在では、年間約3億トン —全人類の体重に匹敵— が製造されています。プラスチックゴミが地上に残す痕跡は自明ですが、地質学的には海の方に大きな影響が表れます。多くの海洋動物がプラスチックを食べ、それらの死骸の多くは最終的に海底の泥として堆積します。プラスチックゴミより、ずっと広範囲に見られるのが合成繊維の布地から出た微細な繊維クズなどの「マイクロプラスチック」です。陸地から遠く離れた海底でさえ、どの1㎡を調べても多数の微細繊維クズが見つかるといいます。
 コンクリートは、今や人造の岩石だといえます。人類はこれまでに5000億トンものコンクリートを製造し、地球表面の1㎡につき約1㎏のコンクリートが存在するといわれています。過去100年ほどの間に、プラスチックやコンクリートを生産するために、膨大な量の化石燃料を使用してきましたが、それに伴い膨大な量の副産物も生み出しました。二酸化炭素(CO2)です。産業革命以後大気中の二酸化炭素の濃度は、完新世が始まった頃に比べて約100倍のスピードで増え続けています。化石燃料の燃焼によって、煙も生じます。煙は、不完全燃焼した不活性の微粒子で、世界中の地面に降着し、地質学的痕跡を残します。


ヒトという存在の重み
 農業も独自の化学的痕跡を生みます。人類が農耕を始めて約1万年が経ちますが、大量の窒素肥料が使用されるようになったのは20世紀初頭になってからで、これは空気中から窒素を固定して肥料を合成する技術によるものです。この結果として土壌と水、大気に生じた擾乱は、はっきりと化学的痕跡を残しています。農地から流出した肥料は、河川から海に流れ込み、プランクトンを大量発生させ、これら大量のプランクトンが死んで分解されると酸素が欠乏した「デッドゾーン」が生じ、今や毎年数十万㎢の海底で生物が死滅しています。この他殺虫剤やダイオキシンなど人工合成された残留性の有機汚染物質も多く堆積物に混入し、化学的痕跡となります。
 1940年代半ばから1950年代後半にかけて、さまざまな国が大気圏内で核実験を行ってきた結果、その放射性降下物は土壌や極氷、海底堆積物などに入り込み、地表の動植物にも吸収されました。この放射性物質を含む地層は、もっとも明確な人新世のしるしです。
 わずか数千年前まで地球の生物相のなかでマイナーな存在に過ぎなかったヒトという生物種が、現代では陸と海の上位捕食者となっています。人類は、地球の全生物生産量の約4分の1を自分たちのために使っています。この結果、人類は陸生脊椎動物の約3分の1を占め(体重ベース)、残り3分の1の大半は、人間が食物とするために改良した一握りの家畜です。純粋な野生動物は、今や5%に満たないとすらいわれています。
 人類は、地球上の陸地の大半に入植し、残された野生生物をあまねく再配備してきました。要するに、動植物を地球全体に移動し、世界の生物相を均質化し、さらに多くの生物種を絶滅に追いやった。100年後あるいは200年後には、恐竜絶滅の際に生じたのに匹敵する壊滅的な打撃を地球の生物多様性に与える可能性があると考えられています。
 ざっと挙げただけでもこれだけの変化が地球上で起こり、現在も進行中です。人間の活動が、地球に地質学的なレベルの影響を与えるということを示す「人新世」のアイデアは、またたくまに専門家の支持を得ることになりました。ただ、人新世の始まりをいつにするかとなると、まだ議論が絶えませんが、現在のところ1950年前後とする説が有力のようです。というのも、今見てきたように、完新世と明確に区別できるだけの地質学的証拠(痕跡)が豊富に存在するからです。人間活動の爆発的増大を指す「グレート・アクセラレーション(Great Acceleration)」による大変化が、まさに1950年前後を境に起こったと考えられます。


人間の活動が地球環境を悪化させることへの警告
 人新世を提唱したクルッツェンは、じつのところ地質年代を見直すこと自体にはそれほど意義があるとは考えていなかったようです。クルッツェンの意図は別にありました。人間の活動が地球環境に及ぼす影響への警告です。第2次世界大戦後に急速に進んだ人口の増加、グローバリゼーション、工業における大量生産、農業の大規模化、都市の巨大化、テクノロジーの進歩といった社会経済における大変化は、結果として二酸化炭素やメタンガス濃度の上昇、成層圏のオゾン濃度の低下、地球の表面温度の上昇や海洋の酸性化、海洋資源や熱帯林の減少といったかたちで地球環境に甚大な影響を及ぼしています。
 「人新世を提唱したのは、われわれの活動が地球にいかなる影響を及ぼしているかを自覚してもらうためであり、そして最悪の事態を避けるにはどうすれば良いかを考えてもらうため」だとクルッツェンは言いました。「人新世という言葉が、世界への警告となればいい」と彼は考えていたのです。
 ここでいう最悪の事態とは、大量絶滅のことだと思われます。白亜紀末の小惑星衝突が恐竜を絶滅させた史上5度目の大量絶滅だったように、人新世による環境変化が6度目の大量絶滅を引き起こすのではないかという危惧です。まさに地球環境の悪化に対する危機意識が人新世という言葉を生んだのです。ただ、重要なのは、それが安直な地球環境保護に向かわなかったことです。吉川浩満氏が正しく指摘するように、従来の環境保護思想にはある共通点がありました。とくに1960年代から70年代に現れた環境保護思想は、多かれ少なかれ人間中心主義的・情緒的・終末論的な色彩を帯びたものでした。そこでは、人間終末と世界の終末とが暗黙のうちに等置されていたのです。
 一方、クルッツェンの地球環境へのまなざしには、それがみごとに欠落しているのです(いい意味で)。「人新世の場合、(…)その名に反して内実はずっとドライかつニュートラル」であり、そこでは人類の終末と世界の終末は同じではありません。「人類が誕生する前から地球は存在していたし、人類が絶滅した後にも地球は平然と別の地層を堆積しつづけるだろうことが、あたりまえのこととして含意されている。クルッツェンの〈警告〉にしても、表現こそ情緒的であるものの、人間活動と地球環境の関係をできるだけ巨視的なレベルで客観視しようという姿勢が見られる」 というのです。
 今号は、この「人新世」を手掛かりに、人間と自然の関係を問い直します。人工世界と自然世界、時間スケールと自然環境、物質代謝の亀裂と修復がキーワードです。
(佐藤真)

引用・参考文献
(1) 日経サイエンス編集部編『別冊日経サイエンス アントロポセン 人類の未来』(日経サイエンス社 2019)
(2) C・ボヌイユ、J-B・フレンズ『人新世とは何か〈地球と人類の時代〉の思想史』(野中しおり訳 青土社 2018)
(3) 吉川浩満「人新世(アントロポセン)における人間とはどのような存在ですか?」(10+1 website 201701)


◎人新世とは何か

人新世の地球環境と農業 石坂匡身他 農山漁村文化協会 2020
海洋プラスチックゴミ問題の真実 マイクロプラスチックの実態と未来予測 磯部篤彦 化学同人 2020
別冊日経サイエンス アントロポセン 人類の未来 日経サイエンス編集部編 日経サイエンス社 2019
危機と人類 上下 J・ダイヤモンド 小川敏子他訳 日本経済新聞出版社 2019
ローマクラブ『成長の限界』から半世紀 Come On! 目を覚まそう! 環境危機を迎えた「人新世」をどう生きるか? E・U・フオン・ワイツゼッカー他 林良嗣他訳 明石書店 2019
人新世とは何か〈地球と人類の時代〉の思想史 C・ボヌイユ、J-B・フレソズ 野坂しおり訳 青土社 2018
サピエンス異変 新たな時代「人新世」の衝撃 V・クリガン= リード 水谷淳他訳 飛鳥新社 2018
エコクリティシズムの波を超えて 人新世の地球を生きる 塩田弘他編著 音羽書房鶴見書店 2017
サピエンス全史 上下 U・N・ハラリ 柴田裕之訳 河出書房新社 2016
人類が変えた地球 新時代アントロポセンに生きる G・ヴィンス 小坂恵理訳 化学同人 2015


◎気候変動と地球の危機

雑誌 現代思想 vol.48-5 気候変動 青土社 2020
雑誌 社会運動 no.439. 特集いまなら間に合う! 気候危機 残る10年で何をするのか 市民セクター政策機構 2020
地球に住めなくなる日 「気候崩壊」の避けられない真実 D・ウォレス・ウェルズ 藤井留美訳 NHK 出版 2020
図解でわかる 14歳から知る気候変動 インフォビジュアル研究所 太田出版 2020
雑誌ハーバード・ビジネス・レビュー 特集1 気候変動 特集2不安とともに生きる ハーバード・ビジネス・レビュー編集部 ダイヤモンド社 2020
気候危機 山本良一 岩波ブックレット 2020
データでわかる 2030年地球のすがた 夫馬賢治 日経新書 2020
気候変動から読み直す日本史(4)気候変動と中世社会 中塚武他編 臨川書店 2020
地球が燃えている 気候崩壊から人類を救うグリーン・ニューディールの提言 ナオミ・クライン 中野真紀子他訳 大月書店 2020
気候変動の時代を生きる 持続可能な未来へ導く教育フロンティア 永田佳之編著 山川出版社 2019
地球46億年 気候大変動 炭素循環で読み解く、地球気候の過去・現在・未来 横山祐典 講談社ブルーバックス 2018
小さな地球の大きな世界 プラネタリー・バウンダリーと持続可能な開発 J・ロックストローム他 谷淳也他訳 丸善出版 2018
これがすべてを変える 資本主義VS 気候変動 上下 ナオミ・クライン 幾島幸子他訳 岩波書店 2017
人類と気候の10万年 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか 中川毅 講談社ブルーバックス 2017
気候変動クライシス G・ワグナー他 山形浩生訳 東洋経済新報社 2016
異常気象と地球温暖化 未来に何が待っている 鬼頭昭雄 岩波新書 2015
ガイアの復讐 J・ラブロック 竹村健一訳 中央公論新社 2006


◎人新世と哲学

「人間以後」の哲学 人新世を生きる 篠原雅武 講談社選書メチエ 2020
雑誌 現代思想 vol.48-1 特集 現代思想の総展望2020 青土社 2020
哲学は環境問題に使えるのか 環境プラグマテイズムの挑戦 A・ライト他編著 岡本裕一朗他監訳 慶應義塾大学出版会 2019
人新世の哲学 思弁的実在論以後の「人間の条件」 篠原雅武 人文書院 2018
なぜ世界は存在しないのか M・ガブリエル 清水一浩訳 講談社選書メチエ 2018
自然なきエコロジー 来たるべき環境哲学に向けて T・モートン 篠原雅武訳 以文社 2018
雑誌 現代思想 vol.45-22 特集 人新世 青土社 2017
有限性の後で 偶然性の必然性についての試論 Q・メイヤスー 千葉雅也他訳 人文書院 2016
人間の条件 H・アーレント 志水速雄訳 ちくま学芸文庫 1994


◎脱成長とポスト資本主義

人新世の「資本論」 斎藤幸平 集英社新書 2020
脱成長 S・ラトゥーシュ 中野佳裕訳 文庫クセジュ 2020
雑誌 美術手帖 10月号 特集 コロナ禍で考える、ポスト資本主義とアート 美術出版社 2020
未来のプルードン 資本主義もマルクス主義も 的場昭弘 亜紀書房 2020
大洪水の前に マルクスと惑星の物質代謝 斎藤幸平 堀之内出版 2019
未来への大分岐 資本主義の終わりか、人間の終焉か? M・ガブリエル他 集英社新書 2019
資本主義の終焉 資本の17の矛盾とグローバル経済の未来 D・ハーヴェイ 大屋定晴他訳 作品社 2017
資本主義はどう終わるのか W・シュトレーク 村澤真保呂他訳 河出書房新社 2017
ポストキャピタリズム 資本主義以後の世界 P・メイスン 佐々とも訳 東洋経済新報社 2017
雑誌 nyx ニュクス 第1特集マルクス主義からマルクスへ、第2特集なぜベートーヴェンか 堀之内出版 2016
脱成長(ダウンシフト)のとき 人間らしい時間をとりもどすために S・ラトゥーシュ他 佐藤直樹他訳 未来社 2014


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