和声的調性音楽は〝自然〟なのか……自然は楽器も音階も和音もつくらない
伊藤友計
1973年生まれ。東京外国語大学、東京藝術大学卒業。文学博士(東京大学)、音楽学博士(東京藝術大学)。現在、明治大学非常勤講師。著書に『西洋音楽の正体:調と和声の不思議を探る』(講談社選書メチエ、2021)、『西洋音楽理論にみるラモーの軌跡:数・科学・音楽をめぐる栄光と挫折』(音楽之友社、2020)、また訳書に本邦初訳となるラモー著の『自然の諸原理に還元された和声論』(音楽之友社、2018)などがある。
そこが面白いし、恐ろしいところです。
科学的根拠はないけれど、私たちはずっとそれを不快とする音楽を聞かされてきた。
なので、そういうふうに感性もつくられるし、聴覚だってつくられる。
これは音楽学者のみなさんにも賛成していただけると思いますが、結局はトレーニングの賜物、というわけです。
誤解や批判を恐れずに言ってしまえば、私たちはこういう世界を生きているというだけで、すでにそのように調教されているんですよ。
悲しい時に無性に悲しい曲が聴きたくなるのはなぜ?……音楽と感情の不思議な関係
源河 亨
1985年沖縄生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(哲学)。九州大学大学院比較文化研究院講師。専門は心の哲学、美学。著書に『「美味しい」とは何か:食からひもとく美学入門』(中公新書2022)、『感情の哲学入門講義』(慶應義塾大学出版会、2021)、『悲しい曲の何が悲しいのか:音楽美学と心の哲学』(慶應義塾大学出版会、2019)、『知覚と判断の境界線「: 知覚の哲学」基本と応用』(慶應義塾大学出版会、2017)がある。
つまり、悲しいメロディと悲しんでいる人には「悲しみの外観」が共通しているので、まさに「同質」と感じられる。
さらに悲しいメロディで知覚される「悲しみの外観」によって「悲しんでいるのは自分だけではない」という安心感が得られ、それが自分の悲しみの慰めとなるのかもしれません。
響きの未来、無調、電子音響以降の表現のゆくえ
沼野雄司
1965年東京生まれ。東京藝術大学大学院音楽研究科博士後期課程修了。東京音楽大学助教授、ハーヴァード大学客員研究員などを経て、現在、桐朋学園大学教授。音楽学専攻。博士(音楽学)。著書に『現代音楽史』(中公新書 2021)、『エドガー・ヴァレーズ= 孤独な射手の肖像』(春秋社、2019)、『リゲティ、ベリオ、ブーレーズ:前衛の終焉と現代音楽のゆくえ』(音楽之友社、2005)他がある。
果てしなくいろんなことができる。
多くの作曲家が、電子音響をいったんは使いつつも、
たいていアコースティックに戻ってくるのは、
「海に出て泳いでみたら、ちょっと怖かった」という話だとも思っているんですよ。
「新しいもの、新しいもの」とやっていって海に飛び込むのだけど、
やがて不安になって岸に戻ってきちゃうということの繰り返しのような気がしますね。
音楽に美しい響きはあるか
24の調性と西洋音楽の起源
今号のテーマは「ゆらぐハーモニー 調性・和声・響き」。音楽の三要素、メロディ、ハーモニー、リズムのあのハーモニーです。
音楽は、メロディ(旋律)、ハーモニー(和音あるいは和声)、リズム(律動)の三つの要素で構成されています。音楽を聴いて最初に何かを感じたり、印象に残ったりするのは、主にメロディです。メロディは音楽のもっとも中心的な要素で、たいがいの音楽にはメロディがあります。メロディは楽曲の主役という重要な役目を担っているため、音楽=メロディと思われているようですが、言うまでもなく、メロディだけで成立しているものはほとんどありません。日常生活にあふれている音楽の大半は、メディとハーモニーとリズムによって成り立っています。
メロディは、要するに高い音と低い音の組み合わせのことです。その「高い」「低い」の具合は、ある種の「音程」をもって並んだ「音階」からできています。その音階のそれぞれの音を、今ではド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・(ド)と呼び、これを「音名」といいます。音階としての「ドレミファ」は、すべての音が同じ間隔ではなく、音と音の間隔が「広い(長い)」ものと「狭い(短い)」ものがあります。たとえば、ピアノの鍵盤でいえば、「ドとレ」の間は黒鍵が一つ入りますが、「ミとファ」の間には入らない。この「狭い(短い)」ものが「半音」で「広い(長い)」ものが全音です。
この音階(ドレミファ)と双子の関係にありながら、「ド」と「ミ」がちょっと間隔の狭(短い)和音になる音階も存在します。それが「短調」の元となる「短音階」です。この「短音階」、一言で言うと、音階の三番目の音をフラット(低く)させたもので、一番明るくハモっている「ドミソ」のミの音にグッとストレス(圧力)をかけて低くするので、かなり暗い響きになるのが特徴です⑴。
私たちが日頃親しんでいる西洋音楽は、もっとも自然な並びの「長音階」と、3番目の音がちょっと低くて響きが暗めの「短音階」の2種類を柱として、進化をとげました。そして前者の「長音階」から生まれる調性を「長調」、後者の「短音階」から生まれる調性を「短調」と呼びます。長調は、ある意味では調和を具現化した「調べ」そのもので、「明るさ」や「楽しさ」、「開放感」といったイメージを喚起します。一方、「短調」の方は、この調和された響きのなかに一音あるいは二音ほど低い音が混ざり込むことで、暗さが感じられるようになります。「ド」からオクターブ上の「ド」までは半音で数えると12個の音になりますが、その12の各音が主音に設定されることで、音階のあり方が定まります。そしてその主音に設定された一つの音は、長調と短調で使用されることが可能なので、総計で調の数は12×2で24あります。つまり、12の長調と12の短調があり、したがって全部で24の調が存在することになります。これが現在の私たちの音楽体験のほとんどのパーセンテージを占める西洋起源の音楽のフィールドです(3)。
何に調和を見出すか
音楽は、メロディ、ハーモニー、リズムの三要素から成り立っていると言いましたが、そのそれぞれは独立したものではなく、調和のもとに合体し融合したものです。もとより、太鼓やドラムソロなどのようにリズムだけの音楽もありますし、管楽器や弦楽器のソロといったメロディだけの音楽もあります。またロックやポップスでは、リズム(ドラムス)、メロディ(ヴォーカル)、ハーモニー(ギターやキーボード)のように、完全に三者が分離したかのように聴こえる音楽もあります。メロディはハーモニーに乗ることで表現力をもち、ハーモニーはリズムに乗って変化していくことで意味をもちます。いわばこの三つは「三つで一つ」の音楽の基本要素だといっていいでしょう(1)。
リズムやメロディは、動物や鳥などもその生活のなかで使っています。たとえば、鳥のさえずりや動物たちの鳴き声は立派にメロディですし、その仕草や求愛ダンスも立派なリズムです。リズムやメロディは人間だけに固有のものではないようです。しかし、ハーモニーは違います。ハーモニーは、
ハーモニーの語源は、ギリシャ神話の調和の女神「ハルモニア(harmonia)」で、「和音」あるいは「和声」などと訳され、時には「調性(tonality)」を指す場合もあります。和音(chord)は、ドミソやシレソのように、複数の楽音がタテに同時に響いて一つの集合音になっている二次元の「単体」の状態のことですが、和声(harmony)は、和音を構成するそれぞれの音(声部)の動き方や並び方、およびその組み合わせを指し、いわば、三次元となった「複合体」のことです。一つの「音」の横の並びが「メロディ(旋律)」、複数の音の重なり具合が「ハーモニー(声)」、タテに並んだ瞬間の組み合わせが「コード(和音)」、そしてそれらの体系や秩序が「調性」ということになります。言い換えれば、同時に鳴らされるいくつかの音が「和音」で、止まらずに、次から次へと進んでいく和音の進行が和声。つまり、和音が連続して変化することで、ハーモニーが生まれる。「和音進行=和声=ハーモニー」ということです(2)。
西洋クラシック音楽が体系付けたハーモニーは、言い換えれば、調性のシステムのことで、それは複数の音が「協和する」関係にある(と人間が認識する)ことを意味しました。「音楽表現」とは、すなわちそれを人為的に変化(操作)させることであり、そのことにより「心地よい音」がつくり出せると考えたわけです。ところが、事態はそう単純には進まなかった。むしろそこからの脱却こそが目指されたのです。「協和」の探求、それはハーモニーにとってもっとも根源的かつ普遍的な課題でした。しかし、和音をきれいに響かせることが私たちの目的なのでしょうか。ある一定のルールで和音を整理し秩序立てて演奏することが目標でしょうか。さまざまな構成音から成り立っている和音はいわば生き物と同じ。いつも同じ響きを生み出すとは限りません。演奏する人によって、あるいは音が鳴っている場や環境、空気などに影響されるからです。そこが音楽の面白さであり、音の広がりを感じさせるゆえんなのです(2)。現代の音楽は、こう言ってよければ、そのハーモニーからの脱却を、さらには和声の換骨奪胎を目指すようになったのです。
そこでまず明治大学非常勤講師の伊藤友計氏に「和声的調性音楽は〈自然〉なのか」をテーマに、調性と和声の関係を軸に、和声的調性音楽がもつ根源的論理性、また和声的調性音楽自体が孕む陥穽についてお話しいただきます。
調性/無調、協和/不協和のグラデュアルな世界
一般的に、メロディは聴き手にどんな雰囲気の音楽であるかを印象付ける働きがあります。そしてそのメロディを支えているのが和音であり和声です。音楽は、明るかったり暗かったり、楽しかったりさびしかったりと、その聴こえてくる楽曲によって印象が大きく異なりますが、この陰影を付ける当のものが、まさに和音であり和声なのです。つまり、その楽曲を生かすも殺すも和音、和声次第というわけです。
ところで、音楽を聴く経験に心の哲学の観点からアプローチしているのが九州大学大学院比較社会文化研究科講師の源河亨氏です。聴取経験は、心の働き・状態の一つであるため、こころについての哲学的考察で得られた成果を利用できると源河氏は考えています。美に関する経験や判断の問題を扱う美学に心の哲学から迫ろうというのです。
「悲しい時には、悲しい曲を聴くのがいい」とよく聞きます。悲しみ、憂鬱、不安などネガティブな感情を抱いている時に、陽気な曲を聴くのではなく、むしろ、自分の感情と
みてきたように、西洋クラシック音楽はすべからく調性音楽です。また、テレビやラジオで日々接する楽曲のほとんども明快な調性音楽です。しかし、今日、「無調」は現代音楽の一つの根を成す重要な様式的メルクマールとなっています。無調で作曲をすることは、調性音楽からの離脱を意味するだけではなく、長い間培われてきた音の世界そのものからの脱却をも意味しています。さらに電子テクノロジーの進展は音楽環境そのものを根底から覆そうとしています。調性音楽の徹底的な浸透とそれとは相反する無調と電子音響の隆盛。現在の音楽環境のこのアマルガム状況を私たちはどのように捉えればいいのでしょうか。
最後に桐朋学園大学教授で現代音楽を研究する沼野雄司氏に、現代音楽を事例にお話しいただきます。 (佐藤真)
1.吉松隆『調整で読み解くクラシック』(ヤマハミュージックエンターテインメントホールディングス ミュージックメディア部 2014)
2.船橋三十子『和音の正体 和音の成り立ち、仕組み、進化の歴史』(ヤマハミュージックエンターテインメントホールディングス ミュージックメディア部 2022)
3.伊藤友計『西洋音楽の正体 調と和声の不思議を探る』(講談社選書メチエ 2021)
◎調と和声、構造としくみ
和音の正体 和音の成り立ち、仕組み、進化の歴史 船橋三十子 ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングスミュージックメディア部 2022
西洋音楽の正体 調と和声の不思議を探る 伊藤友計 講談社選書メチエ 2021
西洋音楽理論にみるラモーの軌跡 数・科学・音楽をめぐる栄光と挫折 伊藤友計 音楽之友社 2020
ハーモニー探求の歴史 思想としての和声論 西田紘子、安川智子編著 音楽之友社 2019
和声論 自然の諸原理に還元された J・Ph・ラモー 伊藤友計訳 音楽之友社 2018
新しい和声 理論と聴感覚の統合 林達也 アルテス・パプリッシング 2015
理論・方法・分析から調性音楽を読む本 H・ゴナール 藤田茂訳 音楽之友社 2015
吉松隆の調性で読み解くクラシック 1冊でわかるポケット教養シリーズ 吉松隆 ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングスミュージックメディア部 2014
名曲で学ぶ和声学 柳田孝義 音楽之友社 2014
調性音楽のシェンカー分析 A・キャドウォーラダー、D・ガニェ 角倉一朗訳 音楽之友社 2013
ピストン/デヴォート 和声法 分析と実習 増補改訂 W・ピストン、M・デヴォート 角倉一朗訳 音楽之友社 2006
和声法 和声の構造的諸機能 A・シェーンベルク 上田昭訳 音楽之友社 1982
和声 理論と実習 I, II, III、別巻 島岡譲他 音楽之友社 1964 ~1967
◎現代音楽の諸相
現代音楽史 闘争しつづける芸術のゆくえ 沼野雄司 中公新書 2021
ポストモダンの音楽解釈 福中冬子 東京藝術大学出版会 2021
〈無調〉の誕生 ドミナントなき時代の音楽のゆくえ 柿沼敏江 音楽之友社 2020
エドガー・ヴァレーズ=孤独な射手の肖像 沼野雄司 春秋社 2019
ブーレーズ/ケージ往復書簡1949-1982 P・ブーレーズ、J・ケージ 笹羽映子訳 みすず書房 2018
ニュー・ミュージコロジー 音楽作品を「読む」批評理論 J・カーマン、R・タラスキン他 福中冬子訳 慶應義塾大学出版会 2013
無調音楽の構造 ピッチクラス・セットの基本的な概念と考察 A・フォート 森あかね訳 音楽之友社 2011
戦後の音楽 芸術音楽のポリティクスとポエティクス 長木誠司 作品社 2010
20世紀を語る音楽 I、II A・ロス 柿沼敏江訳 みすず書房 2010
ジョン・ケージ著作選 J・ケージ 小沼純一編 ちくま学芸文庫 2009
ミニマル・ミュージック 増補新版 その展開と思想 小沼純一 青土社 2008
日本戦後音楽史 上下 日本戦後音楽史研究会編著 平凡社 2007
リゲティ、ベリオ、ブーレーズ 前衛の終焉と現代音楽のゆくえ 沼野雄司 音楽之友社 2005
テクノロジカル/音楽論 シュトックハウゼンから音響派まで 佐々木敦 リットーミュージック 2005
前衛音楽の漂流者たち もう一つの音楽的近代 長木誠司 筑摩書房 1993
音楽探し 20世紀音楽ガイド 小沼純一 洋泉社 1993
◎音/音楽の哲学
演奏家が語る音楽の哲学 大嶋義実 講談社選書メチエ 2022
音楽する脳 天才たちの創造性と超絶技巧の科学 大黒達也 朝日新書 2022
数学と科学から読む音楽 1冊でわかるポケット教養シリーズ 西原稔、安生健 ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングスミュージックメディア部 2019
悲しい曲の何が悲しいのか 音楽美学と心の哲学 源河亨 慶應義塾大学出版会 2019
音楽の哲学入門 T・グレイシック 源河亨、木下頌子訳 慶應義塾大学出版会 2019
知覚と判断の境界線 「知覚の哲学」基本と応用 源河亨 慶應義塾大学出版会 2017
音楽を考える人のための基本文献34 椎名亮輔編著 アルテスパブリッシング 2017
音楽と脳科学 音楽の脳内過程の理解を目指して S・ケルシュ 佐藤正之監訳他 北大路書房 2016
絶対音楽の美学と分裂する〈ドイツ〉十九世紀〈音楽の国ドイツの系譜学3〉吉田寛 青弓社 2015
ランシエール 新〈音楽の哲学〉 J・ランシエール 市田良彦訳 白水社 2007
音楽と感情の心理学 P・N・ジュスリン、J・A・スロボタ編 大串健吾、星野悦子他訳 誠信書房 2008
新音楽の哲学 Th・W・アドルノ 龍村あや子訳 平凡社 2007
音楽的時間の変容 椎名亮輔 現代思潮新社 2005
日本フリージャズ史 副島輝人 青土社 2002
言語ゲームとしての音楽 ヴィトゲンシュタインから音楽美学へ 矢向正人 勁草書房 2001
音楽美学 新版 C・ダールハウス 杉橋陽一訳 シンフォニア 1997
音楽美学 新しいモデルを求めて H・エッゲブレヒト、D・シャルル 戸沢義夫、庄野進編著 勁草書房 1987
夜の音楽 ショパン・フォーレ・サティ ロマン派から現代へ V・ジャンケレヴィッチ 千葉文夫、松浪未知世他訳 シンフォニア 1986