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エクリチュール再考
言葉と社会がどう結び付いているかという研究は、言語学では長い間未開拓であったという。それが、急速に関心を高めてきたのは、言語学が60年代以後隣接諸科学との関わりを積極的に進めてきたからである。今では、言語と社会の関わりを探る社会言語学は一つの分野を確立するまでに発達しているし、人文科学の側においても言葉は社会的な現象として重要視されている。言葉が社会にどう影響を与えるのか。すでに言語学では、この問題に関しては一つの結論をもっている。よく知られているようにサピア=ウォーフの仮説がそれで、外界の認識は言葉によって条件づけられるとした。「言葉先にありき」というわけだ。もっともこの逆の関係、すなわち「社会先にありき」の事例がないわけではなく、今日では、サピア=ウォーフの仮説は一つの可能性として捉えるべきだとする見方が強い。いずれにせよ、言葉の使用は、私たちの社会環境と深いつながりをもっていることだけは確かだ。言葉およびその使われ方を掘り下げることによって、私たちは言葉と社会の目に見えない関係を発見することができるのかもしれない。
言語使用と身体
言語学が人文科学を牽引した時代。20世紀は、言語学が大きな影響力をもって「知」の全体を主導した世紀であった。なかでも70年代、80年代は、構造主義の登場により言語が、「知」の組み替えそのものにコミットしたきわめて稀な時代であった。ソシュールは、近代言語学の父であると同時に、現代思想の重要人物の一人でもあった。加賀野井秀一氏が言うように、「思考が言語に牛耳られる」、当時の状況はまさにそういう雰囲気を醸し出していたのだ。20世紀はその意味で言語学の世紀であったことはまちがいない。だが、その影響圏域を詳細に見てみると、言語学と一言で括りきれない多様で複雑な絡み合いが起こっていたことがわかる。言語学、記号学、記号論といった言語を核に広がる領域同士の関係もそうだが、当の言語学内部においても、さまざまな動きや流れがあった。たとえば構造主義言語学といった場合でも、ヨーロッパのそれとは別にアメリカ発のものもあり、構造それ自体の捉え方も大きく違っていた。当時言語学の専門家の間でさえ、混乱があったようだ。ましてや構造主義という言葉を知っている程度の一般知識では、当時の状況を正確に把握することは容易ではないだろう。加賀野井氏の見方に従って、もう一度20世紀の言語学と知の関係を整理してみよう。一般的にソシュールは、近代言語学の父と言われるが、ソシュール以前にも近代言語学にとって重要な役割を果たした言語学者はいた。そうしたソシュール前史を視野に入れたうえで、ソシュールの業績を位置づけ直す。つまり、ソシュールを言語学史の中でいったん相対化させてみる。そうすることによって、言語と構造の関係がより明らかになってくるだろう。言語においては、まず体系的な把握が必要だった。体系を把握することは、当然それを成り立たせる要素に注目することになる。全体を構成する体系の把握は構造主義に行き着いた。また、それを支える要素および要素間の差異へのこだわりは記号論を生み出した。一方は巨視的に、他方は微視的にという方向性こそ逆向きであるが、その関係はコインの裏表のように深いつながりをもっていた。両者にとって、ネックとなるのは意味の問題だ。意味を捨象して完全に構造のシステマティックな側面だけに的を絞っていったのがアメリカの構造主義言語学であった。その延長上に言語機能としての文法の研究が生まれ、チョムスキーの変形生成文法理論を経て、認知科学へと発展する。人工知能、コンピュータサイエンスと言語学の結合は、アメリカでは必然的な流れであった。その過程で改めて意味の問題が浮上してきた。言語と意味論が再び結び付いたのである。ヨーロッパの構造主義や記号論においても、意味の問題は無視できなくなってくる。ラングからパロールの言語学へ展開することは、言語の創造性が問われてくるからだ。言語構造と意味の関連が注目されるようになる。言語学は、言語行為論へ、記号論は意味生成論へと発展する。パフォーマティヴィティはそうした言語・記号の生成、創造という観点から出てきた考え方であった。パフォーマティヴィティの視点を導入することは、コミュニケーションにおける意味の生成、意味の生産へと目を向けることになる。加賀野井氏は、そこで「言語的身振り」ということを提起する。つまり言語を身体との関係性から捉え直そうというものだ。そこでは知覚と言語の関わりが問題となる。一方、言語を身体の表現としてみると「場」が問われる。「場」とは、言語使用の各々の場面のことである。私たちにとっては、それは日本語を話す「私の身体」ということになる。日々話し、聞く、日常の言語行為の場。日本語を操る私の身体、それは日本的身体と呼べるような場だ。私はいつから日本語を話すようになったのか。気がついた時には、私はすでに日本語を話していた。そしていつのまにか日本的な慣習を身に付け、日本人らしい振る舞いをしていた。すなわち日本人になっていたのだ。日本人になったのは、日本語を話すからか。サピア=ウォーフが説くように、日本語という言語を使用することによって、私は日本的身体を獲得したのだろうか。日本語の特徴として主語がないことが指摘される。その結果日本語はあいまいになり、思考方法もあいまいさを含んだものとなる。言語がものの見方を決めるという立場からはそう結論づけられる。しかし、本当にそう言い切れるのだろうか。加賀野井氏は疑問を投げかける。そうした言い方がいかに紋切り型であるか、日本語を日々使用している立場でもう一度検討しようというのである。日本語のあいまいさという常識は、十分に疑っていい議論である。社会言語学の立場から、私たちは改めて日本語と日本人の関係を考察してみる必要があるだろう。
加賀野井氏は最近『日本語の復権』を上梓した。ここでの主題はまさにその日本語だ。日本語の特質を日本文化に還元させて安心する安直な日本文化論を厳しく批判している。パフォーマティヴィティをもとにした社会言語学の一つの成果が誕生したといえるだろう。
自律の変化か混交による変化か
言語使用者の意識は、「無意識の意識」である。ソシュールは話し手の意識をそのように考えた。意図のない受動的な心的反応系としての言語行為。したがって、言語における変化は意図をよそに生じる。ソシュールの共時言語学はこうした考えから生まれ、言語の構造(ラング)が重要視され、構造主義言語学が確立されていった。田中克彦氏によれば、それは言語を科学として捉えようとする強い社会的な要請によるものだったという。当時の言語学者の中には、言語学が人間科学の中で最も科学的であると考える者もいた。青年文法学派はそう主張し、言語をいわば機械にみたてて、その変化は規則正しく起こると考えた。生物とは、自律した有機体である。生き物の科学である生物学にとって、こうした自律するマシンとしての生物は大いなるナゾであると共に、究明すべき対象でもあった。言語も例外ではなかった。言語の変化がどうして起こるのか。それ自体の内部で内的変化を起こす言語とは、まさしく生き物そのものである。言語学は、19世紀の知識人にとっては、生物学と同等のものであったのだ。生き物が変化する、その変化に注目したのが進化論であった。個体の変化は目にすることができる。しかし、種の変化を確認することはできない。この矛盾と格闘するところから進化という考え方が生まれた。言語も同じ運命をたどっていくことになる。個としての人間の言語の変化はつかまえられるが、言語全体の変化が何によって起こるのかを捉えることは困難だ。そこ
で進化という考えが導入されるのだが、その原因を探ろうとすればやはり言語の内部に見いだすほかない。そこに登場するのが無意識という概念装置である。19世紀から20世紀にかけて言語の側から俯瞰してみると、精神分析の隆盛と進化論の発展期は、みごとにシンクロしあっていることがわかるだろう。いずれにせよ、その三者に共通するのは自然(内部)に隠された自律性を見ようとすることである。そうした自律性=自然性にその変化の要因をゆだねる見方に対して、社会的な視点をもち込んだのがソビエト言語学であった。ソビエト言語学は交差(スクレシチェーニエ)という概念を打ち出した。それは諸言語の混交によって変化が起こるという考え方で、今でいえばクレオール語の発想を思わせる斬新なものだ。田中氏は、ソビエト言語学の問題意識とエスペラント語の関わりに着目する。今ではほとんど注目されることのない(少なくとも社会主義国以外では)エスペラント語について、クレオール語的な視点からその可能性を導き出そうとするのである。また、変化こそ言語の重要な特徴であり、いったん言語の変化に注目すると、そこでは国家やイデオロギーが激しく拮抗していると指摘する。言語はその使用する文化と切り離しては考えられない強い結び付きをもっている。言葉とは、文化そのものであり、政治や民族という背景を切り離して論じることはできないのだ。
パフォーマティヴィティのメカニズム
浜田寿美男氏が注目する自白は、まぎれもなく権力構造の中からつくり出されるものである。浜田氏の専門は発達心理学である。これまでの心理学は、人間の内部を観察することが目的であるにもかかわらず、外部からそれを描写するという矛盾を抱えていた。とりわけ実験系の心理学では、観察対象をいわゆる刺激(心的)反応系として捉えたうえで、客観的な現象として記述するというのが基本的なフォーマットであった。心理の内奥へ踏み込んでいくという視点がもともと欠けていたのである。発達心理学では、さらに発達という条件が加わる。つまり、人間という生物体にとって発達
とは自明であり、それを妨げる要因があれば、その原因を突き止めて取り除いてやらなければならない。あくまでも発達=伸びるということを前提としたうえで、その心理状態を研究するのが発達心理学であった。浜田氏は、まずそうした心理学の基本姿勢に疑問を投げかける。心理学は、人間心理の内的過程こそ分析対象としなければならないのではないか。心理学とは人間の内部観測(松野孝一郎「記憶と内部観測」『談』no.58参照)なのだ。心理学への懐疑を抱きながら始めた供述分析は、さまざまな発見をもたらした。発達心理学の基本姿勢がまず問い直され、能力とは何かという大きな問題に突き当たる。そこから一つのヒントを得る。人間の諸行動は、単一個体(一人)に還元しえるものではなく、他者との間で織りなす生の物語として捉え返すことができないか。なぜありもしないウソを自白することができるのか。冤罪の研究を続ける中で、供述が一人の内的な力によって形成されるのではなく、ある場合には、複数の他者との相互関係から生み出されることがわかってきた。虚偽の供述は、個人のウソとは異なる特異な創造世界である。言葉によって構成されたもう一つの内的な世界で
ありながら、共同作業によって築かれているという意味では外部に開かれた言語世界でもある。言葉の使用がコンテキストに依存するということを、供述は端的に示しているといえる。もう一つ、自白へと導かれる特殊な環境について浜田氏は指摘する。身柄が拘束され、留置場という状況の中で罵倒され続けるという体験がいかに特殊であるか、しかも無実であることを信じている場合においては、その心理的状態はいっそう複雑である。コンテキストと言語使用の関係は、場と身体の関係に置き換えられる。場に励起する言葉は、身体とコンテキストの絡み合いの中でつくり出される。
自白の研究によって、私たちはパフォーマティヴィティのメカニズムを考える有力な方法論を手に入れることができるかもしれない。
言葉の詩的機能と論理的機能
落合仁司氏へのインタビューは、一見パフォーマティヴィティと関係がなさそうに見えるかもしれない。ましてここで述べられているのは数学と宗教の関連性である。二つとも日常の言葉の世界とは確かにかけ離れた分野ではある。しかし、宗教とは、まず言葉から入るものではないだろうか。「アナタハカミヲシンジマスカ?」という呼びかけは、まさしく言葉によるものである。コーラン、お経は言葉なくして存在しないものであるし、第一、聖書には、「始めに言葉ありき」と記されてある。宗教とは、言葉そのものだといっても過言ではない。数学はどうか。実は数学も言語の一種である。落合氏が述べているように、言語における論理性を形式的に純化させたものが論理学であり、論理学とは数学に属するものである。数学はその基底部において論理学と集合論によって形づけられたものなのだ。落合氏の議論の要旨をまとめてみよう。宗教は二つの特徴をもっている。他者の内在と自己超越で、これは「一でありかつ多」であるということを示していて、無限を考えることである。無限というものを扱ってきた学問分野は数学で、なかでも集合論は最も有力な方法論である。宗教の構造と数学の基礎的な構造が同型であれば、宗教的命題を信ずるという信仰は、数学的心理を追及することと一致する。カントールの集合論によれば、無限集合とその部分集合は同一であるが、宗教の「神の本質と実存の同一」(他者の内在)とは同型である。また、部分集合とベキ集合の差異は、宗教の「神の活動と本質の差異」(自己超越)と同型である。したがって両者は全く同型であり、宗教の構造が数学の定理によって位置づけられたことを示す。宗教は非合理と決め付ける見方は退けられて、文字どおり宗教は合理的なものとなる。もっともカントールの無限集合そのものは公理であり、公理である以上それを認めない立場もある。ヒルベルトの立場はそれだが、ゲーデルの登場によってそれは選択の問題になってしまった。つまり、無限集合は認められるか否かということになり、これはただちに信仰の問題へ直結する。ここでも、宗教と数学は同一の構造になっているのだ。宗教がなぜ人を引きつけるのか。一言でそれを言うのは難しいが、落合氏によれば、宗教は数学的論理機能に加えて、詩的表出機能を併せもっているからであると
いう。論理的なものを詩的に表現する。宗教の言葉の秘密はそこにあるのではないかというのが落合氏の意見だ。
エピステーメの変換
宗教の言葉は、別の言い方をすれば、パフォーマティヴかつコンスタティヴな言語である。それは、オースティン、サール、ポール・ド・マンを経て、脱構築された新たな言語行為の地平を指す。デリダの哲学は、このパフォーマティヴ/コンスタティヴな言語行為論に決定的な影響を与えた。デリダの哲学を、言葉とその使用という文脈の中に引き寄せて考えるとすれば、パフォーマティヴかつコンスタティヴであるという新たな言語の様態に触れざるをえない。これまでの議論は、ここで決定的な転換を遂げることになる。東浩紀氏は、第二期(70年代初頭から80年代半ば)のデリダに注目する。これまでこの時期のデリダの仕事は、戯れのエクリチュールなどと揶揄され、まともに論じられることが少なかった。確かに『葉書』にしろ『弔鐘』にしろ、一度でもそのページを開いた者であれば、それがあながち的外れな批判でもないことはわかるだろう。事実、『弔鐘』の新訳が連載という形で始まった第一回目で、翻訳者の鵜飼哲氏は訳者付記として次のように記している。「『Glas』を翻訳することある種の「狂気」の発作がなければ、このような決断が私に訪れることはなかっただろう。いくつもの言語で書かれた「原文」を単一とみなされているある「自然」言語に訳し入れること、それだけでほとんど、あらかじめ返済不可能な債務をみずから望んで背負い込むことに等しい」と。ではなぜそのようなテキストをデリダが書こうとしたのか。『存在論的、郵便的』という書物は、その徹底的な読解に当てられている。東氏のインタビューでは、彼自身が断っているように、それとは少し違った角度からその意味を掘り下げている。簡単に整理してみよう。
デリダは、すでにこの時期にポストモダンの到来を予感し、その新たな時代に向けた戦略の準備に取りかかっていた。モダンからポストモダンに変わることは、エピステーメが変換することを意味する。コミュニケーションの様態が大きく変わってしまうことだ。モダンの時代に通用していた記号、表象のシステムはいっさい機能不全に陥る。郵便局が機能しなくなり、郵便的・暗号的時代になるのだ。つまり、読者や観客は見えなくなり、見えない読者、見えない観客に向けて発信することになる。そうした郵便的・暗号的時代のコミュニケーションを想定したものとして、デリダのエクリチュールという概念は読み直さなければならない。書かれたもの、発話されたものという差異はすでに消滅し、エクリチュールは、図像、映像、音と一緒になった新たな記号表現となる。東氏に従えば、デリダのエクリチュール理論とその実践とは、現代の状況を正確に予見したうえで、まさに電子メディアの時代のコミュニケーションを想定して書かれたものだというのだ。見渡せばコンピュータ文化が浸透しインターネットが普及し、情報環境は確かに大きく変わってしまった。当然コミュニケーションの様態も変わらざるをえない。インターネット上では、e-mail、チャット、ICQが同時に行われている状況が進行している。もとより、電話やケータイ、ファックス、手紙も顕在だ。だからといってフェイス・トゥ・フェイスのオーラルなコミュニュケーションが少なくなったわけでもない。つまり、多種多様なコミュニケーションの場がすでに私たちの前には広がっているのである。
見えないパフォーマティヴィティ
これまでのコミュニケーションの様態と、では何が大きく異なるのだろうか。おそらく最も特徴的なことは、発話言語でもなく文字言語でもないような、いわば第三の言語とでもいうほかない言葉が誕生しつつあることであろう。デリダが指摘したように、パロールとエクリチュールはいまや完全に一体化しつつある。それは特に電子メディアでは顕著だ。キーボードに向かって文字を打つことと、話すことは分離できないほど接近したものになっている。しかも発信者と受信者という境界もあいまいだ。テキストのみならずグラフィックやサウンドを添付すれば、受け手側はそれに新たな書き込みを行い、再び別の受け手に転送することも可能である。よく言われるようにオリジナルかコピーかという議論は、少なくとも電子メディアにおいては過去のものになったと言わざるをえない。漢字のフェティシズムが生まれている背景には、現代の書記行為がキーボードとディスプレイによって行われるということも影響しているのではないか。漢字の詳細なディテールを思い出す必要はなくなり、漢字はアーカイヴとして自由に取り出すものとなったからである。チャットでは、誤変換によって生まれた誤字が、次々に新しいシンタグムをつくり出していく。誤字が言語活動を活性化させるのである。インタビューでも指摘されたように、コンピュータ上では、文字(text)データをグラフィックデータとして読み込むことができる。文字は完全に画像となる。文字はドットだとかビットだとかという以前に、切り張りOKなグラフィティ(いたずら描き)なのだ。電子メディアでのコミュニケーションに一度でも関わった者であれば、それがこれまでのコミュニケーションとどれほど異なったものかわかるだろう。話し言葉と書き言葉の違いを云々するような牧歌的な時代ではないのだ。言葉の使用におけるパフォーマティヴィティという概念は、大幅に書き換えられなければならない。東氏が言うように、こうした新たな状況においては、「見えないパフォーマティヴィティ」という戦略が有効性をもってくることは十分考えられるだろう。
日常言語の研究の手掛かりである「パフォーマティヴ」は、電子メディアというもう一つの日常をグラウンドとしてもった時に、その意味は変わらざるをえないだろう。だが、それはパフォーマティヴという概念の限界が明らかになったということではない。いやむしろ、パフォーマティヴかつコンスタティヴな言語戦略を私たちが用意しなければならない段階にきていることを示唆しているのだ。パフォーマティヴィティ(見えない)の言語の新たな有効性を探る準備を始めなければならない。
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