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[最新号]談 no.95 WEB版
 
特集:魂の承継
 
表紙:小谷元彦  本文ポートレイト撮影:秋山由樹、新井卓
   
    
 

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日本人の死生観と魂の承継

島薗進
しまぞの・すすむ
1948年東京都生まれ。東京大学文学部宗教学・宗教史学科卒業。現在同学部大学院人文社会系研究科宗教学・宗教史研究室教授。主な研究領域は近代日本宗教史及び死生学。また、宗教と医療の関わる領域にも関心が深い。著書に『日本人の死生観を読む』朝日新聞出版、2012、『国家神道と日本人』岩波書店、2010、『死生学1 死生学とは何か』東京大学出版会、2008(共編著)、『スピリチュアリティの興隆』岩波書店、2007、『〈癒す知〉の系譜』吉川弘文館、2003、他。

宗教以前のもっとアニミズム的な地平に降りて、
人類のすべての人が共有する大いなるいのちの源泉への畏敬の念を考えるならば、
それはどんな宗教からもアプローチできるし、所属する文化が違っていても語り合うことができる。
もちろん科学的に追求することだってできる。
スピリチュアルな領域とは、多様な価値観や倫理観、宗教意識をそれぞれに保持しつつも、
人類全員が分かちもつことのできる価値意識の基盤なのかもしれません。(詳しくは本誌で)


    
 

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魂の像/道具としての身体…ヨーロッパ思想のなかで「魂」はどう捉えられてきたか

神崎繁
かんざき・しげる
1952年兵庫県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程退学。現在、専修大学文学部哲学科教授。西洋古代哲学。著書に『魂(アニマ)への態度――古代から現代まで』岩波書店、2008、『フーコー』NHK出版、2006、『プラトンと反遠近法』新書館、1999、他、編著書に、『西洋哲学史I~IV』、講談社、2011-2012、他。

古代ギリシャにおいて次第に形成され、そしてアリストテレスにおいて一つのまとまった概念として、
その哲学体系に位置づけられた魂(プューシケー、アニマ)は、
近代哲学の始まりを告げるデカルトによって決定的な改変を受けることになります。
「霊魂の不滅」という本来アリストテレスには明確なかたちでは存在しなかった考えの変容をともなって、
中世哲学に導入され定着した「『魂論』の伝統」、それに「死亡宣告」を下したのがデカルトです。
デカルトはアリストテレスの「魂」を否定します。(詳しくは本誌で)

     
    
 

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死のなかの生、生のなかの死…宗教、魂、スピリチュアリティ

安藤泰至
あんどう・やすのり
1961年大阪府生まれ。京都大学文学部および同大学院で宗教学・宗教哲学を学び、現在鳥取大学医学部准教授。専門は宗教学、生命倫理、死生学。編著書に『シリーズ生命倫理学4 終末期医療』丸善、2012、『「いのちの思想」を掘り起こす――生命倫理の再生に向けて』岩波書店、2011、共著書に『スピリチュアリティの宗教史 上』リトン、2011、『死生学[1]死生学とは何か』東京大学出版会、2008、『宗教心理の探究』東京大学出版会、2001、論文に「越境するスピリチュアリティ」『宗教研究』349号、2006、他。

宗教はこれまで、神や仏を語ることで、人間の考えなど大したことはない、それは自分の幻想にすぎなくて、
ちっぽけなものなんだということを説いてきたんですね。
それは圧倒的な自然の体験や、運命に対する洞察から生まれ、人間を超えた力への信仰へとつながっていったものです。
そういう感覚や意識を、私たちはもう一度取り戻さなければならない。(詳しくは本誌で)
 

editor's note

受け継がれる魂に寄り添って


 東日本大震災の被災地で、震災復興のまちづくりが進められていますが、仮設住宅の建設や防災型まちづくりが検討されるなか、津波に襲われた歴史を忘れないために、災害遺構を保存する動きも出てきました。被災した建物を遺し、あるいは植樹することによって被災した事実を後世に伝えるというメモリアルとしてのまちづくり。その流れでキーワードとしてにわかに注目されている言葉が「鎮魂」です。
 宮城県気仙沼市の案波山(あんばさん)。案波山には漁の安全や大漁を祈る神社がありますが、今年被災で中断された植樹活動が再開。それと呼応するかたちで、8月には地元の夏の風物詩である「みなとまつり」も復活しました。案波山には春に植樹されたサルスベリが花を咲かせ、気仙沼伝統の「日の出凧」(のイメージ)が山肌に浮かび上がりました。
 「案波山 鎮魂の森」構想を提案したのは、かねてから気仙沼のまちづくりにかかわってきた建築家の石山修武氏と安藤忠雄氏。政府の東日本復興構想会議が犠牲者慰霊のために「鎮魂の森」づくりを提言したのに合わせて、案波山周辺を「鎮魂の森」にしようという計画です。「震災を風化させないことが重要ですが、何よりもその前に、まず亡くなられた方々を鎮魂すること」から始めるべきだと石山氏は言います。震災で亡くなられた人々を慰めること。死者への慰霊という意味を込めて、鎮魂という言葉が用いられたのです。「鎮魂の森」づくりは、岩手県大槌市でも始まっています。震災ガレキの上に盛り土し、防潮堤を兼ねた森をつくろうという計画で、すでに約3000本の苗木が植樹されました。

遊離する霊魂

 鎮魂とは、その字の示す通り人の魂を鎮めることです。元々は「ミタマシズメ」と読み、神道においては生者の魂をからだに鎮める儀式を指すものでした。イギリスの人類学者E・B・タイラーは、アニミズムの観点から宗教の起源を問いますが、タイラーはアニミズムを霊的存在への信仰と捉えます。人間のみならず動物、植物などの生物の他に無生物にも認められ、そうしたものを生かし動かすものがこの霊的存在だというのです。霊的存在は、独立しても存在しますが、生物、無生物は、霊的存在が離れてしまうと、その活動は静止してしまいます。その結果、人間や動植物は死んでしまう。つまり、生きものの活動は、ひとえに霊的存在によるものとタイラーは結論付けました(『原始宗教の構造と機能』古野清人、有隣堂出版)。
 霊的存在には、霊魂(soul)、死霊(ghost)、精霊(spirit)、悪鬼(demon)、神格(deity)、神(god)があるといいます。このうちの霊魂と死霊は人間の霊魂、精霊は一般には人間以外の動植物に宿るものです。霊的存在の信仰は、人類の原初形態から現代に及ぶもっとも基本的な宗教観念で、民俗宗教(特定宗教に限定されず誰でもが無意識のうちにもっている宗教)などでは、多くの場合これらの種々の霊的存在が併存しています。
 日本の民俗宗教に関しては柳田国男と折口信夫の研究がよく知られていますが、とくに折口信夫のそれは日本人の霊魂観の本源に迫るものとして後の研究者に大きな影響を与えました。折口によれば、霊魂とは本来外から人体に来触し、時に遊離する外来魂であり、これを「タマ」と呼びます。「タマ」が人間の身体から遊離すると死がもたらされます。そこで、この死を防ぐために、肉体から遊離した、あるいは遊離しようとする「タマ」を身体に呼び戻し固着させる儀礼が必要になり、それが「タマシズメ」です。さらに外来魂を身体に招き入れたり、衰弱した「タマ」を鼓舞する儀礼が「タマフリ」で、通常、「タマシズメ」と「タマフリ」の両者を合わせて「鎮魂」と呼んでいます。ついでに言うと、「タマ」が浮かれ出るのを防ぐのが「タマムスビ」、また、身体から完全に遊離した霊魂が「死霊」です。
 魂が身体から遊離した状態を死と捉える見方は、日本人はかなり古くからもっていたようです。宗教学者の山折哲雄氏によれば、人が死ぬと魂がからだから抜け出て、自然の彼方へと去っていくという考えは、万葉集の挽歌にも表れていて、奈良時代にまでさかのぼれるといいます。
 「この信仰は一種の霊肉二元論で、後に残された遺体は魂の抜け殻であって、犬に食われようが鳥についばまれようと大したことではない。何より重要なのは魂の行方だった」。山の頂きに登っていった魂は、やがて山の神になります。そして氏神になり、ご先祖様となる。魂が鎮められるということは、言い換えれば、魂が清められるということです。つまり、死んだ直後の魂というのはじつは穢(けが)れていて、魂はこの穢れを背負って山に登る。そして、時を経ながら魂はだんだんと清められていく。山の神となった魂は、こうして一年が経つと里に下りてきて、魂祭りが行われるという循環の構造をつくり出す。この循環構造は、奈良時代にはすでに見られるもので、魂に対する感覚が、その段階で生じていたことを示していると山折氏は言います。しかもこうした霊魂観は、現在に至るまで連綿と続いているというのです。「生きている人間ですら、霊(魂)が体から遊離して生霊となり、祟る。神による祟りもある。鬼の霊もいる。動物が死ねば、動物霊になる。こうして、様々な霊がこの世界をさまよっている。そういう霊を鎮めたり、祓(はら)ったりしないと、どんな祟りが起こるか分からないという恐怖」があったのでしょう。
 この辺りに日本人の信仰の原型が見出され、今でも日本人の多くが霊魂の存在を漠然とであれ信じている理由があるのではないかと言い、もとよりこれは、「宗教的なレベルの話だけではなく、都市が形成され国家が形づくられると、きわめて重要な政治的課題になっていった」と山折氏は述べています。

怨霊と鎮魂の思想

 祟りと鎮魂こそ日本思想全体に深くかかわる重要な概念であると指摘するのが哲学者の梅原猛氏です。怨霊(祟り)と鎮魂の思想こそ日本の思想を貫くもっとも古く、かつもっとも根源的なものであると述べたうえで、「この思想を解明せずに、とうてい日本の思想について論ずることはできない。ただ、日本の宗教史ばかりでなく、日本の政治史、文学史、美術史、すべてのジャンルにおいて、この思想は決定的な意味をもつ」(「怨霊と鎮魂の思想」『日本学事始』梅原猛著作集20、集英社、所収)と梅原氏は断言します。
 日本において政治はすなわち祭事であったと前提したうえで、その政治において怨霊と鎮魂こそもっとも重要な思想であったというのです。怨霊と鎮魂は「日本の国状の必要とする、はなはだ特殊な宗教的行事と考えてよいであろう。日本は島国であり、この狭い島国に、ほぼ同一の血統をもつ多数の人間を抱え込んでいる。(…)こういう国柄において、一つの集団と他の集団が徹底的に殺し合うということは、はなはだまれである。味方の陣営と敵の陣営はどこかで血縁的にもつながっている。(…)それゆえ、その党派の戦いによって勝負がつくと、その負けた方の主領は殺されるが、できるだけ犠牲は少なくすまされる。そして、新たに権力をとった支配者側が次になすべきことは、殺された敵方の主領を祀(まつ)り、その怨霊を鎮めることである」(前出)。
 つまり、鎮魂によって霊の怒りを鎮めるだけでなく、その殺された主領の家来たちの怒りをそらすことができる。要するに、敵の主領を祀ることに、敵も味方も一体となって参加することができ、その結果主君を失った家来たちは、その主君の霊を祀ってくれる新しい支配者に、安心して仕えることができるというわけです。梅原氏は、この怨霊の鎮魂こそ同一民族がひしめく日本風土が生んだ、巧妙な政治的知恵であり、意味深い宗教的知恵だと指摘します。
 今述べた政治的意味とは別に当然のことながら宗教的側面も怨霊の鎮魂にはあると梅原氏は付け加えます。それは、怨霊の問題のうちの霊の問題だといいます。怨霊は生霊の場合であっても死霊として現れます。人間が死んでも、その死霊は残るというのが、人類の普遍的信仰であり、その信仰を背景にして多くの宗教は育ち、そして高度な精神文明を生むことができたというのです。しかし、今日このような霊についての信仰は薄れつつあるといいます。柳田国男は、戦後まもなく『先祖の話』を著しますが、そのなかで柳田は日本人が何千年もの間保ち続けてきた先祖の霊への崇拝の衰退を嘆き、祖先霊の崇拝の重要性を訴えました。

山に極楽と地獄が共存する

死者の霊魂は人間の世界から無限の彼方、彼岸に立ち去っていくと考えたのが仏教でした。死んで成仏した者は、西方十万億土の彼方の極楽へ往生していくという、いわゆる西方浄土という考えは、原始仏教の時代から大なり小なり仏教の来生観を支配し続けてきました。ところが、柳田国男は、仏教受容以前の日本人が祖霊は死してなおこの世のうちにとどまろうと望んでいるという信仰によって生きてきたと考えたのです。宗教思想史の西田正好氏は、柳田国男のこの祖先崇拝の思想が「家の宗教学」になったと言います。
 「祖霊はひとまずこの世のなかの山中に他界するけれども、ひたすら子孫の安泰と多幸を願って、いくたびとなく人里に来臨し、家の繁栄のためにかぎりなく助力を惜しまないと、柳田は確信」したというのです(『神と仏の対話 神仏習合の精神史』工作舎)。そして、こういう特異な民俗信仰からもわかるように、祖霊をあたかも永遠の恩人や幻の父母のごとく見なして感謝し、この祖霊に報いようとする誠実な祖霊崇拝が生まれた。その心情によって、古来、日本人は神社とその祭祀をめぐる熱心な信仰生活をことのほか重んじてきたのだろうと、柳田は考えたというのです。
 もっとも、西田正好氏は、柳田の考えを極端な祖霊一元論だとして、日本神話に表出する自然神を対峙させることで換骨奪胎を図るのですが、ここで言いたいのは、すべての死者の霊魂が彼岸に立ち去ってしまうのではなく、此岸の現世にそのまま在住したり、彼岸から戻ってきたりして、現世のうちに残ろうとするというところです。すなわち、身体に留まりつつも常に不安定な状態に置かれている生者の魂と同じように、死者の魂、つまり、身体から遊離した魂も外の世界では不安定な状態にあると柳田は見ていたのです。柳田にとっては、祖先霊であっても怨霊に転化する可能性があり、だからこそ、先祖の霊への崇拝が軽んじられることを憂いたのだといえます。
 人間の身体から外界に向かって、いともたやすく離れることのできる機能をもつ「タマ(魂)」。それは、しばしば生きている状態でもその機能は発揮されます。睡眠状態や仮死・失神/無遊状態では、タマが身体から勝手に飛び出してあたりをうろうろする。なんとかそれを体内に引き戻そうと願うところから、タマシズメという神事が生まれたとは先程言ったとおりです。世間で行われている鎮魂祭は、身体から分離したタマの復帰をうながし、消沈・阻喪した気力の奮起を図ろうとする祭りごとです。ただ、ここで注意しておきたいのは、ひとたび身体が滅びていまわしい死穢(しえ)に侵されていく時、人々は、タマがそのもちまえの遊離性を発揮して、いちはやく穢れた屍体から分離して欲しいと、一方では期待もするのです。西田正好氏によれば、この独特の(というか他に類例のない)霊魂観が基礎となって、ついに埋葬墓と弔詣墓を別々の場所に分立させる両墓制の埋葬法が生じたのだというのです。そのことはまた、「タマ」が登る山のなかに、極楽だけでなく地獄も同居するという奇妙な考え方を生み出しました。一見矛盾のようにも思えるこの浄穢/清濁の共存は、一般的な仏教の他界観と比較しても特異だと西田氏は言います。

死生学の課題

 死後、その人の霊魂は目に見えない世界で存続し続けるという考えは、古代から現代にいたるまで広く散見できると言いましたが、とりわけ日本では死者のいる世界、他界についてさまざまなかたちで語られてきました。たとえば、日本では今でもお盆に迎え火を焚く家が少なからずあります。これは、他界から帰ってきた死者の魂を家に迎え入れるための目印であり、歓迎を表すサインです。宗教意識が薄いと言われる日本人ですが、こうした習慣が現代に生き続けているのは、世界のなかでも珍しいといわれています。この世で焚かれる火が死者に見えるということは、他界がそれだけこの世のそばにあるということを示しているわけで、生者の世界のすぐ隣に死者の世界が広がっているというのも、考えてみると不思議なことです。日本人にとって死はそれくらい身近なものだったのです。
 そんな私たち日本人の死に対する思いをより強く意識させることになったのが東日本大震災でした。私たちは皆いずれ死を迎えるわけですが、なぜそれが2011年の3月11日でなければならなかったのか。偶然にも死に選ばれてしまった人間と、こちら側で、いわば生に取り残されてしまった人間(安藤礼二)。それを分かつものはなんだったのか。それを運命とみなすこともできるでしょう。しかし、それはある意味で死からの遁走(とんそう)を意味します。私たちは、死とは何か、死をどう受け止めるか、改めてその重い課題と正面から向き合うことになるのです。
 近年、宗教学の立場から「死生学」の重要性を唱えてきたのが東京大学大学院人文社会学系研究科教授の島薗進氏です。1960年代、イギリスやアメリカでホスピスの運動が起こりました。それに後押しされるかたちで「死生学」が注目され、活発に議論されるようになりました。死に至るまでのより良い生を過ごすための医療とケアを提供するホスピス。このホスピスの活動が一つのきっかけとなって、新たな死生の文化を構築しようと始まったのが「死生学」でした。原語であるdeath studiesを直訳すれば「死学」となりますが、日本では「死生学」と名付けられました。なぜ「死学」ではなく「死生学」なのか。それは、すでに日本では「死生観」という言葉が存在し、頻繁に用いられていたからです。どうやらそれは、日露戦争前後にまでさかのぼれるというのです。
 島薗進氏は、近著『日本人の死生観を読む』(朝日新聞出版)で、日本近代の成立と軌を一にして生まれた「死生観」に込められた意味を探りながら、日本人の「死」に対する独自の考えを明らかにしました。それは一言で言えば、生と死を表裏一体のものとして捉える思考方法だというのです。
 人は死ぬとどうなるのか。人間はこの問いにさまざまな回答を提示しましたが、死後も生があると信じている日本人は少なくありません。なぜ日本人は、来生信仰と呼んでもいいような「死生観」をもちえたのでしょうか。まず日本人の「死」およびそれと一体となった「生」について、魂とのかかわり、魂の承継という観点から島薗氏にうかがいます。

魂観の変容と再生

 「生きるものの原理は魂であるか」という問いに対して、ギリシャ哲学の文脈からその意味を検討するのが専修大学文学部哲学科教授の神崎繁氏です。『生命論への視座』(大明堂)所収の論文「〈生の形〉としての魂――〈『霊魂論』崩壊〉以前の思考風景」で、「魂(プシューケー)の不死」を証明しようとするプラトンに対して、プシューケーが生命活動を支える原理であり、世界を有意味にするものとして見るアリストテレスの思想を紹介しています。
 アリストテレスは『魂について(デ・アニマ)』で、それまで死者の霊魂として捉えられていた魂について、生きているものの生命原理それ自体として捉える考えを提起したというのです。この生の原理としての魂は、プラトンの魂、すなわち死者の霊魂という見方を大きく変換するものでした。
 アリストテレスが見出したのは、生の側にある、言い換えれば、生に根拠を与える原理としての魂です。しかし、中世を経て、デカルトの登場で事態はまた大きく変わります。デカルトは、アリストテレスの考えをばっさりと切って捨ててしまうのです。デカルトの心身二元論には、じつはプラトンが見出した「不死」が復活し、死者の魂が入り込んでいたというのです。
 ヨーロッパ近代の幕開けを告げるデカルトの思想。その内奥に秘められたプラトンの魂。神崎繁氏に、本来、多義性をもつ「魂」が、不死としての「魂」に凝縮させられていく経緯を、西洋哲学史に沿いながら語っていただきます。多様な魂の復活、再生を予告する議論になるでしょう。

生のなかに織り込まれた死

 たとえば、生命倫理の問題、生殖医療や臓器移植、あるいは安楽死や尊厳死の問題は、「生とは何か」「死とは何か」、さらには生きているとはそもそもどういうことをいうのかという根源的な問いを私たちに突き付けます。元来宗教や宗教学は、そうした問いを問いとしてまるごと受容し、なんらかの「答え」を出すものとして機能してきたと言うのは、鳥取大学医学部准教授で宗教心理学が専門の安藤泰至氏です。なぜそんなことが宗教には可能なのでしょうか。それは、端的に「魂」への深い共感があるからだと安藤氏は述べます。「生」と「死」の問題を人間のもっとも重要な課題と受け止めてきたのが宗教でした。宗教の目的は、「生」の解明であり、「死」の克服にあったといえるでしょう。
 「生」と「死」の関係にもっとも近いイメージが「メビウスの輪」ではないか。表だと思っていたらいつの間にか裏になっているように、生のことを考えていると思っていたら、いつの間にか死のことを考えている、死のことを考えていると生のことを考えている、そういうことにふと気づいてしまう、その気づきこそが、じつは「死について、あるいは生について考える」ということの本質ではないかと安藤氏は問いかけます。「魂」の承継、それは、「魂」の、「魂」それ自体が生み出す、まさに「メビウスの輪」のように、無限の連続のうちにある気づきそのものなのかもしれません。
 個別宗教を超えて、いわば宗教を越境するように存在するスピリチュアリティ。「魂」とは、このスピリチュアリティを指しているのではないでしょうか。「死」というのはまるで巨大なクエスチョンマークのように私たちにとって未知なものであると同時に、「死」は私たちの「生」のなかにさまざまなかたちで織り込まれているということ。私たちは、人生のなかで何度も「小さな死と再生」を繰り返しているとすら言えると安藤氏は言います。
 最後に、安藤氏に宗教と「魂」の関係を、また、「生」と「死」の結びつきについて、スピリチュアリティを軸に考察していただきます。(佐藤真)

参考文献:
『日本の民俗宗教』宮家準 講談社学術文庫 1994
『救いとは何か』森岡正博、山折哲雄 筑摩書房 2012
『日本学事始』梅原猛著作集20 集英社 1982
『神と仏の対話 神仏習合の精神史』西田正好 工作舎 1980
『生命論への視座』(大明堂)武田純郎、横山輝雄他編 大明堂 1998
『ケア従事者のための死生学』清水哲郎、島薗進編 ヌーヴェルヒロカワ 2010


 
   editor's note[before]
 


◎プューシーケー、アニマ、プネウマ
西洋哲学史I~IV 神崎繁、熊野純彦他編著 講談社 2011-2012
魂(アニマ)への態度 古代から現代まで 神崎繁 岩波書店 2008
情念論 デカルト 谷川多佳子訳 岩波文庫 2008
省察 デカルト 山田弘明訳 岩波文庫 2006
神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡 J・ジェインズ 柴田裕之訳 紀伊國屋書店 2005
ヒッポクラテスとプラトンの学説 ガレノス 内山勝利、木原志乃訳 京都大学学術出版会 2005
動物部分論・動物運動論・動物進行論 アリストテレス 坂下浩司訳 京都大学学術出版会 2005
魂論(魂について) アリストテレス 中畑正志訳 京都大学学術出版会 2001
ウィトゲンシュタイン・セレクション L・ウィトゲンシュタイン 黒田亘編 平凡社ライブラリー 2000
プラトンと反遠近法 神崎繁 新書館 1999
生命論への視座 竹田純郎、横山輝雄他編著 大明堂 1998
方法序説 デカルト 谷川多佳子訳 岩波文庫 1997
オデュッセイア 上下 ホメロス 松平千秋訳 岩波文庫 1994
イリアス 上下 ホメロス 松平千秋訳 岩波文庫 1992
プロタゴラス プラトン 藤沢令夫訳 岩波文庫 1988
パイドン プラトン 藤沢令夫訳 岩波文庫 1988
国家 上下 プラトン 藤沢令夫訳 岩波文庫 1979
精神の発見 B・スネル 新井靖一訳 創文社 1974

◎生のなかの死、死のなかの生
死生学年報 1~6 東洋英和女学院大学死生学研究所編 リトン 2007~2012
日本人の死生観を読む 明治武士道から「おくりびと」へ 島薗進 朝日新聞出版 2012
新版死とどう向き合うか A・デーケン NHK出版 2011
ケア従事者のための死生学 清水哲郎、島薗進編 ヌーヴェルヒロカワ 2010
私が死について語るなら 山折哲雄 ポプラ社 2010
どう生きどう死ぬか 現場から考える死生学 岡部健、竹ノ内裕文編 弓箭書院 2009 
死生学 1~5 島薗進、竹内整一他編 東京大学出版会 2008
死別の悲しみに寄り添う 臨床死生学研究叢書 平山正実編著 聖学院大学出版会 2008
死の淵より 高見順 日本図書センター 2004
生と死を考える 「死生学入門」金沢大学講義集 細見博志編 北國新聞社 2004
死の民俗学 日本人の死生観と葬送儀礼 山折哲雄 岩波現代文庫 2002
死生観を問い直す 広井良典 ちくま新書 2001
「死ぬ瞬間」と死後の生 E・キューブラ―=ロス 鈴木晶訳 中公文庫 2001
生と死の教育 A・デーケン 岩波書店 2001 
他者・死者たちの近代 近代日本の思想・再考3 末木文美士 トランスビュー 1998
日本人の死生観 立川昭二 筑摩書房 1998
死の歴史 死はどのように受けいれられてきたか M・ヴォヴェル 富樫櫻子訳 創元社 1996
死と悲しみの社会学 G・ゴーラー 宇都宮輝夫著 ヨルダン社 1994
日本人の「あの世」観 梅原猛 中公文庫 1993
死を前にした人間 P・アリエス 成瀬駒男訳 みすず書房 1990
死を見つめる心 岸本英夫 講談社文庫 1973

◎スピリチュアリティ、霊性、鎮魂
スピリチュアリティの宗教史 上下 鶴岡賀雄、深澤英隆編 リトン 2011-2012
救いとは何か 森岡正博、山折哲雄 筑摩選書 2012
生者と死者をつなぐ 鎮魂と再生のための哲学 森岡正博 春秋社 2012
宗教心理学概論 松島公望、杉山幸子他編 ナカニシヤ出版 2011
社会的宗教と他界的宗教のあいだ 見え隠れする死者 津城寛文 世界思想社 2011
神と仏の出逢う国 鎌田東二 角川選書 2009
『宗教研究』349号 日本宗教学会 2006
スピリチュアリティの興隆 新霊性文化とその周辺 島薗進 岩波書店 2007
現代救済宗教論 島薗進 青弓社 2006
〈霊〉の探求 近代スピリチュアリズムと宗教学 津城寛文 春秋社 2005
スピリチュアリティの社会学 現代世界の宗教性の探求 伊藤雅之、樫尾直樹他著 世界思想社 2004
修験道 その歴史と修行 宮家準 講談社学術文庫 2001
鎮魂行法論 近代神道世界の霊魂論と身体論 津城寛文 春秋社 2000
日本人の宗教性 オカゲとタタリの社会心理学 金子暁嗣 新曜社 1997
梅原猛著作集20 集英社 1982

◎バイオの思想
バイオ化する社会 「核時代」の生命と身体 粥川準二 青土社 2012
生と病の哲学 生存のポリティカルエコノミー 小泉義之 青土社 2012
「いのちの思想」を掘り起こす 生命倫理の再生に向けて 安藤泰至編 岩波書店 2011
テクノロジーとヘルスケア 女性身体へのポリティクス 日比野由利、柳原良江編 生活書院 2011
はじめて出会う生命倫理 玉井真理子、大谷いづみ編 有斐閣 2011
バイオエシックスの構築へ 小松美彦、香川千晶著 NTT出版 2010
妊娠を考える 柘植あづみ NTT出版 2010
生命の哲学 有機体と自由 H・ヨーナス 細見和之、吉本陵訳 法政大学出版局 2008
死は共鳴する 小松美彦 勁草書房 1996
生命学への招待 バイオエシックスを超えて 森岡正博 勁草書房 1988
医の倫理 中川米造 玉川選書 1977
死者・生者 日蓮認識への発想と視点 上原専禄 未来社 1974